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美しい都だった。
初めてラストア王都に来た日のことは今でも覚えている――。
巨大な王都全体を囲う外壁をくぐると、煉瓦造り街並みが姿を現す。職人や農民が住まうその地区はいつも活気に満ち、生命力が溢れていた。そこからさらに城門を2つばかりくぐると、石造りの旧市街に入る。古い石畳は王都の歴史を思わせ、同時に溢れる緑の木々たちと見事な調和を見せていた。
そして、迷路のように入り組んだその石畳を進むと、最奥に存在するのがラストア王城――。
澄んだ青い空を背景にして、荘厳なその王城には双頭の竜を描いた白い王旗が幾つもはためいていた。
そう、かつての王都ラストアは、本当に美しい都だったのだ――。
「何故……」
目の前の惨状に、ハインツはそれ以上言葉を発することが出来なかった。
城壁は完膚なきまでに破壊され、完全にその機能を失っていた。城壁の外にも内にも、夥しい数の死体が溢れている。その光景は大きな戦闘があったことを窺わせた。
ラストアの紋章を付けた兵士たちの中には、騎士隊服を纏う者たちの姿もあった。
ラストア王国はもともと軍事国家である。ほとんど戦争がなくなった現在でも、この地方最大の軍備を備えていた。
そしてまた、『騎士の国』という別名のとおり、ラストア騎士隊は他の周辺諸国とは桁違いの数を誇っており、その上十分な質も兼ね備えていた。
その騎士隊も守備する王都が、何故――。
理由は横たわる死体たちが物語っていた。
無数の死体の中には、カルハドール兵と思われる者たちも存在した。褐色の肌に紅い髪、曲刀を提げた者たちがそれであろう。カルハドール王国の侵攻なのである。この戦場にラストア兵士、カルハドール兵士の姿があって何の不思議もない。
だが、その中に、明らかに異常なものが混じっていた。
鎧を纏う白骨の戦士、明らかに腐敗した蠢く死体(もの)、そして、黒い翼や捩れた角を持つ異形の者たち――。
死者を冒涜し、魔物を召還する暗黒の魔術の匂いがした。
ハインツの背筋にぞくりと冷たいものが流れ落ちる。恐怖と不安に身体が支配され、全ての筋肉が硬直してしまったかのような錯覚を覚えた。
見開いたままの薄紫色の瞳に、街から上がる炎と黒煙が映っていた。何かが焦げる匂いが辺り一面に立ち込める。そして、遠く前方から、耳を劈く化け物たちの叫び声が聞こえてきた。
同時に後方からも地響きとともに、化け物たちの奇声が近付いてくる。
「まだ、来るのか……っ!」
拳を固く握り締め、ハインツは自らの太腿を叩いた。顔を上げて、遥か前方微かに見える王城を見つめる。そうして、一つ息を吸い込んで、崩れ去った城壁をくぐった。
煉瓦造りの新市街は、活気とは程遠い光景に変化していた。
街から上がる炎と黒煙、横たわる死体、半ば血に染まる街道――。
破壊と殺戮のみを楽しんでいるとしか思えないその惨状に、ハインツは吐き気を覚えた。
「王城へ! 王城の東に郊外に抜ける抜け道がある! 急げ!」
途中、かろうじて生き残った騎士や兵士、民の姿が見つけると馬上からそう声を掛ける。そのまま剣を抜いて、ハインツは奇声を上げる化け物を切り伏せた。どす黒い返り血が、ハインツの白い隊服を染め上げていく。
あまりの惨状に気力すら奪われ掛けていた騎士たちも、ハインツの声に反応した。最後の気力を振り絞って剣を構え、守るべき民たちの誘導を始めていく。
旧市街に入ると、街道は複雑さを増す。何本もある街道の中で、王城に辿り着くことが出来る道は僅か数本であり、それすらも複雑に分岐していた。上流階級の者しか知らないその道を、生き残った騎士たちは民を率いて進んだ。
その中の1本、王城へ最短距離で向かうその道を選んで、ハインツは息を吸った。
「俺が道を開く。後は頼んだ」
後ろを託し、一気に馬を駆っていく。
破壊された街の間に、王城の姿が垣間見えた。荘厳な王城からは既に煙が上がっていた。そうして、その煙の間に、黒い翼を持つ者たちが飛び交っているのが見えた。
「既に王城まで……? ……殿下、……ラインハルト!!」
不安に押し潰されそうになる。
何故こんなことになったのか――、今更考えても意味のないことだった。
ただ確かなことは、四千年の歴史を誇るラストア王国が、今まさに陥落しようとしているというその事実であった。いや、王城にまで攻め入られた今となっては、既に陥落したといっていいのかも知れない。
大国カルハドールが闇と契約を結び、こうも簡単にラストア王国を陥落させたのだ。
破滅への道を歩み始めてしまったこの世界は、いずれ闇に覆われるのかも知れない。
それでも――。
「生きていてくれ……!」
そう願いを込め、ハインツは真っ直ぐに王城へと向かった。
城門は開かれていた。
中に入ると、血に染まる白い騎士隊服が飛び込んでくる。その多くが既に事切れていた。
「ハインツ……?」
名を呼ばれ、ハインツは振り返った。
「ハンス!?」
近衛隊服を纏うその人物の元に駆け寄り、ハインツは膝を付いた。ハンスの腹部から大量の血が流れているのを確認し、同時にそれが致命傷であることも察する。
「来てくれたのか……」
そう言ってハンスは口元に笑みを浮かべた。
「砂漠を抜けて、奴らは押し寄せてきた……。応戦した。勝てない相手じゃなかった……。だが、突然、城内にも敵が現れた。不意打ちされた……。黒い化け物たちだ……っ」
ハンスの手がハインツの腕を掴む。
「陛下は討ち死にされた……。殿下を、頼む」
最期にそう告げて、ハンスは息絶えた。
「判った」
そう答え、ハインツは目の前の王城を見据えた。
あちこちから、耳を塞ぎたくなるような化け物たちの奇声が響いていた。
ほんの1年前まで、1日の多くを過ごした場所を走り抜けていく。その城内も既にあちこち荒らされていた。階段を駆け上がり、ハインツは真っ直ぐに目的地に向かった。
ラストア王国第2王子であるフリードリヒの居室である。
一つ息を吸い込んでから、ハインツはその扉を開いた。
「ああ……っ!」
心の何処かでまだ何かを期待していたのかも知れない。荒らされ、血で汚れされたその室内の様子が目に飛び込んだ瞬間、ハインツは全身から力が抜け落ちるのを感じた。
肩で大きく息をし、薄紫色の瞳に戦闘の跡を映す。
部屋の中には、5体の屍人形と2体の黒い翼を持つ魔物の死体があった。どす黒いその血はまだ乾いてはいなかった。その死体に突き刺さったままになっている短剣を手に取る。
柄にはアウエンバッハの紋章が刻まれていた。
「……ラインハルト」
室内にその姿はない。
「……隠し通路か」
『竜の広場』へと続く通路の存在を思い出し、ハインツは部屋の奥へと歩を進めた。案の定、その扉は開かれていた。だが同時にその通路の中に血痕が続いているのも目に入った。鼓動が跳ね上がる。
もどかしく思いながら、ハインツはその狭い通路を駆け抜けた。
程なくして出口が見えてくる。
そして、その声は、出口から差し込む光とともに、ハインツの耳に飛び込んで来た。
――生きていたっ!!
良く通る低音のその美声を、聞き間違えることはない。
喜べる状況では決してないはずなのに、歓喜で鼓動が高鳴るのを抑えることは出来なかった。
「ラインハルト! 殿下!!」
「……ハインツ!?」
フリードリヒが声を上げる。懐かしい大きな灰色の瞳が、ハインツの視界に飛び込んで来た。手を添えた左肩は紅く染まり、矢が刺さったままの右太腿からは血が流れている。
そしてその前方、巨大な魔物と対峙するラインハルトの姿があった。
背の高いラインハルトの倍近くあろう魔物の攻撃を楯で受け流し、そのままラインハルトが魔物の懐に飛び込む。そうして、ラインハルトは気合いの声とともに魔物の胸に剣を突き立てた。魔物の悲鳴が響き渡る。それでもなおその魔物はラインハルトに喰らいつこうとしてくる。
「ラインハルト!」
「来るな、ハインツ! 殿下を連れて逃げろ!」
ラインハルトの声に駆け寄ろうとした足を止めて、ハインツはフリードリヒを振り返った。
その時のことだった。
竜の広場に、耳を劈く獣の声が響いた。思わず空を仰ぐ。
蝙蝠のような羽根を持つ巨大な大蛇が、飛来してくるのが見えた。高く聳えた王城の塔の半分近くに及ぶその姿に、息を呑む。それは真っ直ぐにラインハルトのもとへ向かっていた。その背には真っ黒な外套に身を包み紅い瞳をぎらつかせる幽鬼の姿も見えた。
「ラインハルト!!」
そう叫び、ハインツは剣を握り締めた。
「お行き、ハインツ。私は大丈夫だから」
ハインツの心情を察したフリードリヒがそう後押しする。だがその様子は、とても大丈夫とは思えなかった。おそらく1人では歩くこともままならないだろうことは容易に推測出来た。
「……殿下」
「私は大丈夫」
フリードリヒが笑みを浮かべる。そうして、
「ほら」
指差したその先に、真紅の鱗に覆われた炎竜が飛来してくるのが見えた。
「遅いよ、エン」
不満そうに声を上げるフリードリヒの眼にも、エンが傷を負っているのは見て取れた。その姿が、ここまで来るのが容易ではなかったことを伝えていた。
それでも、鋭い爪と牙で大蛇と空中戦を演じる。程なくして、エンの圧倒的な力に大蛇は地に落ちていった。騎獣を失ったことに怒りを立ち上らせながら、幽鬼が広場に降り立つ。
恐怖に呑まれそうになる心を奮い立たせ、ハインツは剣を構えた。先程の魔物を倒してラインハルトも駆け寄ってくる。空ではエンが咆哮を上げていた。
次の瞬間、エンが一際甲高い声を上げ、地面に叩き落された。
見上げると、空間が歪んでいくのが見て取れた。
「……おや、まだ生きていましたか」
突然割って入ったその声に、ハインツは耐え難い恐怖を感じた。震える指先から剣が滑り落ちる。
そして、その歪んだ空間から、1人の青年が姿を現した。
神官衣らしき衣装を纏っているが、真っ白な神官衣などハインツはこれまで見たことがなかった。邪神に仕える神官が纏う衣装なのだと、うっすらとそう認識する。そうして、腰まで届くであろう銀糸の髪が、広場の向こうにある断崖から吹き上がる風に舞っていた。
微笑を浮かべたまま、こちらを見下ろしているだけなのに、見えない力で抑え付けられたような重圧を覚えた。ハインツの背中に冷たい汗が流れ落ちていく。
「……ヴァイラス」
漆黒の双眸にその神官の姿を捉え、ラインハルトはそう告げた。
ヴァイラスと呼ばれたその神官が楽しそうに笑みを浮かべる。
その名前には聞き覚えがあった。
『魔を喚ぶ銀髪を持つ存在』として、ラストア王国最大の神殿である、大地母神を祀るアマリーラ神殿に封印された子供――。
そうして、ラインハルトの異母弟であるジークディードは、ラストアから姿を消したヴァイラスを追って、近衛隊を除隊し国を出たのだと、ラインハルトから聞いたことがあった。
「やはり、お前か……」
ラインハルトの声に苦痛の色が混じる。
「驚くことはないでしょう? 『この世界を滅ぼす者』と、私のことをそう予言したのは、他ならぬこの国なのですから」
くっくと笑い声を上げて、ヴァイラスが片手を翳す。
「手始めに、私を育んでくれたこの国を滅ぼして差し上げましょう。王家の血の最後の一滴までも、許しはしませんよ」
ヴァイラスが手を下ろすと同時に、無数の矢が降り注ぐ。
「……くっ!」
フリードリヒとハインツを守るように立ち塞がり、ラインハルトは剣を構えた。同時にハインツも剣を構えなおす。
「ラインハルト!」
フリードリヒが声を上げ、手にしていた長剣をラインハルト目掛けて放り投げる。その剣を受け取り、ラインハルトは目の前で一閃させた。
降り注ぐ矢が消滅していく。
「聖剣、ですか……」
ヴァイラスが楽しげに笑みを浮かべる。
「誰もが使えるものではありませんよ」
その言葉どおり、生命力すら奪われそうな消耗感に、ラインハルトはその場に片膝を落とした。視線だけを上げて、ヴァイラスを見据える。
竜の広間に、ヴァイラスの高笑いが響いた。
一瞬を突いて攻撃を仕掛けたエンですら、片手で制され、血を流しながら地に落ちてきた。
圧倒的な力の差が、そこにはあった。
「貴方には、止められませんよ」
再び手を翳して、ヴァイラスは聞き慣れない言葉を紡ぎ始めた。
光が失われ、暗雲が立ち込めていく。
「確かに、私にはお前の狂気を止めることは出来ないだろう……」
「おや、殊勝ですね、ラインハルト」
「それはジークの役目だからな」
そう声にしながら、ラインハルトは長剣を頭上に翳した。立ち込める闇の中にあっても、その剣はなおも燦々と輝きを見せる。
「だが、大切な者は守ってみせる」
立ち上がり、ラインハルトは長剣を真っ直ぐにヴァイラスに向けた。
「何をするつもりだ、ラインハルト!」
気迫が立ち上るラインハルトの背を見つめながら、ハインツはそう声を上げた。
「お前を死なせはしない」
背を向けたままのラインハルトの声がそう告げる。
「ラインハルト!?」
「ハインツ、殿下を守れ」
それが最後に聞いた、ラインハルトの声だった――。
ヴァイラス目掛けて、真っ直ぐに駆けて行くラインハルトの後姿が、ハインツの薄紫色の瞳に映った。
そうして、ハインツの目の前で、ラインハルトはヴァイラスに剣を突き立て、ともに断崖へ落ちていった。
「無駄なことを……」
ヴァイラスがくくっと笑う。
「足止めになれば、それでいい」
そう答えて、ラインハルトも口元に笑みを浮かべた。
「エン!!」
フリードリヒの声に、傷ついたままのエンが宙を舞う。そのまま、エンは断崖へと姿を消した。
そうして、何も携えることは出来ずに、エンは帰ってきた。