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―初恋1―
ぎゅっと手を握られただけで、とくんと鼓動が跳ねた。
どきどきが治まらない。
その理由は判っていた。
僕は、彼に恋をしている――。
ここ、『ガリル王国』は、別名『魔法王国』とも言われている。全ての国民が魔法使いであるとか、赤子でも魔法を使いこなすとか、そんな恐ろしい噂も囁かれているが、実際のところ他の近隣諸国と大差はない。ただ、異なるものといえば、王城の背後に聳え立つ、5つの塔の存在であった。それらは『古き光の塔』と言われ、その塔に囲まれた空間が、『塔の学院』と呼ばれる、平たく言えば、『ガリル王国立魔法学院』といったところである。
魔法使いになれる素質を持つ子供たちは、7歳になると試験を受ける。そして晴れて合格した者は、才能に応じてそれぞれの塔に入り、10年の歳月を掛けて先人たちの偉大な知識を学ぶのである。
リュイが、5つの塔の最難関、『第1の塔』の住人になったのは今から8年前。
その日、同じくその年に入学したカイと出会い、10年間を共に過ごすルームメイトになった。
「早くしろよ、リュイ! 遅刻するぞ!」
もたもたとしていたら、握られた手をカイにぐいっと引っ張られた。そのまま、カイはぐんぐん進んでいく。
同い年なのに、同じ物を食べているのに、同じ場所で生活しているのに、痩せっぽちで小柄な自分と異なり、カイは一回りは大きかった。成長期に入ってからというものその差はどんどん広がり、今では身長も頭一つは違う。
生粋のガリル王国人であるのだろう、褐色の肌と黒い短髪は、カイを更に男らしく逞しく演出していた。
「ごめん。先行っていいよ、カイ」
どう考えても足手纏いになっている――。
そう思って言ったのに、カイが足を止める。そうして、溜め息を落としながら、カイは振り返った。
「あのな、お人形さん。置いていけるのなら、とっくにそうしてるよ」
ぶっきらぼうに答える声。
でも、知っている。真っ直ぐに見つめてくるカイの夏空色の瞳は、いつも見てくれている。そのことが、少しだけ嬉しくて、そうして少しだけ悔しかった。
お人形さん――。
先輩たちがつけたあだ名である。
『ふわりと弧を描く金糸の髪に、雨上がりの若草を思わせる翠色の瞳。どう見ても人形だろ』
と誉めてくれたのは誰だっけ?
『いつもぼんやりしてて、掴み所がないからな』
そっちがこのあだ名をつけた本当の理由に思えるけど。
「俺が置いてったら、お前、絶対卒業できねぇよ……」
ぼやくカイの声が聞こえた。
―初恋2―
走る2人の耳に予鈴が届く。
握る手に力を込められると、鼓動がまた、とくん、と跳ねた。
「仕方ねぇな」
ち、と舌打ちをしたカイが、胸元から杖を取り出す。
一つ一つの仕草が、とても様になる。
そう思うのは、やっぱり恋しているからなのだろうか。
「ぼんやりするな、リュイ! 飛ぶぞ!」
「あ、うん」
そう言われて、慌てて杖を手にする。
流れるように呪文を詠唱するカイの姿は、やはりかっこいい。
その姿につい見惚れてしまう。
「あ、馬鹿、リュイ!」
ぼんやりしながら呪文を唱えるのは危険だ、そう何度も言われているのに――。
カイの叫び声に気付いた時には、既に手遅れだった。
『移動』の呪文は、2人を包んで、発動した――。
ぼんやりとしながら思い浮かべた移動先は、一応、『教室』ではあった。
ただし、カイが移動しようとしていた、『教室の後ろの方』ではなく、いつも見ている『教卓』――。
「あ……、」
正しくそこに置かれたお人形さんのように、『教卓』の上にぺたん、と座ってしまった。視線が集まってくる。
折りしも今日は2学年合同授業――。
既に教室に入っていた、他の同期生たち10名と、一つ上の先輩たち3名が、ぽかんと口を開けているのが見えた。
「……昨年度首席のリュイくん、そして次席のカイくん、派手な登場をありがとう」
にっこり笑顔で、教授に見つめられる。
どうしよう――。
羞恥に頬を染まる。もう泣き出してしまいそうだ。
「あ、先生、予鈴だから、セーフですよね?」
突然、カイの声が割って入ってくる。
そうして、頭をくしゃくしゃと掻きながら、カイは教卓の下から姿を現した。
「ほら、席に着くぞ、リュイ」
安堵の息を落とすと、大きな溜め息とともにカイに首根っこを掴まれた。そのまま、すたすたと席に向かって連れて行かれる。
程なくして、前から2番目の窓側にとん、と置かれた。ふうっと溜め息を落としてから、カイが最後列に去っていく。
傍にいてほしくて、そのカイの背中を見送った。
カイの隣で、綺麗な先輩がくすくすと何やら囁いているのが見える。
何を話しているんだろう――?
「……あげませんよ」
不機嫌そうにそう答えて、カイはもう一度大きな溜め息を落とした。
―初恋3―
「お前さー」
その日の放課後、図書館で課題をこなしていたところ、突然声を掛けられた。顔を上げるまでもなく、それがカイの声なのは判った。
「なあに? カイ」
答えながらも、左手は課題の呪文を書き取っていく。
「相変わらず、速ぇな。でもって正確だ」
カイに誉められると、何だか嬉しくなる。
誉めてくれるのならいつまでも書いていたい、そんな気持ちになりながらも、ちょうどその章が終わったので、ペンを置いた。改めて、カイを見上げる。
「お前さ、課題なんてすぐに終えちまうくせに、」
視線が合ったところで、そう切り出された。
不機嫌そうに細められた淡青色の瞳でさえも、カイのものだと思うと素敵に見えるから不思議だ。
「朝弱いくせに、何で夜中に起きてんの?」
その台詞に、どくん、と鼓動が跳ねる。
「知ってたの……?」
「そりゃ気付くさ。同じ部屋なんだぜ?」
カイの言うことももっともである。それでも、
「カイ、寝てたよ?」
上目遣いにそう告げると、カイは大きな溜め息を落とした。
今日、何回目の溜め息だろう……?
「あのな、寝たふりしてやってんの」
「……何で?」
若草色の瞳でじっと見つめると、カイがふいっと横を向く。
「何でって……。お前が、気付いて欲しくなさそうだったからさ」
「ふうん」
小首を傾げていると、カイは再びくるりと振り返った。
その表情は、若干怒りを増したような気がする。
「……怒んないでよ」
「お前相手にいちいち怒ってちゃ、身が持たねぇよ。……で、夜中に何してんの?」
どうやら誤魔化しは通用しないらしい。
長い付き合いである。こう見えてカイが案外頑固なことも知っている。
「……勉強」
ぽつりと答えると、カイの表情は明らかに不審そうなものへと変化していった。
「だってカイに負けたくないもの」
「ああ?」
「カイの隣にいたいから。傍にいて似合わないって言われたくないもの」
一気にそう言葉にして、大きく息を吸い込んだ。
鼓動がどきどきする。知らず俯いてしまう。
「ガキの頃からずっと一緒にいるだろ?」
カイが覗き込んでくる。
「今更、どうして?」
見つめるカイの空色の瞳は、何処か少し大人びていて――。
僕の考えていることなんて、カイはきっと判っている。
そう確信する。
でも、こうやって意地悪するんだ――。
「知らないっ!!」
どきどきする鼓動を抑え、ばんっと机を叩いて立ち上がる。気がつけば、その場から駆け出していた。
「人の気も知らねぇで……」
カイがそうぼやいたような気がした。