Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 賭ける額 


「じゃあ、こいつの身体で」
 このひと月、少なくとも俺の方は『恋人』だとそう思っていた男の口から飛び出たその台詞に、俺は声を失くした。
「ふうん……、年は?」
 テーブルを挟んで向こう側、ザインとかいう片目の男の視線に、全身を舐め回される。
「15だ」
 俺の隣で、事も無げにクイドがそう答えた。
「ま、いいだろ」
 交渉が成立したようだ。

「ちょ、ちょっと待てよ! クイド!」
 クイドの肩を掴んで、俺はやっと抗議の声を上げた。

 何で、俺が賭けられなきゃなんないんだ。
 あんたにとって、俺は何なんだよ。

「諦めな、ヴィ。俺、もう他に賭けるものねぇもん」
 肩越しに俺を見上げて、クイドがそう答える。

 なら、賭け事なんかしなきゃいいじゃないか。

 そんな当たり前の台詞を、声にすることは出来なかった。

 だって、クイドの笑顔が語っている。
 お前は、恋人なんかじゃない、と。

 薄汚れたこの街で、行き場を失くした哀れなガキを拾って、世話してみた。そうして、愛の言葉を囁いて、気紛れに抱いてみた。きっとただ、それだけのことなのだ。
 俺にとって蜜月だったこのひと月は、クイドにとってはゲームに過ぎなかったのだ。
 その瞬間、そう理解した。

 酒場のざわめきが遠のいていくような気がした。

 カラカラと乾いた音を立てて、サイコロが回っていく。
 腹が立つ。
 冗談じゃない、と駆け出してしまえばいい。この場から逃げ出してしまえばいい。
 なのに、それすら出来ない俺自身に、心底腹が立った。
 こんな風に扱われても、結局、クイドとの繋がりを、自分から断ち切ることが出来ないのだ。

「勝負あったな」
 ザインとかいう男がそう告げた。
 クイドはただ黙ったまま、1つ小さな溜め息を落とした。

 酒場のざわめきが、戻ってくる。

 クイドの手が、俺の手首を掴んだ。引き寄せられ、口付けられる。
「じゃあな、ヴィ」
 耳元でクイドの声がそう告げた。次の瞬間、背中をどんと押され、俺はまるで品物か何かのようにザインという男に、渡された。

「本気で、好きだったのに!」
 ザインの腕に引き摺られるようにして酒場を後にしながら、俺はそう叫んでいた。

 好きだった。本当にクイドが好きだった。


 俺の記憶は、ひと月前の路上から始まる。
 自分が何者なのか、それまで何をしていたのか、その全てが判らない。
 ただ、あの夜、俺の前の前に差し出されたクイドの手は、とても温かかった。
 それが、俺の世界の全てだった。


 酒場から出る直前、俺はもう一度だけ、クイドを振り返った。
 テーブルに肘を付いたまま、クイドはじっと俺を見送っていた。
 その口元は笑っていた。
 なのに、何故だろう。クイドが泣いている、そんな気がした。

 それが、俺が最後に見たクイドの姿だった。


 数日後、路上にクイドの遺体があった。

 天才的な賭博師と言われたクイドが、あの夜だけ見事に惨敗した理由は今でも判らない。
 ただ、クイドが亡くなった夜、俺を抱いた後、
「約束だ。お前のヴィは、何があっても俺が守ってやるから」
 紫煙の向こう、天を仰いで、ザインはそう呟いた。

 いつか、真実を知りたいと、そう思う。

 だって、俺は、本当にあんたを愛してたんだ――。

                                ……Fin.




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