日本の医学部の100年問題本紙7月号の院長随想は、慈恵会医科大学の創立者高木兼寛を引き合いに、わが国近代医学の草創期にドイツ医学の理論主義と、イギリス医学の「人間として病人を診る」良風との2つの流れがあったことについて書いていた。実は、このことはもう少し違う切り口から見てみても面白い。つまり、医学-科学の方法論の違いについての問題だ。
当時のドイツは、少数の公理を起源としてそこから論理の流れによって個々の事象を説明する演繹法が主流。一方の英米流は多数の事象を集め分析することから公理を導き出す帰納法に特長があった。イギリス医学を導入した海軍では、軍医高木兼寛が食事改善実験を行うなどして脚気の予防法を発見したが、ドイツ医学を導入した陸軍では軍医森鴎外が脚気=伝染病説にこだわり、高木兼寛の予防法を受け入れずに大量の脚気死亡者を出したことは有名な話である。
英米流の帰納法は近代統計学を生み出し、やがてそれは「科学の文法」と呼ばれるまでになる。ところが、近代統計学が生まれる以前の明治期にドイツから医局講座制もろとも医学を輸入したわが国では昭和、さらに戦後にいたっても医局講座制の縦割り構造は健在で、演繹法的伝統に由来しメカニズムをことさら重視する風潮が温存され、近代統計学が本格的に医学研究-教育に取り入れられることはなかった。このことを指して津田敏秀は「日本の医学部の100年問題」※1と言っている。
「日本の医学部の100年問題」が何をもたらしたか。医学論文の数が基礎系に比して臨床研究では極端に少ないといった指摘があるが、それと共に最近の例ですぐ思いつくのはディオバン問題をはじめとする臨床研究に関わる不祥事の数々だ。「医学アカデミアにおけるデータサイエンスの空洞化により、さまざまな倫理問題等が引き起こされた」※2と、新谷歩も言っている。 (続く)
※1.津田敏秀:医学的根拠とは何か、岩波新書、2013年
※2.新谷歩:今日から使える医療統計、医学書院、2015年