Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 声に出来なかった想い 

 第18話 


 あの日、ラストア王国は陥落した。
 かつての王都は完全にその姿を変え、魔物たちの棲み家に成り果てた。
 そして、王国内に限らず、この世界の至る処が、闇の住人たちに蹂躙されていった。

 世界から、光が失われつつあった――。

 それでも、ハインツは剣を振るい続けた。
 この世界に残された僅かな光を、ラインハルトが大切にしていたその一つ一つを、守りたかったから――。

 まるで何かに憑かれたかのように戦場を駆け抜けていくその姿は、長く束ねた見事な黒髪と身体中に浴びた魔物たちの黒い血から、幾ばくかの畏怖とともに、ラストアの『漆黒の風』と呼ばれた。

 フリードリヒの指揮の下、生き残ったラストア王国の騎士を始め、近隣諸国の兵たちで連合軍が結成された。騎士や兵士といった階級に限らず、全ての職業から勇気を持った者たちが集った。
 それは、人間だけではなかった。四千年の時を経て、全ての光の種族が手を取り合った。

 それでも、圧倒的な力とともに、闇は急速に拡がっていった。
 敏感な者たちは、その闇の中に芽生えていく確かな気配を感じ取っていた。
 それが、遥か太古に失われたはずの邪神ザイラールだと気付いたとき、人々の間に絶望が生まれた。

 そして、最後の日――。
 世界が、完全なる暗黒の闇に覆い尽くされていった、あの日。
 その闇を切り裂いた一条の光に、人々は願いを込めた――。



「さすが、あんたの自慢の異母弟(おとうと)だぜ」
 ラストア王城の北西に位置する小高い丘。
 墓碑が立ち並ぶその場所で、ハインツは一際大きなその墓碑を見下ろしていた。
「あんたが言ったとおり、あいつの狂気を止め、この世界に光を取り戻してくれた……」
 僅かな風に揺れるハインツの黒髪に、朝陽の光が降り注ぐ。

「……誉めてやるんじゃなかったのかよ」
 墓碑を見つめたままのハインツの薄紫色の瞳が、哀しみの色に染まる。
「あんた、何でいないんだよ……」
 朝陽が影を落とすその墓碑に刻まれた名にそっと触れ、ハインツは瞳を伏せた。

 その墓碑には、『ラインハルト=フォン=アウエンバッハ』の名前が刻まれていた。



 王都ラストアが陥落したあの日、ラインハルトは聖剣を手に、ヴァイラスとともに断崖に身を投じた。王城の裏手にある『竜の広場』は切り立った崖の中腹に位置し、遥か下方を流れるアルウェス河に落ちれば、二度とは浮かんでくることはないと言われている。

 『銀髪の神官は深手を負い、姿を消した』
 落ちた2人の後を追った炎竜エンが、そう報告した。その報告どおり、回復に時間を要したであろうその深手は、闇の勢力を幾らか弱め、より多くの人が王都から脱出できる時間を作った。

 『ラインハルトは、大河に呑まれた』
 エンはまた、そう報告した。全身を濡らして帰ってきたエンの様子から、一瞬で川底まで引き摺り込むと言われるその大河に、エンも一度ならず身を投じたであろうことが推測された。

 だが、
 『すまない。見つけることは出来なかった』
 頭を垂れてそう告げたエンの言葉のとおり、大河がラインハルトを手放してくれることはなかった。



 それから、6年――。

 光を取り戻した世界は、闇の傷跡を少しずつ癒している。
 魔物の棲み家になっていた街も、今や賑わいを取り戻しつつあった。王城から一度は消え去った白い旗も、今ではラストア王家の紋章を描いて、再び風に靡いていた。


 ただ、ラインハルトの姿だけは、何処を探しても見つからなかった――。



 此処には思い出が多すぎて、ふとした瞬間に哀しみに押し潰されそうになる。
 だから、ハインツは自ら志願して国境での任務に就いた。そして任期を終えると、すぐさま次の赴任先を志願した。王都から出来るだけ離れた場所を――。

 王都に戻っている僅かな時間、ハインツは必ずこの小高い丘に足を運んだ。
 ラインハルトへの想いを初めて自覚した場所である。
 そして、ラインハルトの想いに気付いてしまった場所でもあった。

 夕陽が美しいその丘には、今や見渡す限り墓碑が立ち並ぶ。
 その中に刻まれた『ラインハルト=フォン=アウエンバッハ』をいう名前を何度見ても、ハインツはラインハルトという存在を過去のものには出来なかった。
 哀しみは少しも薄らいではくれない。
 そして、後悔の念も――。


 失うことばかりを恐れて、先に進み出せなかった。
 真っ直ぐに向けられたラインハルトの想いに、答えることが出来なかった。

 『愛している』
 そう告げられた時、どうして逃げ出してしまったのだろう。
 答えていれば、傍にいれば、違ったかも知れない、変わっていたかも知れない。
 今も隣で、ラインハルトが微笑んでいたのかも知れない。

 閉ざした瞳から、涙が零れ落ちそうになる――。


「ハインツ?」
 不意に背後から声を掛けられ、ハインツは現実に引き戻された。
 瞳を開くと、ラインハルトの墓碑が飛び込んで来て、胸が軋んだ。
 小さく一つ深呼吸をして呼吸を整えてから、ハインツは声の主を振り返った。そのまま片膝を付き、礼の姿勢を取って頭を垂れる。

「ご無沙汰をして、申し訳ございません。殿下、……いえ、陛下」
「どっちでもいいよー」
 相変わらずの暖かみある声で、フリードリヒはそう答えた。そうして、ほんの少し引き摺る足でフリードリヒはハインツの元に近付いた。傍まで来てしゃがみ込み、ハインツの黒髪をそっと撫でる。

「陛下? まさか御一人でいらしたとかおっしゃらないでしょうね?」
 前国王であった父と皇太子であった兄を同時に亡くし、フリードリヒは止む無く王位の座に就いていた。それでも相変わらずの奔放ぶりに、少々どころかかなり手を焼かれていることも伝え聞いていた。そのため、ハインツに側近に返り咲いてほしいとの要請も後を絶たない。多分、それもフリードリヒの目論見の一つではないかと、ハインツは密かに邪推しているのだが。

「まさかー、ちゃんとお供を連れているよー」
 陽気な声がそう答える。俯いたまま視線を巡らせると、かなり後方に生真面目に立っている若い騎士らしき人物の姿が見えた。微かに見える褐色の短髪が何処かラインハルトを思わせる。どくんと鼓動が跳ねるのを感じ、ハインツは慌てて視線を外した。

「至急の用事だって、書いてなかったっけ?」
 フリードリヒが膨れ面でそう告げる。
 確かに、先日受け取った手紙にはそう書かれていた。しかしつい先日も、『緊急の用』とのことに早馬で王都に帰還したハインツに、『早く会いたかったから』と答えて見せたのもフリードリヒである。
「着いたのは、深夜近くでしたから」
 一応理由を付けてみるが、王城に向かわず今ここで朝陽を見ている理由にはなっていないことも、ハインツには判っていた。

「王城に、来たくない?」
 突然図星を指され、ハインツは息を詰まらせた。
「いつでも迎える準備は出来ているのに……。異母兄上(あにうえ)とは呼んでくれないのかなぁ?」
「嫌です」
 即答され、フリードリヒが苦笑する。だが、フリードリヒも、復興したばかりのラストアに混乱を持ち込みたくないというハインツの想いは十分理解していた。そして、ハインツがラストア王国を愛し、その全てを守ろうとしているその理由も判っていた。

「可愛いなー、もう」
 そう言って、フリードリヒはハインツの黒髪をくしゃくしゃと撫でた。

「ハインツ、」
 一瞬言葉を止め、暖かい、そして真っ直ぐな目で、フリードリヒはハインツを見つめた。

「陛下……?」

「今でも、ラインハルトを愛している?」
 突然、その名前を告げられる。
 この6年間、互いに決して口にしなかった名前だった。動揺を隠せず、ハインツが瞳を見開く。

 薄紫色の瞳に、朝陽を浴びた緑色の若草が輝くのが映っていた。立ち並ぶ墓碑の間を擦り抜ける風が、その若草を揺らしていく。

「……ライン、ハルト」
 微かな声で、ハインツは6年ぶりにその名を音にした。

 途端、胸が痛む。
 息が出来ない。

 ラインハルトが占める大きさを、改めて知った。

 生きていかなくてはならなかったから、その想いを必死に固めて小さくしてきた。そうして、無理矢理胸の奥に仕舞い込んだ。それが一気に膨れ上がってくる。

「ラインハルト……っ」
 一旦溢れ出した想いは、最早元の大きさに抑えることは出来なくて、喉を付いて次々と溢れ出して来た。

「ラインハルト、……ラインハルト……っ」
 フリードリヒの腕の中、ハインツは堪え切れない嗚咽を漏らした。
 フリードリヒの大きな手が、ハインツの頭を何度か撫でていく。


 朝露を含んだ若草の上に、朝陽が美しいシルエットを作り出していた。

 どのくらいそうしていただろう。
 ハインツの呼吸が落ち着くまで、フリードリヒはただ一言も口にしなかった。ただ時折、ハインツの頭や背中をとんとんと叩いてやっていた。


「すみませんでした」
 涙をぐいっと拭って、ハインツは顔を上げた。
 その頬に微かに残る涙の跡を、朝陽が照らし出していた。微笑んでみせる薄紫色の瞳には、未だ深い哀しみの色が浮かんでいる。

「ラインハルトは果報者だね」
 ハインツの頬に残る涙を拭いながら、フリードリヒはそう微笑んだ。


「でも、これから先は、一度たりとも泣かせたら、承知しないからね」
「……え?」
 フリードリヒの言葉の意味が判らず、ハインツは小首を傾げた。その様子を灰色の大きな瞳に納めてから、フリードリヒはゆっくりと振り返った。

 その視線の先に、先程の騎士の姿があった。

 少し長めの剣を腰に佩き、背筋を伸ばしてゆっくりと歩いてくる。

「……まさ、か」
 朝陽を背負ったその表情はよく見えなかったが、近付いて来るその姿は脳裏に刻まれた姿とぴったりと合致していた。

「この間呼びつけたのはね、実は『竜の広場』に『聖剣』が還って来たからだったんだ」
 身動き一つ出来ず、視線を奪われたままのハインツに、フリードリヒが説明を加えていく。

「それから毎日、『竜の広場』に足を運んでたんだけど。……5日前だったかな? 突然現れてびっくりさせてくれたのは……。6年前の姿のままでね」
 そう告げて、フリードリヒは大きく一つ息を吐いて、立ち上がった。手を伸ばしてハインツの手を引き、呆然としたままのハインツを立ち上がらせる。

「さ、自分からお行き」
 ハインツの背中をぽんっと叩いて、フリードリヒはそう促した。よろめいて一歩踏み出したハインツが、フリードリヒに視線を向ける。

「今度こそ、声に出来る?」
 大きな灰色の瞳が、ハインツにそう問い掛けた。

「はい」
 きっぱりとそう答えて、ハインツは朝陽に顔を向けた。


「ハインツ」
 近付いて来るシルエットが、ハインツの名を呼ぶ。

 懐かしい、よく響く低音の声――。



 あの時、声に出来なかった想いがある。
 そのせいで、どんなに傷ついただろう、どんなに傷つけただろう。

 今度こそ、間違えはしない。
 勇気を出して、今、声にしよう。

 これから先、再び選択を間違うこともあるだろう。
 逃げ出したくなることもあるかも知れない。

 それでも、今この瞬間を大切にしたい。


「ラインハルト!」
 そう名を呼んで、答える懐かしい低音の声に向かって、ハインツは駆け出して行った――。


    ……Fin.




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 後記 


 テーマは、『言葉に出来ない想い』と『親友』でした(^^)
 親友の墓標に立ち、涙を堪える。第1話のシーンが書きたくて作ったお話です(^^) お陰でハインツの暗いこと(苦笑)。たぶん高瀬のキャラの中で一番後ろ向き性格です(^^;
 その他の設定として、ラインハルトの異母弟ジークディードという名前が登場しますが、そのとおり『精霊石シリーズ』の主人公の1人ジークのことです。彼は親友であったヴァイラスを追い掛けて祖国ラストア王国を飛び出しています。でもってロイと知り合い、『邪神降臨編』のラストでこの世界に光を取り戻したわけですね。興味を持って下さった方は、そちらも読んで下さると嬉しいです(^^) → 『精霊石シリーズ
 そちらにはヴァイラスが何故こんな行動に出ているのか、その理由にも触れてあります。
 もう1つの設定。ヴィルヘルム王とランツ(ハインツの義父)のお話もあったりします。ヴィルヘルムxランツで(^^) ちなみにハインツの義兄もランツの実子ではありません。義母の連れ子です。いつか書きたいなぁ……(笑)。
 ともあれ、最後までお付き合い下さり、本当にありがとうございました!!
     高瀬 鈴 拝