ダークサイドに堕ちぬために先月の本欄でこう書いた。「医療の公共性を考えると、そもそも病院が健全に存続し、医療サービスを提供し続けること自体が、地域住民の生存権、幸福追求権に関わる」。そして、「病院の経営を守るということは、ただ単に一組織の経営を守ることにとどまらず、地域住民の受療権を守る、すなわち彼らの生存権、幸福追求権に寄与するということなのだ」と。
しかし、実際のところ、この後段の一文には、次のように限定詞をつけるべきなのだ。「病院が真っ当な医療から逸脱しない限りにおいて」と。つまり、いわゆる悪徳病院の場合、病院の経営を守る、イコール地域住民の生存権・幸福追求権に寄与する、という等式は成立しない。否、むしろ、病院の経営のために地域住民の生存権・幸福追求権を侵害する場合すらある。
世間にはどうやら、悪徳病院なるものが存在するらしい。「逸脱する“病院ビジネス”」※は、そうした病院を追跡した優れたルポルタージュである。同書によれば、架空請求(=やってないことをやったとして医療費請求)などは序の口で、ひどい場合には、やる必要のないことをやる、すなわち、病気ではない人を患者に仕立てて、必要のない手術を行うことまでやっていたという(同書が取材したY病院の院長は、その後詐欺罪で実刑確定)。
Y病院が行っていたとされる「なんちゃってステント」などは、あまりにも極端なケースであろう。だが、三十余年にわたってこの業界を見てきた私の印象によれば、普通の真っ当な医療機関であっても、ふとしたきっかけで案外と簡単に「逸脱」を起こしてしまう危険性がある。不正行為に対する行政のチェックが行き届かないので、経営に窮した医療機関が「逸脱」への誘惑に負けてしまうことは、十分にありそうなことだからだ。かのY病院にしても、もしかしたら「逸脱」の第一歩はささいなことだったかもしれない。それがいつの間にかエスカレートして、不正が常態化、過激化してしまったのかもしれない。だから、どの医療機関にとっても(当院にとっても)、ダークサイドへと堕ち込む罠は、おそらくけっこう身近に存在している。
自院がダークサイドに堕ちないために重要なこととは何か。それはおそらく第一に、自院の経営を健全に保つこと。そして第二に、自院がダークサイドに堕ちかけたとき、それに気づいた職員が自浄能力を発揮すること。この場合の判断基準は、患者本位か経営本位か、である。医療従事者と医療機関にとって、「ダークサイドに堕ちない」とは、最低限、かつ究極の目標である。
※ NHK取材班:逸脱する“病院ビジネス”、2010年、株式会社宝島社