Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 笑顔の理由(わけ) 


「ロイを笑わすことが出来た奴に、金一封!」
 水の都エトゥスの、とある居酒屋での出来事。
 それは、ロイとジークが小さなこの街に来てから幾ばくかの月日が流れた、そんなある日の出来事だった。
 店の片隅で酒盃をぼんやりと眺めていたロイは、突如耳に入った自分の名に、声の主へと視線を向けた。
 ロイの視線の先、声を上げた当の張本人がこちらに向けて手をひらひらさせているのが見える。
 いつもの人懐こい笑顔を浮かべて――。

 彼の名前はフォード。
 ここエトゥス在住の、いわゆる『情報屋』である。
 もっとも、身軽すぎるその身のこなしから推測するに、単なる『情報屋』ではなさそうであるが。
 そこら辺の事情はよく分からないが、ただ一つはっきりしているのは、かなりの酒豪であること。
 何たってあのジークと飲み比べが出来るくらいである。

(……どういうつもりだ?)
 声には出さず、ただ怪訝そうな表情でフォードを見つめ、そうして、ロイは一つ息を吐いた。

 それにしても、本当に楽しそうに笑う。
 ざわめく人々の中心で、テーブルの上に胡坐をかいた格好で笑っているフォードを見て、改めてそう思う。同時に、笑い方など当の昔に忘れてしまっている自分自身に気づき、ロイはもう一度溜め息を零した。
 
(そういえば、この間、何か言ってたな……)

『折角いい顔してんだからさ、笑ってみりゃぁいいのに』
 数日前、そう言ってしきりに絡んできたフォードに、自分は何と答えたのか――。

『…笑う理由などない』

(――なるほど)

 フォードが起こした行動の理由(わけ)に思い当たり、ロイが口を開こうとしたその時、
「てめぇ、人の連れダシにして、何遊んでやがる?」
 大剣で自分の肩をとんとんと叩きながら入ってきたジークの姿を見て、フォードが一層楽しげに笑みを浮かべた。
「よぅ、ジーク。お前も参加しねぇ?」
「勝負になんねぇよ」
 短くそう言い捨てて、ジークが漆黒の双眸をロイに向ける。
 そうして、にやりと口元に笑みを浮かべて、
「ロイ、晩飯奢ってもらおうぜ?」
 楽しそうな声がそう告げた。
「……安すぎると思うが、」
 一言だけそうぼやき、溜め息を1つ。
 そして、ロイはふわりと笑みを浮かべてみせた。

 涼しげな青灰色の瞳を、ほんの少しだけ細めて、
 形の良い口元を、ほんの少しだけ綻ばせて。

「おおおっ……」
 ロイの微笑を目の当たりにした人々の口から嘆息の声が上がる。そして、ほんの一瞬で戻ってしまった――それはそれで十分に美しいのではあるが――表情に、名残惜しむ声がしばらく止むことはなかった。同時に、あまりにもほんの一瞬の出来事であったため、ロイの微笑を見逃してしまった気の毒な人たちの間から、残念がる悲鳴の声が上がる。

 ざわめく声の中、
「俺の一人勝ちだな」
 フォードがジークにそう耳打ちする。
 そうして、少しくせのある栗色の短髪をかき上げ、いつもの人懐こい笑みを浮かべて、怪訝そうなジークの様子を映したフォードの薄茶色の瞳が、一層楽しげに細められた。

「……お前の負けだな、ジーク」
 いつの間に近づいてきていたのか、ジークの隣でロイがそうぼやいて1つ息を吐く。
「そのとおり。俺は金一封やるとももらうとも言ってねぇぜ?」
 そう言って、片目を細めてみせるフォードに対し、ジークは小さく舌打ちを落した。そのジークの口元がほんの少しだけ嬉しそうに綻んでいることには気づかない振りをして、ロイはもう一度小さく溜息を零した。

 気付くと知っていて、フォードは誘いをかけたのだろう。
 そして気付いていて、ジークは誘いに乗ったのだろう。
 
 そうして自分は、判っていて、微笑んで見せた。


『……何故そんな風に笑える?』
 数日前、絡んできたフォードに、逆に問い掛けた台詞。
『楽しいことばかりではないだろうに』
 よく観察していないと気付かないことではあるが、フォードの身のこなしは、何処か特別な訓練を受けたものが持つ独特のくせがあった。それは自分ともジークとも異なっていて、おそらくは裏の世界に足を踏み込んだ者が持つものなのだろうと、何となく感じていた。もちろんフォード自身からはそのような印象は全く見受けられないのだが。
『楽しいぜ?』 
 そう言って笑みを浮かべるフォードにロイが小さく首を振る。
 そんなロイの様子を薄茶色の瞳を細めたまま、しばし見つめて、
『んー、大事な人がそう望んだから、てぇのはどう?』
 『格好いいだろう?』と付け加えて、フォードは静かに笑った。
 その笑顔に、一瞬だけフォードの本音を垣間見たような気がして、
『ま、ホントのところは、どうせ生きるのなら、楽しまなきゃ損ってぇとこかなぁ……』
 といつもの人懐こい笑顔を見せるフォードを、今度はロイが青灰色の瞳でじっと見つめた。


 大事な人がそう望んだから――。

『俺、笑っているロイの顔が一番好き!』
 何処か遠くで、アルフの声が聞こえる。
 祖国に置き去りにした、唯一人大切な従弟。
 どうしても失いたくなかったから、だから精霊石を手に全てを捨てた。
 精霊石を切り札にアルフの命を守る、それがあの時の自分に出来る唯一の選択だったから。

 今の自分は、アルフの笑顔を思い出すことすら、出来ない――。

(お前は今、どうしているのだろう……?)


「きっと、ロイに笑っていてほしいって思ってるぜ?」
 不意にフォードの声が飛び込んできて、ロイは顔を上げた。
 テーブルの上に胡坐をかいたまま、ジークと談笑しているフォードの姿が目に入る。

 ロイの視線に気付き、フォードはジークの首根っこに腕を回した。そしてそのままジークに何やら耳打ちした後、両手を頭の上で組んで一つ大きく伸びをしてから、とんっと立ち上がる。
「頑張れ、色男」
 最後にそう一言残し、手をひらひらさせてフォードはその場を去っていった。
 いつもの人懐こい笑顔で楽しげに笑いながら。

「……何なんだ、あいつは」
 ジークのぼやきに、ロイがくすくす笑みを零す。
 そんなロイの様子を漆黒の双眸に映して、ジークも口元に笑みを浮かべた。

                                ……Fin.




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