Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 今、想いを声に…… 

 前編−帰還−


 守りたいものがある。
 そのためなら、
 この命を懸けてもいいと、そう思った――。



「貴方はもっと賢い人だと思ってましたが……」
 胸から真っ赤な血を流しながら、ヴァイラスはくすりと笑った。
「……この世界は、命を懸ける価値があるとでも?」
 落下していく2人の目前にまで、アルウェス大河が近付いて来る。
 身を投じたら一瞬で水底まで引き摺り込まれ、二度と浮かぶことはないだろう。
 それでも、
「ある」
 真っ直ぐにヴァイラスを見つめて、ラインハルトはそう答えた。
 それは、何処までも澄んだ漆黒の瞳だった。

「ならば、見据えてみますか?」
 ふと笑みを消して、ヴァイラスが告げる。
「この世界の行く末を……」
 次の瞬間、ヴァイラスの姿が消えた。と同時にラインハルトは大河に叩きつけられた。

 予想していたような衝撃はなかった。
 自分が何かに包まれているのを感じた。

 水底へ落ちていくような、それでいて宙に浮かんでいくような、不思議な感覚だった――。


 とんっと固い何かに受け止められ、ラインハルトは何処かに辿り着いたことを認識した。
 水底ではなかった。
「此処、は……?」
 開いた漆黒の瞳に、石造りの壁が見えた。視線を上げると、上空には白い旗が靡いていた。
 間違いない。
 ラストア王城。その裏側に存在する、通称、『竜の広場』であった。

「何故……?」
 つい先程、此処からヴァイラスとともに断崖に身を投じた筈である。
 それなのに、何故此処に戻って来たのか――。
 それより何より、此処も戦場であった筈である。
 王城からも立ち上る黒煙、燃え落ちた白い旗、辺り中に立ち込める血生臭い匂い――。
 そのいずれの痕跡もなかった。
 いや、正確には矢の跡、剣の跡が残ってはいたが――。

「ハインツ!! フリードリヒ殿下!!」
 しんと静まり返る空間を見渡し、ラインハルトはその場から忽然と姿を消した人たちの名前を呼んだ。
「ハインツ!!」
 もう一度名を呼んでみるものの、返事はない。

 そのとき、がたんっという音が響き、ラインハルトは反射的に腰に手を当てた。手にしていたはずの聖剣は、いつの間にかなくなっていた。

 身構えるラインハルトの瞳の中で、その扉が開かれる。


 そうして姿を見せた人物は、大きな灰色の瞳を見開いて声を失くしたままラインハルトを凝視した。
 緩やかに弧を描く金髪を後ろで束ね、きっちりとした身形に胸には記章を付けている。幾分落ち着いては見えたが、それでも大きな瞳は変わることなく彼を幼く見せていた。

「…………殿下?」
 若干の違和感があるものの、間違いなくフリードリヒであろう。
 ラインハルトはそう問い掛けると同時に、フリードリヒの元へと駆け寄った。
「……ラインハルト?」
 一瞬遅れて、フリードリヒもラインハルトの方へと歩を進めた。
 微かに片足を引き摺る様子に気付いて、ラインハルトが心配の声を上げる。
「殿下! お怪我は!?」
 駆け寄り跪いてフリードリヒの右足を見るが、刺さっていた筈の矢は何処にも見当たらなかった。

「大丈夫だよ、ラインハルト」
 そう答えて、フリードリヒはその場にしゃがみこんだ。
 ラインハルトと目線を合わせ、汗と血に汚れた頬にそっと触れる。
「……もう、6年も前のことだもの」
「……え?」
 その言葉に、ラインハルトは瞳を見開いた。

 それから、ゆっくりと言葉を選びながら、フリードリヒはラインハルトに経緯を説明した。
 大河に落ちたラインハルトを探しても見つけられなかったこと。
 ヴァイラスが去った後、幾らか敵の勢力が弱まり、何とか逃げ延びたこと。
 世界が闇に覆われた日、一条の光が射したこと。
 そして、この世界に光が戻ったこと。

 その一つ一つに、ラインハルトは小さく頷いた。

「……ハインツは?」
 ようやく全ての経緯を理解し、そうしてラインハルトは一番気になることを尋ねた。
「ん?」
 フリードリヒが、わざと意地悪く小首を傾げて、とぼけて見せる。
 その様子にとりあえず無事であることを確認して、ラインハルトは安堵の息を落とした。

「この6年、国境にばかりいるよ」
 フリードリヒがふうーっと息を吐く。
「……何故、ですか?」
「さあ。死に急いでいるようにも見えるし、何かを守ろうと懸命に生きているようにも見えるし」
 そう答え、ふと真面目な顔をして、
「今度泣かせたら、承知しないからね」
 フリードリヒはふわりと笑みを浮かべた。



「あの馬鹿、昨日着いたのに、すぐ来ないなんてね……。ま、いる場所は想像できるけど」
 呆れ顔でそう告げたフリードリヒに連れて来られたのは、王城の北西に位置する小高い丘だった。
 夕陽が美しいこの丘で、ハインツと並んで腰を下ろしたのはいつのことだったか――。

 背後から上る朝陽が、足元に影を落とす。
 そして、立ち並ぶ墓碑の中、背筋を伸ばして佇むハインツの姿がラインハルトの瞳に映った。

 最後に見た時肩のあたりだった黒髪は、腰に届く長さになって後ろで緩やかに編まれていた。その黒髪が風に舞う姿を、朝陽が美しい影にして若草の上に描き出している。ハインツが見下ろす墓碑に刻まれているのは誰の名か、それはラインハルトにも想像が付いた。
 押し隠した哀しみが、その場を支配していた。



「ハインツ」
 フリードリヒの腕の中、瞳を見開いてこちらを凝視するハインツにそう声を掛ける。

「ラインハルト!!」
 そう名を呼んで、朝陽の中駆けてくるハインツの姿がラインハルトの漆黒の瞳に映った。




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