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大きな夕陽が世界を赤く染めていた。
緑豊かな森が、血のように赤く見える。
その森は今、静寂に支配されていた。
木々のざわめき、小鳥のさえずり一つ聞こえない静寂。
すべての生き物が怯え、息を潜めている気配。
その森の中、一人の青年が歩を進めていた。
青年はシルクと名乗っていた。
その名に相応しい、きめ細やかな白い肌。
さらさらと音を立てて流れるような、灰色がかった金髪(アッシュブロンド)。
真っ直ぐ正面を見つめる、淡い翡翠色の双眸。
青年を形作っている一つ一つどれを取っても、光の精霊たちが裸足で逃げ出したくなるような造形であった。それらが見事に調和したその青年は、まるで障害物などないかのように、華麗に木々の間を擦り抜けていく。
青年の生まれ育った祖国は、今は遠い北の国、セレン。
美しく聡明な青年シルクは、国中の期待と羨望を集めていた。
何一つ不自由することなく、国を治める偉大な両親の愛情をいっぱい浴びて育った。
そうして、当時既に大地の精霊石を手にしていた2歳上の兄も、たった一人の弟であるシルクに惜しみない愛情を注いでくれていた。
だから、18歳の誕生日を目の前にして、自分は国を後にした。
自分の手の中に王位継承権の証である精霊石が現われるのは見たくなかったから。
そうして、旅の目的を探しながら旅をして、どのくらいの年月が経ったのだろう。
森の最奥に、目的の場所を見つけ、シルクは歩みを止めた。額に掛かる灰色がかった金髪(アッシュブロンド)をかき上げ、小さく息を吐く。
翡翠色の瞳が、目の前の大木を映していた。その巨大な樹は、周囲の全てのものを圧倒するかのようにそびえ立ち、静かに涙を流していた。
『いつの頃からか、あの森は涙の森と呼ばれてるんだよ』
『何でも森の奥にある大木は、幹から涙を流すらしい。といっても、その涙を見た者は記憶をなくしてしまうし、その涙に触れた者は生きては帰れないという噂だけどね』
『そう、だから真実は判らないのさ』
この森から少し離れた村で聞いた噂。
その噂を聞いて、シルクは自分の旅の目的地を確信した。
幼い頃、何度も聞かされた、自分の祖国に伝わる昔話。
それが単なるおとぎ話でないことは、シルクの中に流れる血が知っていた。
遠い昔、一人の召喚魔術師の手によりこの世界が闇に閉ざされた時、暗黒と化した世界には次々と魔界の住人たちが現われ、人々を恐怖に陥れた。その魔界の住人たちの中で最も恐れられたのが、5人の魔界の実力者。その中の1人、魔王ジルバスク。その彼をこの世界の何処かに封印したのが、セレンの初代王であるディーン、即ちシルクの祖先であった。
力のある魔王が何故一介の人間に封印されることになったのか。
2人の間に何があったのかは判らない。
ただ、判っているのは、千年の月日が流れた後、ジルバスクは再び目を覚ますということ。
そして今年が、ちょうど千年目。
自分はこれから、その魔王を永遠に封印する。
それが、今のシルクの旅の目的であった。
幼い頃聞いた伝説の記憶を辿り、数々の書物を読みあさり、やっとこの場所に辿り着いたのだ。
ゆっくりと白く細い指で大木に触れる。その途端、耐えがたい感覚がシルクを襲った。全身が目に見えない水のようなものに覆われていく。
苦しい。
シルクは翡翠の双眸を顰め、小さく息を吐いた。
「水の乙女たち。しばらくの間でいい、私に力を……」
澄んだ声が響く。その直後、シルクの前に青く輝く道が開けた。
輝く道の最奥に、その石棺はあった。石棺の中で、彼は静かに眠っていた。
全ての闇を集めたような、漆黒の長い黒髪。
固く閉ざされた、切れ長の2つの瞳。
頭には、捩れた角が2本。
結ばれた紅い口元。
白く細い指には、皮膚を切り裂く、長い爪。
だが不思議と恐怖はなかった。
魅せられるように、横たわる魔界の王を見つめる。しばらくして、シルクは静かな動作で腰に提げた細長い剣を抜いた。ジルバスクの胸元に構えると、刀身に白く輝くルーン文字が浮かび上がる。
そのまま、どのくらいの時間が経っただろう。
シルクの剣は遂に振り下ろされることなく、同じように静かな動作で元の鞘に納まった。
『何故、手を止めた、人間よ』
不意にシルクの脳裏に声が響いた。次の瞬間、ジルバスクの長い指がシルクの白い首を掴み上げる。
切れ長の真紅の双眸に、苦痛に顔を顰めるシルクの姿が映った。
『我を消滅させる唯一の機会を逃したことを後悔するがいい。』
ジルバスクの長い爪がシルクの喉に食い込む。白い首元から胸元へ真っ赤な血を滴らせながら、それでもシルクは真っ直ぐにジルバスクを見つめた。
「……私、は、……後悔は、しない」
苦しい息の下でシルクが言葉を紡いだ。美しい翡翠の瞳が、意志を宿して淡く輝く。
『…………似ているな』
長い沈黙の後、ジルバスクは低い声でそう呟いた。
『いや、違う。あいつは漆黒の髪に漆黒の瞳を持っていた」
遠い記憶を辿るようにしてそう言葉にする。
だがその言葉とは反対に、ジルバスクは記憶とは全く異なる翡翠色の瞳に少なからず魂の共鳴を感じていた。
『……もう一度聞いておこう、人間よ。何故手を止めた? その輝く剣をこの胸に突き刺せば、我は消滅しただろう。我を生かせば、この世は闇と化す』
シルクを見つめたまま、ジルバスクがそう問い掛ける。
「ならば、正直に答えよう」
ジルバスクの視線を真っ直ぐに受け止め、シルクはそう答えた。
「……千年前お前を封印した後、ディーンは何故お前に止めを刺さなかったのか、考えていた。答えは判らなかった。ならば私にお前を消滅させる権利はないのかも知れない。そう思った。何故なら私はお前のことを知らない」
澄んだその声が、暗い世界に響いていく。
「そして、出来ることなら、お前のことをもっと知りたい。そう思った」
付け足して、シルクは口元で微笑んだ。
シルクの首を掴み上げていた手を離し、ジルバスクがゆっくりと立ち上がる。そしてジルバスクが聞き慣れない発音で何かを唱えると、シルクの首の痛みは消えた。
『……面白い。付き合ってやろう。……ただし、我がお前に飽きたら、その白い肌を切り裂き、食らうかも知れん』
真紅に輝く双眸を細めて、ジルバスクが笑みを作る。
「構わない」
翡翠色の瞳を細めて、シルクが綺麗な笑みを返した。
そうしてまた、どのくらいの月日が流れただろう。
「…おい、いつまで待たせる気だ、シルク」
腕を組んだまま扉にもたれ、ジルバスクが問う。もちろん真っ黒な長い髪は後ろで束ね、角は隠してある。
「ああ、すまない。今行く」
荷物を整理していたシルクが振り返り、翡翠の瞳でとびっきりの笑顔で答えた。そのまま荷物を背に華麗な動作で立ち上がる。
「さて、次は何処に向かう? ジル」
「……何処にでも。お前に行きたい処に」
扉に背を預けたまま、ジルバスクが口元で笑った。
ゆっくりとシルクが近づく。そうしてそのままシルクはジルバスクの胸元にこつんと自分の頭を預けた。
「なあ、ジル。おそらくは、眠っているお前を初めて見た時から、私はお前に惹かれてたんだ」
囁くような声でシルクが告げる。
「……お前の翡翠の瞳に捕われたのは、我の方だろう?」
そう答えて柔らかいアッシュブロンドの髪に細い指を絡めると、ジルバスクはシルクの白い下顎をそっと上向かせた。そうして2人は、啄ばむように唇を重ね合った。
でもジル、
いつか私は、この限りある生命を終える日を迎える。
その時、お前はどうするだろう?
そして、私はどうするのだろう?
祖国を飛び出して、自分の運命から逃げ出すことばかり考えていた。
でも、これからは後悔はしたくない。
今この瞬間を大切にしたい。
込み上げる気持ちを、真実の言葉で告げたい。
「なあ、ジル。愛してる……」
真紅の瞳の中で、翡翠の瞳が柔らかく微笑んだ。
……Fin.