岩佐さんの闘い (2)(前号からの続き)
原発内労働による被曝事故の被害をわが国で初めて裁判に訴えた岩佐嘉寿幸さん(1923〜2000)の闘い。この中で、ひとつ気になるエピソードがある。岩佐さんが原発で作業したのは1971年5月。岩佐さんの右膝の症状に対し、阪大病院皮膚科で「放射線皮膚炎の疑い」の診断が出たのが1973年秋(確定診断は1974年春)。この間に2年あまりのブランクがあることが裁判にとって不利になった。だが、実は原発での作業から1週間ほど後に、岩佐さんの皮膚症状を示す診断書は出ているのだ。それは彼の近所の開業医が交付したもので、そこには部位が「右肘」と書いてある。岩佐さんの記憶はたしかに「右膝」なのだが……。医療界に馴染んだわれわれからすると、いわゆる「あるある」のエピソードである。しかし当時は、カルテ開示も、レセプト開示も、とてつもなく壁が高かった。医療過誤訴訟ではなく、診断書を書いた医師が被告ということでもないので、医師を証人として呼びつけたり、記録の開示を求める強制力など、裁判所をはじめ誰も持っていなかった。
個人情報保護法ができた現在では、少し違った展開になっていただろう。
いや。たとえそうであっても、岩佐さんの原発での作業から約1週間後にたしかに右膝に症状があったという証拠が得られたとしても、原子力ムラと裁判所は、「その症状が放射線によるものとは断定できない」と強弁しただろうか? たぶん、しただろうなぁ……(^_^;)。