田尻さんに会う先月の本欄の続きである。
本年1月、私は徳島の書店で、田尻宗昭著「四日市・死の海と闘う」「公害摘発最前線」※の2冊を買った。田尻宗昭さん(1928〜1990)は、かつて海上保安庁職員として勤務。四日市勤務時代には日本アエロジル、石原産業など、公害企業の摘発(排液垂れ流し事件)を手がけた。その後、東京都(公害局等)に勤務し、公害Gメンとして名を馳せた。石原産業事件の顛末は一昨年、TV番組「奇跡体験! アンビリバボー」※で紹介されている。彼はわが防治会とも縁のある人物である。きんろう病院が加入している労働者住民医療機関連絡会議(労住医連)の議長をかつて務められた。私はその昔、色々な会で彼を度々目にしているし、彼の講演会の企画に関わったことなどもある。だが、集会の段取りに気をとられ、講演内容はまるで覚えていない。著作も読んだことはなかった。
今回はじめて彼の著作を読み、私はようやく田尻宗昭という、海を愛し、海や環境を破壊する公害と全力で闘った1人の男とはじめて出会ったような気がした。彼の著作は、講演をそのまま書きおこしたような文体で、まるで目の前で彼が喋っているような感覚になる。彼は60代はじめで亡くなったが、「四日市・死の海と闘う」を書いたのは43〜44歳頃、「公害摘発最前線」は51〜52歳頃、いずれも今の私より年少の頃である。2冊を読み終わり、私は心の中で51〜52歳の田尻氏に向かってこう言った。「あんた、本当に良い仕事をしなすったなあ」。
#田尻氏の仕事については、下記参照。
※ 四日市・死の海と闘う(岩波新書、1972年):著者の四日市勤務時代の闘いのレポート
※ 公害摘発最前線(岩波新書、1980年):六価クロム事件など、著者の主として東京都時代のレポート
※ 奇跡体験! アンビリバボー、2015年10月1日オンエア