Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



  

 第1話 夢……?


 うららかな午後。
 何処かで鳥が歌を歌っている。
 こんな日は何かいいことがあるに決まっている――。

 満面の笑顔を浮かべて、フリードリヒは目の前の窓をぱーんと開けた。
 案の上、気持ちのいい風が入ってくる。

「何やってるんですか! 殿下!!」
 突然入ってきたその風に部屋の中を荒らされ、怒る声がフリードリヒの耳に届いた。
(うん、その声もいい声だ)
 と、ほとんど反射的にそう思う。
(でも口に出したら怒られる)
 と思いながら、満面の笑顔でフリードリヒは振り返った。

 フリードリヒを年齢より随分と若く見せる、大きな灰色の瞳の中、少し長くなったハインツの黒髪が風に舞う。

「ああ、やっぱり綺麗だねー。ハインツ」
 思わず素直にそう言葉にしてしまう。
 ハインツの手がわなわなと震えているのがフリードリヒにも見えたが、綺麗なものは仕方がない。
 目の前で怒りを堪える美人は、実は案外と気が短いということも十分承知していた。自分がラストア王国第2王子であり、近衛隊所属のハインツが護衛すべき人物でなかったら、きっと殴られているだろう。
 理由はどうあれ、彼の中で自分が特別なのは少し嬉しかった。だから、ついからかってしまう。

(先日もラインハルトに『そろそろ殴られますよ、殿下』と言われたばかりなのに――)

「窓、閉めて下さい!!」
 怒りに震える手で、ハインツが飛んでしまった書類を掻き集めている。
 これ以上逆らうのはあまり得策ではない。

 フリードリヒがしぶしぶ窓辺に戻った、その時だった。

「猫だー!!」
 大きな灰色の瞳を見開いて、フリードリヒは叫んだ。

「馬鹿言わないで下さい!」
 背後からハインツの声が即座にそう答える。
 私にそんな口を訊くのはお前だけだと思いながら、もう一度気を取り直して、フリードリヒは窓の外を見た。

 その『猫』はやはり其処にいた。窓の外でふわふわと浮いている。

 少し考えて、『猫』と表現したのは間違いかも知れないと、フリードリヒはそう思い直した。
 少し毛足の長い白い獣は、猫にしては少し顔が長いような気がした。

(足もやけに太いなぁ……。うわ、鋭い爪……。抱くと痛そうだなー)
 などと考えていたら、ハインツの声が飛び込んできた。

「ここが何階だと思ってるんですか? それともその猫、空でも飛んでるんですか?」

(ああ、そうか。猫は空飛ばないか)
 と今になって気付く。
 でも、

「飛んでるよー」
 そう答えると、ハインツが驚いた様子で駆けて来た。

 『空を飛ぶ猫』という得体の知れない存在に警戒したのか、それともフリードリヒの正気を疑ったのか――。訝しげに見上げてくるハインツの顔は明らかに後者だった。

「殿下、遂におかしくなりました?」
 ずけずけとそう問い掛け、薄紫色の瞳が覗き込んでくる。

「ん? ホント綺麗だねー」
 その瞳に見惚れていたら、ぼかっと頭を小突かれた。そのままハインツに促されるように、窓の外に視線を送る。

「……あれ? いないねー」
 その『猫』はいつの間にかいなくなっていた。



「殿下、今夜のご予定です。いいですか?」
 呆れ顔と一緒に深い溜め息を落とし、ハインツが幾つかの書類を手渡してくる。
「んー」
「こんなの、文官の仕事だと思うんですけど……」
 何で俺が、とぶつぶつ言っているハインツは知らない事実だが、文官に手を回してハインツに予定表を確認する仕事をさせているのはフリードリヒだった。
(これなら、確実に会う時間を増やせるからね……)
 フリードリヒ自身、実に名案だったとそう思っている。

「ガリル王国の王太子がいらっしゃいますからね。こちらに着替えて、これに目を通して……」
 ハインツの話をぼんやりと聞きながら、フリードリヒはさっきの『猫』のことを思い出していた。

(あれ、やっぱり『猫』じゃない、よね……?)

「殿下? 聞いてらっしゃいます?」
「ん?」
「では日没にお迎えに参りますので」
「えー、もういなくなるの?」
「歓迎の舞踏会では殿下の護衛を致します。そのため下見に行って参ります」
 そう言って、綺麗に一礼をして背を向けるハインツの背中をフリードリヒは名残惜しそうに見つめた。
 扉のところでハインツが振り返る。
「出歩かないで下さいね」
 そう念を押して、笑顔とともにハインツは姿を消した。

(こんないいお天気に出歩かないなんて、勿体ないのに――)

 ふと窓の外を眺める。
 そこに、あの『猫』がいた。

「あれ……?」
 確認しようとした途端、急速に睡魔が襲ってきた。

(どうしたんだろ……? ……まあ、いいか)

 深く考えることは止めて、フリードリヒはその場に横になった。

(ふわふわと、浮かんでいる……?)

 隣で、あの『猫』がにっこり笑っていた。

『先程の方ですね? 貴方の求める人は』
 『猫』がそう尋ねてくる。

 何のことだがよくは判らなかったが、先程の方というのはハインツのことだろう。

(ならば答えはYESでいいのかな?)

 にっこり笑顔で頷いてみる。

 すると、
『……了解しました』
 と告げて『猫』は姿を消した。



「殿下!!!」
 叫ぶ声に目を開くと、すぐ間近にハインツの顔があった。

「あれ……?」
「あれ、じゃありません! あんた何でこんなとこで寝てんだ!!」

(ハインツ、それ、私に向かって言ってる?)

 ハインツの言葉遣いに苦笑しながら、フリードリヒは笑顔を浮かべた。
 その笑顔が何かに触れたのか、ハインツが怒りの声を捲し立てる。

 はあはあと息も絶え絶えに捲し立てた後、ハインツは衣装を突き出した。

「時間です。着替えます。行きます」
 短くそう告げて、テキパキと仕度をこなすハインツに引き摺られるようにして、フリードリヒは歓迎の舞踏会とやらに出席した。



 大広間は既に多くの人で賑わっていた。
 最奥に座する父王に挨拶を済ませ、続く上座に座る人物の前に向かう。

 南国らしい褐色の肌を持つ人々が、そこにいた。
 その中で、

(うわー。強そうな眼)

 意志の強そうな空色の吊り眼に釘付けになった。その強烈な存在感は間違いなく『王太子』その人だろう。
 身に纏う衣装に視線を巡らせ、自分の考えが間違いないことを確認して、フリードリヒは笑顔で近付いた。

「お初に御目に掛かります……」

(って、君、誰見てるの?)

 意志の強そうなその眼は明らかにフリードリヒを見てはいない。視線の先を確認し、フリードリヒは小さく頬を膨らませた。

(ハインツは駄目だよー。色目を使っても無駄だよー。ラインハルト一筋なんだから)

 心の中で舌を出してやりながら、自分のものなんだからーと言えないところに一人悲しくなった。

「お前か……」

 王太子がぼそりと呟く。
 ハインツを見る眼は、色目とは程遠い、怒りに似たものが感じられた。

(ちょっと、ハインツ、お前、何したんだ……?)

 ハインツに視線を送ってみるが、全く知らない様子で小首を傾げている。

 結局、何だかよく判らなかったが、それ以上口を訊くこともなく、歓迎の舞踏会は幕を閉じた。



 そして、その夜、フリードリヒは悪夢を見た――。




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