孫さんのバタフライ・エフェクト (1)韓国人被爆者孫振斗さん(ソン・ジンド、1927-2014)が日本での治療を求め、密入国したのは1970年12月のことだった。1972年3月、彼は被爆者健康手帳の交付を求めて福岡県知事を提訴した。私が大学時代に所属していた社会運動系サークルは、元々はこの孫さんの裁判支援に関わることから、その活動を開始した。
孫さんの裁判は、1,2審に続き最高裁でも彼の訴えが認められた(1978年3月)。最高裁判決は、原爆医療法(当時)には「国家補償法的配慮が制度の根幹にある」と述べた。孫さんの闘いは日本の被爆者運動にも影響を与える。日本原水爆被害者団体協議会(略称:被団協)は以前から国家補償法としての被爆者援護法制定運動を行っていたが、1978年の最高裁判決が彼らを力づけたことは言うまでもない。
バタフライ・エフェクトという言葉がある。ほんの些細な事がさまざまな要因を引き起こした後、非常に大きな事象の引き金に繋がることがあるという意味の言葉で、日本のことわざで言えば、風が吹けば桶屋が儲かるというのがこれに近い。孫さんのささやかな闘いが日本の被爆者運動を力づけたのも、バタフライ・エフェクトの一例と言って良いかもしれない。だが、この話には続きがある。
それは1978年最高裁判決の後に私が大学に入学し、2回生だった時のことである。1980年12月、前々回〜前回の本欄で書いた金大中死刑阻止闘争が盛り上がっている最中、いわゆる基本懇答申のニュースが飛び込んできたのだ。基本懇の正式名は原爆被爆者対策基本問題懇談会。孫さんの判決により、日本政府が被爆者対策の見直しを迫られたことで、その検討のために設けられた諮問機関である。しかし答申は「戦争の被害はすべての国民がひとしく受忍しなければならない」と述べ、明確な国家補償を否定する方向の結論を出した。
つまり、戦争とは国家存亡の危機であり、国家国民挙げて戦争を遂行しているのだから、その過程で少々の犠牲が出ても国民はガマンしなければならないのだという理屈である。だが、そもそも戦後のわが国は、現憲法前文を見ても分かる通り、15年戦争を否定し、反省するところから始まったはずだ。過去の戦争被害に対して補償を求めることと、将来の戦争の再発を防止することとは分かちがたく結びついている。被団協もそう主張して国家補償を訴えてきた。基本懇答申はこれに真っ向から対立する。答申は孫さんや被団協の闘い、1978年最高裁判決という動きに対するバックラッシュ(反動)であると言える。しかも、後に明らかになったことだが(2015年)、この基本懇答申には、原爆被害者以外の空襲被害など、一般戦争損害への波及を怖れた政府・厚生省(当時)の思惑も反映していた※)。じっさいにその後、司法分野でも、各地の空襲訴訟などに対してこの「受忍論」が多用されていくことになる。逆バタフライ・エフェクトというべきか…。
※)2015年、NHKが基本懇の当時の内部資料を発掘して明らかとなった。