IZUMINO-izm 19年02月号より
10万時間仮説

先月に引き続き、宮本太郎著「共生保障」からの話題である。同書に「10万時間仮説」なる考え方が紹介されている。私なりの解釈を交えて説明すると、次のような考え方だ。

働いている人の場合、労働に費やす時間を1日平均9時間(残業や通勤時間を含む?)、平均年就労日数を250日、睡眠等に生理的に必要な時間を9時間と仮定すると、退職年齢の65歳前後迄で、就職中の労働時間が10万時間、定年後の可処分時間が10万時間、とほぼ括抗する。

これを数式で表すと、
就職中労働時間:45年×250日×9時間=101,250時間(20歳から65歳まで働くと仮定)
定年後可処分時間:20年×365.25日×15時間=109,575時間(85歳まで生きると仮定)となる。

つまり、かつては65歳とは人生のゴール地点に近い存在であり、その後の人生は老後とか余生とか、何か「おまけ」のような扱いであったのだが、現在は65歳とはゴールではなく、ターニングポイントというべきである。65歳以降の人生は文字通りの後半生であり、前半生とほぼ同格の時間となっているのだ。ご存じの通り、いわゆる高齢化率とは人口に占める65歳以上の人口の割合だが、上述の通り、65歳以降の「後半生」が単なる老後ではなく、むしろ下図に示すような「自己実現と自由」の追求が可能な「第3の人生」期であるとするなら、この年齢層にカウントされる高齢者は、社会から単に支えられるだけの存在と規定するのは適切ではない。意欲と能力に応じて、社会を支える側に回ることが可能な高齢者もけっこういる。

さて、かつてマルクスは、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」未来社会を構想した。私は、わが国の高齢者にとって、いつ来るか分からない未来ではなく、いま現在の切実な問題として、「能力に応じて働き、必要に応じて医療・介護サービスを受け取る」社会システムが要請されていると感じている。「第3の人生」期は、有病率や要介護率が急上昇する時期でもあるからだ。

ほかならぬ私じしん、人生のターニングポイントが近づきつつある。折り返し以降の生活プランをどう策定するか。社会システムのありようによって、おおいに影響を受けることになるのだ。


※ 長谷川敏彦:医療福祉の視点からまちづくりを考える(NIRA研究報告書 2012.1より)

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