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それは一瞬のことだった。
ぱんっと空間が裂けた、そんな感じだった。
「サーシャ!!」
その声とともにヴィーゼがサーシャの許に駆けてくる。見開いたヴィーゼの瞳には、血に染まったサーシャの蒼白な顔とそのサーシャを貪ろうとしている魔族の姿が映っていた。
「貴様ッ!」
驚きの表情を浮かべるその魔族を蹴り倒し、ヴィーゼは肩で大きく息を吐いた。
「……ヴィー……ゼ、」
「サーシャ!」
短剣が抜け、サーシャがずるずるとその場に崩れ落ちる。宝物を扱う仕草でそれを抱き止め、ヴィーゼは魔族の男を睨み据えた。
「……驚いたな」
率直な感想を述べて、魔族の男が嗤う。
「誰も入って来れぬはずだが……」
言い掛けて何かに気付いたかのように一瞬瞳を見開き、そして魔族の男はふふっと嗤った。
「なるほど。“お前”か……」
そう呟いて、楽しくて堪らない様子で嗤い続ける。
「――どういう意味だ?」
片方の腕にサーシャを抱き、もう片方の手を前方に開いたまま、ヴィーゼはそう問い掛けた。
魔族に知り合いなどいない。馴れ馴れしくお前呼ばわりされる筋合いなどなかった。
だが、ヴィーゼは頭の何処かでその事実を冷静に受け止めている自分にも気付いていた。自分が普通の人間でないことはヴィーゼも薄々判っていた。ただ認めたくないだけだ。
「今に判る」
そう言葉にして、魔族の男は両手を拡げた。その意図を察し、ヴィーゼが素早く言葉を紡ぐ。だが、ヴィーゼが放ったその呪文が絡み付く直前で、魔族の男は姿を消した。
月光がヴィーゼの銀糸の髪を照らし出す。腰まで届くそれは月光を浴びて妖しく煌めいていた。
ヴィーゼは銀色に輝く自分の髪が嫌いだった。銀の髪を持つ者は王国内に他に誰もいない。不思議に思って調べてみたところ、銀髪は王国外でも稀有なものとされていた。
なぜ稀有なのか?
銀髪を持って生まれた赤子はその多くが殺され、万が一生き永らえた場合も神殿の奥に封印されるからである。
遠い古の伝説。英雄ディーンが封じた魔獣。この世界が闇に閉ざされる原因となったその魔獣を召喚したのが、銀髪の魔術師だったという。
世界を滅ぼす者――。
銀の髪を持つ子はそう呼ばれている。
(だから私は産みの親に疎まれ、捨てられた……。陛下がセレンに連れ帰って下さらなければきっと……)
いつしかそう理解し、ヴィーゼは元凶である髪を憎んでいた。そしてまたどんなに愛情を注がれても、自分を排除した世界を愛するつもりなどなかった。
そんなヴィーゼの心境を変化させたのは、サーシャである。
サーシャは全く笑わない静かな赤子だった。何かに怯え、気配を押し隠しているそんな印象さえ感じさせた。だがある日、そのサーシャがにこにこと笑った。大きな翡翠色の瞳に木漏れ陽が降るヴィーゼの髪を映し、伸ばした小さなその手でそれをぎゅっと握り締めて、サーシャは本当に嬉しそうに笑った。
『きらきら輝いて、お星さまみたいね』
サーシャを腕に抱いたリーゼンディア妃がそう言った。
ヴィーゼの中で、何かがすうっと消えた瞬間だった。
「……ヴィー、ゼ、」
微かなその声に、ヴィーゼは腕の中のサーシャに視線を戻した。
「ヴィーゼ……、ヴィーゼ……、」
余程怖い思いをしたのだろう。サーシャはかたかたと震えながら、ヴィーゼの名前を繰り返していた。
「サーシャ……」
震え続けるその手をそっと掴み、ゆっくりと開かせる。不思議なことに血がこびり付いたその手には傷1つ見当たらなかった。先程ちらりとみた淡い光も消失している。そのことに無理矢理1つ安堵の息を吐き、ヴィーゼはサーシャの肩を抱く腕に力を込めた。
「……っ、……ひっ、くっ、」
何かの糸が切れたのか、サーシャは見開いたままの瞳から涙をぽろぽろと溢れさせた。子供の頃に戻ったかのようにヴィーゼの服を両手でぎゅっと握り締め、ぼろぼろ泣き始める。
サーシャの不安ごと細いその身体を強く抱き締め、ヴィーゼは長い吐息を落とした。