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あの時――、
このまま死んでもいいと、そう思った――。
「……?」
薄暗がりの中で、フォードは瞳を開いた。その途端、左胸にずきんっと鋭い痛みを感じる。
「……っ!」
こんな時、咄嗟に息を詰めて声を殺してしまうのは、やはり昔の習性なのだろう。
そう思い、ふっと口元に笑みを浮かべて、フォードは周囲を見渡した。
そこは、天蓋付きの寝台の、やけに上等な布団の中だった。庶民には一生目にすることがないだろう、高価そうな調度品が目に入る。そうして、耳を澄ませると、乾いた風の音が聞こえた。
(――カルハドール王国、宮殿の中?)
それにしては小さな部屋だ。それでいてフォードが横たわる寝台は不釣合いな程大きい。
いくつかの記憶を辿ってみる。そうして1つ思い当たり、フォードは納得したかのように頷いた。
(ここは、カルハドールの後宮の1つか……)
そう思い至り、瞳を伏せてフォードは状況の分析を始めた。
その時のことだった。1つしかない入り口の扉が開かれた。
(――やはり、な)
扉へと視線を送り、部屋に入ってきたハサードの姿を確認して、フォードは自分の分析が正しいことを確信した。
つまり、だ。
あの夜、闇の神殿で重傷を負った後、ハサードに救出されて今まで介抱されていたことになる。
あれからどのくらい経ったのだろう。ジークとロイはどうなったのか。知りたいことは山ほどあった。
けれど――。
「……随分と世話になったらしいな」
いつもの人懐こい笑顔で、フォードはそう言葉にした。
突然掛けられたその声に驚いたのだろう、ハサードが手にしていた水瓶を床に落とすのが、細められたフォードの薄茶色の瞳に映る。
「あーあ、もったいねぇ」
一言そうぼやいて、フォードは身を起こした。その途端、胸に鋭い痛みが走る。それでも、フォードは眉一つ動かさずに、にっこりと笑顔を浮かべて、ハサードを見上げてみせた。
「……あんた、死に掛けてたんだぜ?」
寝台の元へまで近寄って来たハサードがフォードを見下ろす。
ハサードの色違いの瞳に、フォードの掴み所のない笑顔が映っていた。
――闇の神殿で深手を負ってから10日間あまり、生死を彷徨っていたはずの男が今目の前で飄々とした笑顔を見せている。
「……そんなに弱みを見せるのが怖いのか?」
ぼそりと呟いてみせたが、聞こえなかったのか、それとも聞こえない振りなのか、フォードは相変わらずの笑顔で周囲を見渡していた。
「……後宮、ねぇ……」
意味ありげにそう言葉にするフォードに、ハサードが溜め息を落とす。
「言っとくけどな、あんたを囲おうなんて恐ろしい考え、俺にはねぇよ」
「あっそ」
そう言って、フォードは寝台から足を下ろし、立ち上がろうとした。そのフォードをハサードが制する。
「もう一度言うがな、あんた、死に掛けてたんだぜ?」
「ん? ああ、致命傷だな。あれは」
元々暗殺を生業としていたフォードである。そこら辺は誰よりも判っていた。
同時に、咄嗟のこととはいえ、自分らしくもなく、急所すら外せなかったことにも気付いていた。
そうして、それが何を意味するのかも――。
ハサードという人間が、自分にとって特別な存在になろうとしている――。
(いや、初めて会った時からか……)
そう思い直し、フォードは茶色の瞳にハサードの姿を映した。
印象的な真紅と翡翠の瞳が、フォードを捉える。
「……で、何で起き上がろうとしてんの?」
フォードの瞳の中、ハサードは大きく溜め息を落とした。そして両手でフォードの肩を掴んで、ハサードはフォードの身体を寝台へと押し戻した。
「あー、今は抱かれたくねぇし。」
両肩を掴まれ、寝台に押し付けられるような格好で、フォードがハサードを見上げる。その表情は、相変わらずの掴み所のない笑顔のままで、ハサードはもう一度溜め息を落とした。
「……確かにここは後宮だがな、他にあんたを匿える場所がなかっただけだ」
ハサードの色違いの瞳が、フォードを見下ろす。
「もう一度言う。あんたを囲おうなんて恐ろしい考え、俺にはねぇよ」
砂漠の民らしい褐色の肌に、紅い髪が掛かる。そうして、その髪の間から覗く翡翠と真紅の双眸がフォードをじっと見つめていた。
その瞳は、一度見たら決して忘れることは出来ないだろう、強烈な印象を持っていた。
(……思い出したくもねぇ)
覗き込んでくるハサードのその瞳に、フォードの脳裏を閉ざしたはずの遠い過去の記憶が掠める。それを拒むかのように瞳を細めて笑みを作り、フォードはふと視線を外した。
(あれから7年、か……)
フォードには、忘れようとして忘れることが出来ない記憶があった。
暗殺者(アサシン)として、多くの命を奪ってきたあの頃、ただ一度だけ任務を遂行できなかったことがある。その結果、任務を放棄したフォードにもたらされたのは、“片目の喪失”だった――。
後悔だけはしない性質のフォードが、そのことだけは今でも悔やんでいる。
何故なら、片目を失ったのは、フォード自身ではなかったのだから――。
「……あんた、」
ハサードの声に急速に現実に呼び戻される。その呼び掛けに視線を向けることなく、フォードは小さく返事だけを返した。
「あんた、何で俺を庇ったんだよ」
視線を逸らせたままのフォードに追い討ちを掛けるようにハサードがそう問い掛ける。
「……さあな」
少し考えて、そう答え、
「眠ぃ……」
ぼそりとそう告げて、フォードは自分の肩を掴むハサードの腕を押し退けてそのまま寝布に包まった。
(……あの時、)
寝布に頭からすっぽりと包まって、フォードは1つ息を落とした。
(どうしても死なせたくないと、そう思った)
フォード自身、自分でも判らないままに身体が動いていたのは事実であった。そう、咄嗟に急所を外すことすら出来なかったほどに――。
闇の神殿の中、オルトの攻撃に胸を貫かれた瞬間のことを思い出す。
(……らしくねぇ)
ぼんやりとそう考えていると、不意に寝布が剥ぎ取られた。
「答えろよ」
そう告げるハサードに背を向けたまま、フォードは溜め息を吐いた。
「あー、止めてくんねぇ? さすがの俺でも今犯されると死ぬかも知んねぇぜ?」
「抱かねぇよ」
「……嘘吐け」
そう言い捨て、フォードはくるりと振り返った。フォードの薄茶色の瞳がハサードの姿を捉える。
乾いた風が砂を巻き上げた。その音が、やけに遠くに聞こえるような気がした。
小さな窓から糸のように細い月が覗く。僅かな月光が、2人の姿を何処か蒼く染め上げていた。
寝台の端に腰掛けたまま、ハサードはその色違いの瞳にフォードの姿を映し続けていた。
それはまるで、フォードの一挙一動を見逃すまいとするかのようであった。
「そんなに見つめるなよ。照れるじゃねぇか」
茶化すようにそう言葉にして、フォードはいつもの人懐こい笑顔を浮かべた。
「あんたは食えない人間だからな。……こっち向けよ」
「は? 向いてるじゃねぇか」
呆れ顔でそう答えるフォードの肩を掴み、ハサードが覗き込んでくる。
フォードの横に腰掛け、上体だけを捻るような形で、ハサードはフォードの身体を寝台に抑え込んだ。片方の手をフォードの左肩に、もう片方の手をフォードの右手首に置き、寝台に縫い付ける。
さしたる抵抗も見せずに口元に笑みを残したまま見上げてくるフォードに、ハサードは小さく一つ舌打ちをした。
「見せろよ、あんたの全てを」
至近距離でフォードを見下ろしながら、ハサードがそう告げる。
間近で見ても案外と整ったその顔が、変化することをどこか期待しながら。
それでいて、
(きっと、変わりゃしないんだろうけど)
いつもの、何処か掴めない笑顔を思い出して、ハサードは心の中でそうぼやいた。
しばしの沈黙の後、フォードが1つ息を吐く。
「…………やだね」
一瞬だけ笑顔を消したその顔で、フォードは小さくそう呟いた。
予想外のその台詞に、ハサードは色違いの瞳を見開いた。
フォードのことだからきっと適当にごまかしてくるとそう思っていた。
いつもの笑顔で、いつもの言葉で――。
ほんの一瞬だけ見せたその表情に、ハサードは胸がどくんと高鳴るのを感じた。
「仕方ねぇなぁ……」
そうぼやくフォードの顔は、もういつもの笑顔で、
「来いよ」
少し艶を含んだ声でそう告げて、フォードは片手をハサードの首に絡めた。
「……あんたなぁ、」
「ま、礼だと思って取っとけよ」
そのまま絡められるように口付けられ、ハサードは息を呑んだ。
滑り込んだ舌の感触が肌を合わせた一夜を思い出させ、ハサードの背中をぞくりと震えさせる。
「もうこんなになってるじゃねぇか」
ハサードの下穿きの中に指を滑らせ、フォードはくすりと笑みを零した。
「囲うつもりはねぇんじゃなかったのかよ……?」
「…………あんた、身体は?」
性急な動きでフォードの衣服を捲くり上げながら、ハサードがふと心配の色を浮かべる。
「そう思うなら、無理させんなよ」
露になった下腹部を滑るハサードの指先に反応して見せながら、フォードはそう答えた。そのまま誘うように片足を立てて見せる。
「……何処で覚えるんだ、そんな格好……」
フォードの仕草一つ一つに、実に熱が高まっていくのを感じながら、ハサードはそう悪態吐いた。
「経験豊富だからな」
と答えるフォードに、
「嘘吐け」
と短く答える。
先日肌を合わせてみて、気付いたことがある。
『この身体は、男を知ってるぜ?』というフォードの言葉と裏腹に、抱いてみたその身体はまるで生娘のようであった。
それでも、高まる欲望を抑えることは最早困難であった。負担を掛けないように注意を払いながら、ゆっくりとフォードの脚を拡げる。
「つらかったら、言えよ」
無駄だと思いながらも、ハサードはそう声を掛けた。
「あ、それ無理。いきなり突っ込まれても悲鳴上げねぇ自信あっから」
重ねた身体の下で、フォードがそう答える。
「……可愛げのねぇ」
「野郎に可愛げがあってたまるか」
そうぼやいて笑うフォードと視線がぶつかる。
薄茶色の瞳に、色違いの瞳が映し出された。
その瞳が何処か哀しげに見えるのは、自分のせいか、フォードのせいか――。
「……ッ!」
問い詰めようとした台詞を飲み込んで、ハサードは腰を抱く腕に力を込めた。
「……あん時、死んでも構わねぇと、そう思った……」
果てる直前、上がる吐息の中、フォードがぽつりとそう呟いた。
閉ざした薄茶色の瞳の奥、色違いの瞳が遠い記憶と重なり合うのを感じながら――。
……Fin.