人生よ、ありがとう(Gracias a la vida)9月11日というと、誰しも2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件のことを想起する。だが、ラテンアメリカの現代史に関心を持つ者にとって、9月11日は別の意味で忘れ難い日付である。今からちょうど50年前、1973年のチリ、ピノチェト将軍によるクーデターが起きた日だ。当時は東西冷戦真っ盛り。1970年の選挙で成立した左派系のアジェンデ政権に対し、アメリカが背後で糸を引き政権打倒のクーデターを起こさせたのである。ピノチェトは大統領に就き、1990年まで独裁政権を敷いた。1973年のクーデターのさい、左派系ないしその嫌疑をかけられた人々に対する弾圧(殺害、拷問など)は苛烈をきわめ、50年経った今でもチリ社会に深い傷痕を残している。
さて、1973年の政変後、亡命により弾圧の難を逃れた人が多くいたが、その内の1人で映画監督のミゲル・リティンは1985年、変装して独裁政権末期のチリに潜入し、映画撮影を行うという離れ業をやってのけた。その潜入記をインタビューをもとに文章化、出版註)したのはノーベル賞作家 G.ガルシア=マルケスである。この中で、リティンがチリ潜入翌日の正午、サンティアゴ市内にあるアルマス広場で、当時反独裁の拠点となっていた教会の大聖堂の鐘が「人生よ、ありがとう」の旋律を奏でるのを突然聴く場面はとても印象的だ。
「人生よ、ありがとう」はスペイン語で書かれた歌として世界でもっとも美しい歌との評価もあるらしいが、反独裁の象徴ともなっていた。私も大好きだ。検索すれば YouTubeでも聴ける。作者はビオレータ・パラ(1917-1967)。チリ「新しい歌」運動の先駆者と評されている。以下、「人生よ、ありがとう」の歌詞(一部)である。
人生よ、ありがとう たくさんのものを私にくれて
私に笑いと涙をくれて それだから幸福と不幸を 私は区別できるのだから
私の歌をつくるふたつの糧を つまりあなたたちの歌が
それがこの歌 それはみんなの歌で 私自身の歌 人生よ、ありがとう……
(訳:八木啓代)(次号に続く)
註)G.ガルシア=マルケス:戒厳令下チリ潜入記、岩波新書、1986年