IZUMINO-izm 23年12月号より
釜ヶ崎語 (1)

冬になると釜ヶ崎越冬闘争を思い出す。私が学生だった1980年代初頭の何年か、私は釜ヶ崎日雇労働組合(釜日労)が行う越冬闘争の支援活動をやっていた。どこの地域・現場にもその地で使われる独特の言葉や用語があるものだが、日雇い労働者の街として有名な釜ヶ崎(大阪市西成区あいりん地区)の言葉はなかなか面白いものだった。そのいくつかを前後編二回に分けて紹介しよう。今回は前編である。

ドヤ、ドヤ街、飯場
ドヤはヤド(宿)の倒語。宿泊料の安い簡易宿泊所を指す。ドヤ街はその密集地。寄せ場とも呼ばれる。人足寄せ場がその名の由来だろう。四大寄せ場は釜ヶ崎の他、山谷(東京)、寿町(横浜)、笹島(名古屋)だが、釜ヶ崎が最大と言われていた。飯場は土木建設の現場が都市部から遠方にある場合などに設けられる食事宿泊施設。釜ヶ崎の労働者の多くは、時に飯場で、そして仕事がない時や通いの仕事の時はドヤで寝泊まりするのだった。

青カン
青カンというと、通常は野外性交を指す隠語だが、釜ヶ崎では野宿のことを青カンと呼んでいた。ことに日雇いの仕事が途絶える年末年始、宿代として支払う金がなくなると、労働者は青カンせざるを得なくなる。

行路(旅)病、行路(旅)病死
直截に表現すると行き倒れ、野垂れ死にのこと。行路(旅)病、行路(旅)病死というのは釜ヶ崎独自の言葉ではなく行政用語で、生活保護の一種。だが釜ヶ崎の場合、他の地域と比べ、桁違いに多かった。釜ヶ崎に流れ着いた労働者の多くは住民票を持っていなかった。そうした彼らが病気になると「行路(旅)病扱い」とされたからである。厳寒期である年末年始などの青カンは行路(旅)病死に直結しやすい。そこで「ひとりの仲間も死なすな!」と、越冬闘争が行われるようになった。あいりん総合センターの敷地の一角を借り、軒下に布団を並べ、ここで寝るよう、青カン者に声をかけて夜間パトロールに回ったものだ。

手配師
人夫出しとも言う。土建会社などから派遣され、労働者のスカウトを担当する。JR新今宮駅前のあいりん総合センター(ハローワーク)前ではハローワーク職員の仲介なしに手配師が直接労働者をスカウトしていく。それゆえトラブルも発生しがちだった。釜ヶ崎の労働者が手配師について語るとき、そこには少しばかりの敵意と蔑みのニュアンスが混じりあっているような感じがしたものだ。もっとも、大学でサークルや学生寮を回り、学生を越冬支援メンバーとして勧誘し、釜ヶ崎に送り込む活動をしていた私は「赤色手配師」と自称してもいたのだが…。

次号に続く)

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