IZUMINO-izm 23年08月号より
「たまや」の謎

先月同様、ウンコにまつわる私の少年時代の記憶についての話である。私が住んでいた地区は農家が多く、住民の過半数を占めていた。そして、農家の庭の一角には「たまや」と呼ばれる生ゴミ捨て場があった。もっとも、非農家であるわが家でも、庭に穴を掘って生ゴミ捨て場を作り、「たまや」と称していた。だが、はなはだ記憶がぼんやりしているのだが、農家の「たまや」は穴を掘って作ったりせず、自然堤防上の道路と庭の高低差を利用し、ワラで囲いを作ったりして、わが家のものよりもずっと大きく、立派な構造をしていたような気がする。そして稲刈りの時期などは籾殻を入れたりもしていたような気が…。いずれにせよ、当時、私が住んでいた地域では、自治体によるゴミ回収は(たぶん?)まだ行われておらず、可燃ゴミなども庭先で平気で燃やしていた。

さて、その「たまや」であるが、夏ともなれば、食べた後のスイカの皮などに誘われてカブトムシが飛んできたりしていた。私たち子どもは、そうした虫を捕まえたりするのに、他所の家の庭などということにお構いなしに近所の農家の「たまや」などにも足を踏み入れることがよくあった。そんなある日のこと、たぶん私がまだ小学生だった時だと思うが、いつものように近所の農家の「たまや」に入って遊んでいた時、ふかふかの足元が少し沈み込んだかと思うと、下から黄色い液体が湧いて出てきて、靴の中までぐっしょりと濡らしてしまった。そして何とも言えぬ臭い! 屎尿だ。つまり、肥溜めに足を突っ込んだような状況に陥ったわけである。

この時は、文字どおり「クソー!!」と思っただけのことであるが、何十年も経ってからふと思った。「たまや」とは、当時は単なる生ゴミ捨て場だと思っていたが、もしかしたら生ゴミ捨て場ではなく、堆肥の製造場兼保管場だったのではないか? 「たまや」とは「溜まや」もしくは「貯まや」のことだったのではないか? 生ゴミとともに屎尿も貯められていたのは「下肥」の意味があったのか? いやいや、「下肥」はこの頃はすでに次第に使われなくなっていっていた頃だ*1。だとしたら、「たまや」とはもともと堆肥の製造場兼保管場だったものが、次第に単なる生ゴミ捨て場へと変容していったのかも……。と、色々と考えをめぐらしたり、ネット検索で調べたりとしてみたのだが、いまだ解答にたどり着かない。どなたかご存知の方がいれば、ご教示いただきたいと思っている。

なお、下肥と屎尿処理の歴史については、湯澤規子著「ウンコはどこから来て、どこへ行くのか」*2に詳しい。同じ著者の「ウンコの教室」*3と併せて読むと、ウンコについての認識が改まるかもしれない。目からウンコ、もとい、ウロコ、である。


*1)1955年、「清浄野菜の普及について」と題した厚生省(当時)の通知が発出されている。野菜栽培に下肥を使うなという内容である。ちなみに清浄野菜とは下肥を使用しない野菜のことである。同通知の別紙要綱に定義として書かれている。
*2)湯澤規子:ウンコはどこから来て、どこへ行くのか、ちくま新書、2020年
*3)湯澤規子:ウンコの教室、ちくまプリマー新書、2022年

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