IZUMINO-izm 20年04月号より
PCRとマリス博士 (1)

新型コロナウイルス問題のせいで、一般の庶民レベルでもがぜん有名になったPCR(Polymerase Chain Reaction;ポリメラーゼ連鎖反応)。この技術は分子生物学上の大発明である。生物学者の福岡伸一氏は、PCRとの出会いを次のように述べている

それは1988年のことである。その年、私はアメリカで研究生活をスタートした。春から夏にかけて、研究所内でも学会に出かけても、出会う研究者はことごとくすべて躁状態になって同じ三文字をうわごとのようにつぶやいていた。PCR。(略)

私たちの研究室にも、シータス社から発売された真新しいPCRマシンが導入された。一見、何の特徴もない、電子レンジほどの矩形の装置だった。しかし、それは小さな神棚のように、研究室の一番よい場所に鎮座していた。

私は、シータス社のPCRキットの指示書にしたがって、小さなプラスチックチューブに必要な薬品を調合し、それをPCRマシンに並べてスイッチを押した。装置は鈍いうなり音を発して運転を開始した。二十年近くがたとうとする今でも、私は暗室で目の前に立ち現れた実験結果をありありと思い出すことができる。紫外線に照らされて青色に染まったDNAのバンドがくっきりと浮かび上がっていた。私たちが1年以上もかかって追い求めていた遺伝子がそこにあった。それをPCRは一瞬にしてもたらしたのだ。

任意の遺伝子を、試験管の中で自由自在に複製する技術。もう大腸菌の力を借りる必要はない。分子生物学に本当の革命が起こったのだった。

PCRとは、ヒトの場合だと30億個にもおよぶ文字から成り立っているゲノムの中から特定の文字列(例えば1000文字)を探し出し、数時間のうちに膨大な(例えば十億倍)コピーを作り出す技術である。この画期的な技術の発明者について福岡氏はこう書く
やがて西海岸から伝わってきたのが「ある風変りな天才がデートの途中でひらめいたらしい」という噂だった。しかも、その天才はサーファーだというのである。
(次号に続く)
福岡伸一:生物と無生物の間、講談社現代新書、2007年
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