岩佐さんの闘い (1)岩佐嘉寿幸さん(1923〜2000)。原発内労働による被曝事故の被害をわが国で初めて裁判に訴えた人だ。以前、本欄(→下掲)で書いたとおり、34年前に私が医療界に就職することとなったのは、学生時代にこの岩佐訴訟に関わった縁による。
岩佐さんが原発内で作業を行ったのはたった一度、1971年5月27日のことだ。日本原電敦賀発電所。「万博に原子の火を!」と華々しく宣伝され、1970年3月に営業運転を開始した同原発はしかし、相次ぐトラブルに見舞われ、何度も「計画停止」。岩佐さんが作業に入ったのはそんな時だった。彼は水道管などの工事を専門としていた。
原発での作業を終えて1週間ほどして、倦怠感などの全身症状と右膝の皮膚症状、そして右下腿の浮腫が現れた。医療機関を転々とした後、大阪大学病院皮膚科で放射線皮膚炎、二次性リンパ浮腫の診断を得たのは、1974年春のことだった。
同年、訴訟が始まった。争点は2つ。第1は皮膚炎の診断について。もうひとつの争点は、岩佐さんが行った作業に被曝の「具体的危険性」があったかどうか。第1の点については、阪大の診断を否定する被告原電側の鑑定は法廷でボロボロに論破されたが、裁判所はけっきょく「放射線皮膚炎と断定できない」と逃げた。争点の2点目も、裁判所は原電側の「安全管理はきちんと行われている」との建前論を是認し、原告が作業中に被曝したことを認めるに足りる証拠はない、と結論づけた。裁判は最高裁まで進み、岩佐さんの敗訴が確定した(1991.12.17)。
被曝による障害や事故が実際には起きているのに「ないことにする」。国や原子力ムラは何十年もずっと不都合な事実を隠蔽し続け、その果てにあの福島の大災害が起きた。岩佐さんの闘いの経過は、ずっと前から今の福島のような事態を予見していたと思えてならない。 (次号に続く)
関連) 片岡さん (湧水:2013年4月号) 防治会の30年と私の30年 (湧水:2009年11月号)