IZUMINO-izm 24年3月号より
桜の国は受忍論の国

1年近く前の本欄(2023年4月)で、私は受忍論のことを書いた。広島で被爆した韓国人被爆者孫振斗さん(ソン・ジンド、1927-2014)が治療と在留を求めて裁判を起こし、原爆医療法(当時)には国家補償法的配慮が制度の根幹にあるとの解釈を1978年の最高裁判決で勝ち取り、被爆者健康手帳の交付を得た。ところが他の被爆者や一般戦災者の国家補償要求への波及をおそれた政府・厚生省の思惑に沿ったかたちでいわゆる基本懇答申が出された(1980年)。答申には「戦争の被害はすべての国民がひとしく受忍しなければならない」と書かれてあった。いわゆる受忍論である。

昨年4月の湧水では私はこう書いている。「じっさいにその後、司法分野でも、各地の空襲訴訟などに対してこの「受忍論」が多用されていくことになる」。だが、このあたりの下りは少々正確でなかったようだ。最近「東京大空襲の戦後史」註)という本を読んで分かったことなのだが、この本にある情報をもとに、受忍論について少し補足をしておこう。

そもそも受忍論の登場は基本懇答申が初めてではない。基本懇答申以前、1968年11月に出された在外財産国賠訴訟最高裁判決がある。これはカナダへの元移民が日本の敗戦にともなう在外財産喪失に対し補償を求めたケースだ。判決は「国の存亡にかかわる非常事態にあっては、国民すべてが、多かれ少なかれ、その生命・身体・財産の犠牲を堪え忍ぶべく余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも、戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり…」と、まさしく受忍論を展開している。

基本懇答申は受忍論を発明したというより、しまい込まれた判例の書庫の奥から受忍論という伝家の宝刀を見つけ出してきたという感じだろうか。その宝刀の狙いは前回書いた通り。実際の判決文の中で受忍論が展開されたのは、前掲書註)で見る限り1976年に提訴された名古屋大空襲国賠訴訟の最高裁判決(1987)、1981年に提訴されたシベリア抑留者による補償裁判東京地裁判決(1989)の二つがある。1980年代のこの時期、宝刀は魔刀として猛威をふるったようだ。戦時責任問題という枠組みを超え、もしかしたら高知営林署事件において、チェーンソー導入により社会が便利になるのだから振動障害発症などの少々の犠牲は受忍せよと述べた高松高裁判決(1984年)にまで影響を及ぼしたかもしれないのは、昨年の本欄で書いた通り。

戦時責任問題に筆を戻すと、2000年代にも各地で再び一般戦災者の国賠訴訟が提起された。東京大空襲訴訟(2007提訴、2013最高裁判決)、大阪空襲訴訟(2008提訴、2014最高裁判決)、沖縄戦訴訟(2012提訴、2018最高裁判決)、南洋戦訴訟(2013提訴、2020最高裁判決)等々。判決理由として受忍論があからさまに展開されることは2013年大阪空襲訴訟高裁判決を例外としてなくなったが、被災者の訴えはことごとく退けられた。受忍論はいまも生きている。

「お上に物申すな、下々の者はただ堪え忍んでおれば良いのだ」。そのような官尊民卑の思想が、もしくは桜の花を尊ぶように散華や諦念に価値を置き、責任の明確化を嫌う国民の(実は支配層の)心性が、通奏低音のようにこの国を覆っているのではと、私には感じられてならない。


註)栗原俊雄:東京大空襲の戦後史、岩波新書、2022年

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