Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 真実 


「あんた、男知ってンね?」

 不意に襟元を掴み上げ、路地裏の壁に押し付けるような格好で口付けた後、印象的な色違いの瞳を細めて、ハサードはそう告げた。すぐ目の前にある案外と綺麗な顔をした男の表情がどのように変化するのか、心の何処かで期待しながら。
 ハサードの期待に反して、いや予想通りというべきか、大して表情を変えないまま、フォードが一つ息を吐く。襟元を掴んだままのハサードを人懐こい瞳で捉え、自らは壁に背を預けたまま両腕を組んだ格好で。

 ――掴みどころのない男。

 それが、フォードに対する第一印象だった。


「……何だ、それが条件って言いてぇわけ?」
 しばしの沈黙の後、相変わらずの汚い言葉遣いでフォードがそう告げる。
 柔らかそうな栗色の髪の下で、薄茶色の瞳をほんの少しだけ細めて。

 条件。
 そう告げられて、ハサードは目の前の男が自分を呼び出した理由を思い出した。

『ロイの記憶を返すこと』 
 そして、
『今のロイに手を出さないこと』

「俺は構わねぇぜ?」
 返事をしないハサードの代わりに、フォードが口元に笑みを浮かべてそう付け足す。
 人懐っこい笑顔を見せるフォードの顔をしばし見つめ、ほんの少しの間を置いてハサードは口を開いた。
「……残念ながら、戻してやりたくてもあいつの記憶は俺には戻せない。手を出さないって意味がどういうことを指すのかは判らないが、俺はあいつをこれ以上傷つけるつもりはない」
 真実だった。
 自分の立場と、為すべきこと。それらを何一つ忘れたわけではない。
 それでも自分は、運命に抗ってみせるとそう告げたロイを見守ることを決めていた。
「……そいつぁ、予想外だったな」
 そう呟き、フォードが明らかな驚愕の表情を見せる。
 先刻、一瞬だけ見せた表情とは異なる、明らかな驚きの色。
 その表情の変化に、何故か嬉しくなって、ハサードは知らず笑みを浮かべていた。
 予想外。
 頭の回転が良さそうなこの男が、『ロイの記憶を戻せない』と告げた自分の言葉に驚くとは思えなかった。ロイの記憶喪失に関与しているだろう人物がオルトであることも既に察しているだろう。そして一見主従関係でありながら、自分にはオルトの行動を強制することが出来ないことも。
 驚愕の表情を浮かべた理由は一つ。
 『ロイを傷つけない』とそう宣言したことに他ならない。

「あんたの行動もな」
 笑みを浮かべたままハサードがそう付け足すと、
「……そうかもな」
 栗色の髪をくしゃりと掻きながら、フォードはそう答えた。

「OK。商談成立だ」
 一呼吸置いて告げられたフォードの台詞に、今度はハサードが驚きの表情を見せる。その様子に声を上げて笑いながら指を立て、フォードはハサードを促した。

「……抱かねぇの?」
 幾つかの路地裏を抜けて辿り着いた宿。
 その一室の薄暗い寝台の上、片膝を立てた格好で、フォードは一向に動こうとしないハサードに声を掛けた。
「何、考えている?」
 ハサードが問い返す。薄暗い部屋の中、フォードに視線を奪われたまま。
「商談」
 笑みを浮かべてそう即答するフォードの真意はハサードには判らなかった。
 『商談』が成立するはずがないのだ。
 『ロイを傷つけない』とそう本音を吐いた瞬間、フォードの目的は達成されていたはずだった。フォードが身体を張ることに見合う条件など、ハサードにはもう思い当たらなかった。

 それでも――。
 人懐こい笑みを浮かべる口元が。
 少し細めて自分を見つめる薄茶色の瞳が。
 柔らかそうに波を描く栗色の短い髪が。
 自分の中の抑え続けてきた何かに触れてくる、そんな錯覚を覚えて。

 気が付けば、ゆっくりと誘われるようにフォードの肌蹴た胸に手を伸ばしていた。

「……ふ……っ、」
 鍛えられた身体に指を這わせ、ほんのり色づいた胸の先端を口に含むと、フォードの吐息が髪に掛かった。ほんの少し身を捩るその身体を抑えつけ、そのまま舌で転がすように突起を弄ぶと、フォードが何度か大きく頭を振る。その汗ばんだ栗色の髪が乱れるのを色違いの瞳に映して、ハサードは引き締まった内腿へと手を伸ばした。

 フォードと肌を合わせてみて、気付いたこと。

 予想に反して行為に慣れていない身体と、
 それを否定するように刻まれた幾つかの情事の跡。

「……んっ……、」
 短く息を吸い込み、そうしてフォードが大きく背を反らす。ハサードの手の中に精を放ち、乱れた呼吸を整え、寝布を堅く握っていた手をようやく開いてフォードは頬に張り付いた栗色の髪を掻き上げた。そのまま、自分を見下ろす色違いの視線を受け止める。
 ほんのしばしの静寂の後、
「……来いよ」
 そう告げるフォードの身体を、らしくもなく性急に開いていく。
 苦痛と快楽が交錯するフォードの吐息を間近で感じながら、
 ただ、互いに視線を外すことなく、
 少しずつ掠れていくフォードの声に、追い立てられるように、追い立てるように――。


「……男を知ってると、思ってた」
 情事の後、考えるより先に口にしていたハサードの台詞に、フォードは目を丸くした。
「……知ってるぜ?」
 しばらくして答えたフォードの声にハサードは小さく首を振った。
「あ、もしかして初物じゃねぇと条件満たさねぇとか?」
 フォードが問い掛けてくる。くすくすと楽しげに笑みを浮かべながら。

 あいかわらず、フォードが何を考えているのか、ハサードには判らなかった。

 ただ、
「……わりぃ。お前を利用しちまったかも知んねぇ」
 去り際に一言だけそう漏らしたフォードの笑顔に、ほんの少しだけ真実を見つけたような気がした。
                                ……Fin.




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