Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 願い石を探して 

 序章 ―継承者 ロイフィールド― 
 第1話 願い石 


 願い石――。

 もとは1つの石であったというそれは、ある者には瑠璃色に輝く宝玉、またある者には単なる土塊に見えたという。小山ほどの大きさであったという者もいれば、爪先ほどであったという者もいる。

 人の望みを食らい続けて生きる石。

 それを手にした者は、必ず不幸になる――。



「願望というものは、生きていく上でとても大切なものなんだ……」
 風が届けたその声に、ジークは川のせせらぎに差し入れた手を止め、背後を振り返った。木の幹に身体を預けるようにして起き上がるロイの姿が、ジークの漆黒の瞳に映る。毎日顔を合わせているというのに、また衰弱したという印象を抱かずにはいられないその姿に、ジークは小さく1つ息を吐いた。
 少し長くなったロイの黒髪が風に揺れる。風の精霊たちの仕業だ。
 本名をロイフィールド=ディア=ラ=セレン。かつては風の精霊石の所有者であり、セレン王国の王となるべき人間であった。祖国を離れた今も精霊たちはロイを愛している。
 魔法力を持たないジークの瞳には、精霊たちの姿が映し出されることはない。だが、寄り添うようにロイの傍を舞い続けるその気配だけは感じることが出来た。このところ、精霊たちはロイの傍を離れようとしない。その理由を考えると、ジークは耐え難い喪失感に襲われた。
(ロイの時間が、終わろうとしている――)
 ロイの身体の奥には、ただ1つの精霊石が宿っている。4つの精霊石が1つになった透明な球体――。その光をもって、ロイはこの世界を覆い尽くそうとした闇を封じた。精霊石は輝きを失い、そしてロイの中で眠りに就いている。
「……ディーンと比べても、長く持った方かな?」
 そう呟き、ロイは自分の周りを舞い続ける風の精霊たちを見上げた。彼女たちの言葉で2、3挨拶を交わして微笑みを浮かべる。そして近付いてきたジークを見上げて一段と綺麗な笑みを浮かべた。その額に布が落とされる。
「冷たい、」
 わざとそう批難して見せながら、ロイは川の水で冷やされたその布に触れた。発熱した身体にはとても心地よい。
「……面倒を掛ける」
 ロイには珍しいその台詞を静かに受け止め、ジークはロイの顔を覗き込んだ。
「――で、何だって?」
 その顔色の悪さには気付かない振りをしてそう問い掛ける。
 隣に腰を下ろすジークの腕にそっと触れながら、ロイはゆっくりと言葉を紡いでいった。

 かつて願い石と呼ばれる石が存在した。それはこの世界が誕生した瞬間からそこにあったという。
 その石は幾つかに分かれ、姿を変え互いに惹き合いより強い願いを吸収して力を増していった。
 この世界に争いをもたらしたのは、その石だといわれている。
 その後、その危険性に気付いた古代エルフの王たちによってその石は封印された。

「だがな、」
 そう告げて、ロイは自分の胸に手を当てた。
「4000年前、この世界が闇に閉ざされし時、最後の手段としてエルフ王たちはその願い石の封印を解いたんだ……。4大精霊の力を借り、精霊石という姿に変えさせて――」

 そして、英雄ディーンの出現によって魔獣が封印され、世界に光が戻った。

「ディーンはその精霊石を自分の身体に封印し、数年後に消滅した……。その妃セレニエルが我が子とともに凍てついた北の果てにセレンを閉ざしたのはそのためだ。セレンは精霊石を封印するために存在し続けてきた……」
 語り終え、遠い空を見上げて、ロイは長い吐息を落とした。
 普段のロイは、自分のことはほとんど語ろうとしない。出来うる限り他人を踏み込ませたくないのだろう。そのロイが1つ1つ確認するように言葉にしていく。その意味を考え、ジークは固唾を飲んでロイの言葉を見守った。1つ1つをその瞳に焼き付けていく。
 風がロイの黒髪を揺らせる。その風に笑みを返し、ロイはゆっくりとジークへと視線を戻した。
 綺麗な青灰色のその瞳は、片方しか光を映すことは出来ない。半身の機能も失っている。それが闇の神を封印したロイの代償だ。
(それでもまだ足りないというのか……)
 その姿を見つめたまま、ジークは心の中でだけロイの運命を恨んだ。
「なあ、ジーク、俺はあまり長く持たない」
 青灰色の瞳にジークを映したまま、ロイがそう告げる。
 その言葉を、ジークは瞳を反らさずに受け止めた。それが精一杯だった。
「だが、最期の瞬間まで精一杯生きたい……。だからお前の傍にいたい――」
 ジークの胸にこつん、と頭を預け、ロイはそう言葉にした。
「我が儘を許せ」
 小さなその呟きが、ジークの胸に突き刺さる。
「馬鹿。離さしゃしねぇよ」
 そう答え、ジークはロイの肩を抱き寄せた。



 その夜、ロイは不思議な夢を見た。
 輝く黒真珠の瞳を持つ青年がロイに何かを告げた。夢の中でロイは瞬時に理解した。
 伝説の英雄ディーンだ、と。
 ディーンが指さす先に誰かがいた。まだ幼い子供だった。
 その子がにこりと微笑んで、ロイに手を伸ばしてくる。
『だめだ……!』
 ロイは必死にそう叫んだ。
 精霊石の危険性はロイが誰よりも知っていた。ロイは18歳の時に風の精霊石を受け継いだ。その時のもの凄い重圧も覚えている。身体の中心に全てが吸い込まれ、自分という形を保つのが精一杯だった。その時、成長が一段落する18歳という年齢まで精霊石を受け継ぐことが出来ない理由を知ったような気がした。
 ましてや今ロイの身体に宿るのは、4つの精霊石を集めたもの――。
『無理だ……! よせ!』
 伸ばされる小さな手に必死に抵抗する。
 その時、別の力が割り込んでくるのを感じた。
『――よこせ!』
 身体の奥底に響いてくる、そんな声だった。

 均衡が崩れる。

(砕ける――!)

 そう感じた瞬間、精霊石が4つに分かれ、空を駆けた。

 そのどれもが、ロイが知る精霊石とは異なっていた。

『願い石……』
 呟いた自分の言葉に、ロイはぞくりと身を震わせた。



 目が覚めると、ロイは全身にどっと汗を掻いていた。
「ジーク!」
 ほとんど無意識にそう叫び、いつも隣にいる存在を探す。
「どうした、ロイ!」
 ジークが飛び起き、ロイを見つめた。ロイはかたかたと震えていた。
 そして、
「…………石を、奪われた」
 震える唇でそう告げた。




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