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セレン王国。
1年のほとんどが雪で閉ざされた、小さな王国。
かつて、魔獣ザィアがこの世界を闇に変えた時、
4つの精霊石を手に、命を賭けて魔獣を封印した英雄がいた。
その名を、ディーン。
そうして、彼を慕い、生を共にした者たちが築いたのが、この国、セレン王国。
そう、彼の子孫を、そして精霊石を見守っていくために。
「此処にいたのか、ロイ」
声を掛けられ、ロイはゆっくりと振り向いた。光を浴びてほんの少し蒼く輝く黒髪が風に揺れる。
まだ成長しきっていない少年の身体。大人びてはいるものの、何処か幼さの残る顔立ち。
それでいて、その美貌は恐ろしいほどに際立っていた。
振り向いたその美しい姿に、声をかけたダンが溜め息を吐く。
「……何か御用ですか? 叔父上。」
静かな凛としたロイの声が、セレン城の屋上に響いた。
「相変わらず、美しいな。お前は」
ダンが近付き、逞しい右腕でロイの細い腰を抱き寄せる。そしてほんの少し身を捩るロイの白い顎を掴むと、ダンは薄く開いた唇に無理矢理口付けた。
「――ッ、」
ちりっと痛みを感じ、ダンが眉を顰める。その口元から一筋の血が流れ落ちた。目尻を上げたロイの瞳がダンを見上げる。
「叔父上、戯れはこの辺で」
無機質な声でそう告げて、ロイはダンの腕から滑るように抜け出した。そのまま背を向けて歩こうとするロイの腕を再びダンが掴む。
「本気だと言ったら?」
「……何を馬鹿なことを。あなたは王弟で、私は王の嫡子です」
幾分きつい眼差しでそう答え、ロイはダンの腕を弾いた。
「……では、そうでなくなればお前はどうする?」
「――え?」
楽しそうに笑みを浮かべるダンの表情に、ロイの身体を不安が駆け巡った。
ずっと気付いていた。
いつか来るかも知れないと予感していた。
それでもこの聡明な叔父が、思い留まってくれることを願わずにはいられなかった。
ついに――?
「……叔父上、まさか……っ、」
震える声で、ロイはそう尋ねた。
続く言葉は、聞きたくなかった。
「そのまさかだ、ロイ」
口元に笑みを浮かべたまま告げられたその言葉に、世界が暗転するのを感じながら、ロイはその場から駆け出した。
この時間なら、父は執務室にいるはずである。
全速力で階段を駆け下りる。
「……父上っ!!」
転がるように執務室に駆け込み、ロイは息を呑んだ。
広い机の横に、父王ミルフィールドの姿はあった。
両膝を落とし、片手で抑えたその口元から血を溢れさせている。
「……父上――ッ!」
駆け寄り、ロイはミルフィールド王の身体を支えた。零れる血がロイの衣服を赤く染め上げていく。
「しっかり……、しっかりなさって……、」
命の灯が急速に消えていくのを感じ、ロイは声を震わせた。何とか繋ぎ止めようと必死に手を握り締める。その時、ダンの笑い声が耳に届いた。
「何だ、兄上、まだ息があったか」
「……ダ、ン、」
苦しい息の中、それでもミルフィールド王は碧の双眸にダンの姿を捉えた。
「……馬鹿な、真似を。……こんなことで、……お前の欲しいものは、手に……入らぬ。……それが、判らない、か。ダン……」
怒りでも絶望でもない眼差し。
その視線を受けて、ダンは小さく舌打ちをしロイの細い腕を掴み上げた。
「手に入れてみせる。」
自分に言い聞かせるようなダンの低い声が部屋に響く。
その姿を見つめるミルフィールド王の瞳が悲しげに揺れた。
「……ロイ、愛しい、我が子……。すまない……」
最期にそう告げると、ロイに深い慈愛に満ちた眼差しを向けたままミルフィールド王は崩れ落ちた。
「……嫌だ、……父上ッ、」
父の最期を見つめ、ロイは小さく何度も首を振った。
最後に告げられた謝罪の言葉は、何に対して告げられたものか。
我が子を残して逝くことに対してなのか。
それとも、我が子のこれからの残酷な運命を思ってか。
崩れ落ちたミルフィールド王の左手の中に、翠色の球体が浮かび上がる。
――水の精霊石。
セレン王家には精霊石の所有者が現われる。精霊石に選ばれし者は、18歳を迎える日にその手の中に、精霊石が現われるのである。そして精霊石を手にするということは、王位を継承する権利を持つということを意味する。
現在の王家の中で精霊石を有する者は、父王ミルフィールドと叔父ダンフィールドの2人であった。
同世代に2つ以上の精霊石所有者が現われることは極めて稀なことであり、それだけに叔父がいつか父に取って代わろうとする日が来るのではないかと、ロイは常に危惧していた。叔父ダンは全ての資質で父王に劣らず、そうして野心も十分に持っていた。
ゴトッという音とともに、所有者を失った精霊石が床に転がる。だが次の瞬間、何かを拒むかのように精霊石は自ら大きく砕けた。そのまま四散し、遠く姿を消していく。
「何てことっ!!」
扉を開けて入ってきたメディナの叫び声が響く。
その叫びは、目の前の惨状に対して上げられたものではなかった。その証拠に、メディナの紅い瞳はただ四散した水の精霊石を見つめ続けていた。
この女……。
その瞬間、ロイは確信した。
メディナが何らかの意図を持って、精霊石を集めようとしていることを。
ダンの後妻として城にやって来た美しい女性。
自分を見つめるその視線が、ロイは苦手だった。
青灰色のきつい眼差しで、ダンとメディナを見据える。
冷たくなっていく父の身体を両腕に抱き締めながら。
「……相変わらず、可愛げのある眼だこと」
紅い瞳をすぅーっと細め、メディナはロイの耳元に口を寄せた。
「ロイ、お前には生きていてもらうわ。いいこと? 逆らうとお前の大事なアルフがどうなるか、賢いお前のことだもの、よく分かっているわね?」
ロイの耳元で、冷たい声がそう告げた。
長い夜が始まろうとしていた。