Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 魔法使いたちの恋 

 初恋 (後編) 


 ―初恋4―

 どうしてだろう、このどきどきを制御することは出来なくて。
 気がつけば、視線を奪われている。
 カイのことばかり考えている。

 鋭いカイが気付かないはずはなかった。

 それなのに、
「知らないふりなんて、ずるいよ……」
 そう呟いて、大きな夕焼けを見つめた。
 涼しい風が、柔らかい金髪の間を駆け抜けていく。

「“恋煩い”って、治す呪文ってないのかな……」
「……あるよ」
 独り言に返された声に驚いて、顔を上げた。視線を巡らせると、中庭の端にある長椅子に腰掛け、膝に置いた本から視線を上げてこちらを見つめる人物と目が合った。

「シン、先輩……」
 名を呼ぶと、シンはにっこりと綺麗な笑みを浮かべた。

 たぶん、この学院で一番綺麗な人じゃないかなと、そう思う。
 もっとも他の塔の人間は殆ど見たことがなかったのだが。

 短めのアッシュブロンドの髪は白い肌に良く似合っていて、涼しげな蒼い瞳も光の加減か少し灰色がかって不思議な印象を受ける。もともと上流階級の出身なのだろうか、その物腰には何処か品があって、憧れる後輩も後を絶たない。

 もちろんリュイにとっても、シンは、綺麗で優しく、尊敬する先輩だった。
 そう、少し前までは――。

 でも、最近は別の感情を抱いている。

 その理由は判っていた。

 事あるごとに、カイに声を掛けるから――。


「ホント、リュイってば可愛いな」
 ぼんやりしていたら、その綺麗な顔がすぐ目の前にあって、驚いて瞳を見開いた。
 次の瞬間、
「……え?」
 啄ばむように口付けられ、
「食べちゃいたいくらい」
 にっこりと笑顔を向けられる。

 何が何だかよく判らなかった。

 今のはもしかして、“キス”というものなのだろうか…?
 いや、そんなはずはない。
 唇にする“キス”は、恋人の証だと、そう読んだことがあった。


「教えてあげる。今晩僕の部屋においで」
 去り際、耳元でそう囁かれる。

「カイには内緒でね」
 最後にそう付け足して、シンは笑顔とともに姿を消した。


 ―初恋5―

 塔の最上階にあるその部屋は、最高学年に進学できたものだけに許されるもので、リュイたちの部屋より一回り大きい造りになっていた。
 初めて入るその部屋には、ほんの少し緊張感を覚えた。

「いらっしゃい」
 綺麗な笑顔にそう出迎えられたとき、既に不安でいっぱいになっていた。

 大きなソファの隅っこにちょこんと腰掛けながら、カイに相談した方が良かったのかな、とふとそんな考えが起こる。

「紅茶でいい?」
 考え込んでいるとそう声を掛けられ、慌てて視線を上げた。
 見上げると、にっこりと微笑むシンの姿が映った。

 その笑顔は、間近で見ても本当に綺麗だ。

 最近、カイの傍にいる姿をよく見かける。
 すらりと伸びた腕をカイの肩に掛け、綺麗な笑顔でカイの耳元で何かを囁く。
 端正な容貌を持つ2人の光景は、何処であっても描かれた一枚の絵のようにとても様になる。
 それがとても悔しい。

「どうかした?」
 ソファの隣に腰を下ろしたシンが覗き込んでくる。あまりに近すぎるその距離に少なからず動揺を覚えながら、渡された紅茶を口に運んだ。

 ごくり、と嚥下した直後、シンがくすりと笑うのが見えたような気がした。

 視界が歪む。

「これ……」
 言い掛けた言葉は、何かに呑み込まれてしまう。
 上半身をソファの上に倒され、覆い被さるシンに口付けられても、ただ瞳を丸くするしかなかった。

 今ひとつ、状況が判らない――。

「ふふ、予想通りの反応だね」
 唇を離したシンが呟く。
 何が予想通りなのか判らなかったが、
「本当の恋を、教えてあげるね」
 シンは、綺麗な笑顔でそう告げた。

「月睡草、知ってるよね?」
「……睡眠薬?」
 それが、『恋』とどう関係するんだろう……?
 ぼんやりとしながら素直にそう答えると、至近距離の美貌はにっこりと笑った。

「じゃあ、星宵草の効能は?」
「……疲労回復」
「さすがだね、リュイ」
 シンが満足そうに頷く。

「そろそろかな?」
 そう言って、少し灰色めいた蒼い瞳が細められる。
 小首を傾げて答えようとしたその瞬間、ぞくり、と身体に何かが走った。

 何故だろう、鼓動が速くなっていく。手足が熱を帯びていく。
 その熱は次第に身体の中心へと集まっていくようで――。

「……先、輩?」
 未知の感覚に不安が高まる。知らず瞳に涙が浮かんだ。

「月睡草を煎じて、ほんの少しばかりの星宵草の花の蜜を入れる。知っている人は少ないけどね、そうすると、媚薬になるんだ」
「媚薬……?」
「知ってる?」
 そう問われ、首を横に振った。
 その後はもう、何も考えられなかった。


 ―初恋6―

 先輩、何て言ったっけ……?
 星宵草……? 媚薬……?

 媚薬って、何……?

「あ……っ」
 そっと首筋に触れられると、薄く開いた口から声が零れた。

 何……?
 こんなのは、知らない……。
 身体が、変になる……っ!
「……怖い……っ」
 開いたままの瞳から、涙がぽろぽろと零れ落ちた。

 どうしていいのか、判らなかった。
 火照る熱を持て余し、縋ることも知らない手で自分の身体を抱き締める。

「あ、……カイ、助けて、カイ……っ」
 ただ、何かの呪文のように、何度も何度もカイの名前を呼んだ。涙腺が壊れたのか、溢れる涙は止まりそうになかった。

「よくお聞き、リュイ」
 耳元で、シンの声がそう囁く。
 攫われそうになる意識の中、ただ必死にその声に耳を傾けた。

「ちゃんと伝えないと、後悔するよ」
 ……後悔?

「卒業したら、離れ離れになるんだ」
 ……卒業したら……、

「二度とカイに会えなくなるんだよ」

「いやっ!!」
 思わず、そう叫んでいた。
「……怖いっ! いやっ! カイ、カイっ!!」
 胸の奥がすっぽりと抜け落ちていく、そんな恐怖に襲われる。
 胸に出来たその空白は瞬く間に拡がり、身体全体を覆い尽してしまいそうだ。

「……カイ! 何処? ……いやぁ、カイっ」
 何もない空間へと精一杯手を伸ばし、必死にカイを求めた。

 ふ、と空間が歪む。

「リュイ」
 突然、そう名を呼ばれた。空を掴んでいた手を握り締められた。
「カイ……っ」
 視界にカイが映る。
 不機嫌そうだ。夏空色の瞳を細め、唇を引き絞っている。
 それでも、カイに触れている、それだけで、ふ、と安堵感が湧いてくる。それに縋るように、がくがくと震える両手で、しっかりとカイの手を握り締めた。

「カイ、……離れるの、やだ……」
 媚薬、とかいう薬のせいなのか、どうにかなってしまった身体は最早、制御困難だった。
 熱に潤んでしまう瞳で、カイを見つめる。開いた唇からは、抑えきれない言葉が零れていく。
「怖い……、やだっ、どうなるの……っ?」
 必死にカイを映す瞳からは、止むことのない涙が溢れた。
 泣きじゃくる声はほんの少し掠れて、そうして次第に上ずっていく。
「あ、……何? これ、……怖いっ、あっ、……カイ、」
 身体の中心が熱を持って、何かを求めるのを感じた。


「そこらにいるんでしょ? 責任取って下さい。さもないと、シン先輩を食いますよ?」
 一段と低い、カイの声が聞こえた。
「……仕方ないな」
 ぼやくその声は、寮長であるタウ先輩の声のような気がした。

 そして、誰かの冷たい掌が額に触れるのを感じた直後、意識はふっと完全に途切れた。


 ―初恋7―

 頭がずきずきする――。
 身体のあちこちが痛い――。

 瞳を開くと、自分の寝台の中だった。

 まだ身体はふわふわしているようだったが、あの何とも形容し難い苦しさは消えていた。
 胸元に手を当てると、いつの間にか寝衣に変わっていた。
 カイが着替えさせてくれたのだろうか――。
 そう思うと肌が羞恥に染まる。

 視線を上げる。目に飛び込んだのは、窓際に並んだ2つの机。その左側にカイの姿があった。机の上に開いた本をぱらぱらと捲っている。
 窓から差し込む月が、そのカイの黒髪を照らしていた。

 カイが好き。
 ずっとずっと、カイを見ていたい。
 カイの傍にいたい――。

 だから、一生懸命、勉強した。
 カイの隣にいられるように――。

 この心地良い毎日が永遠に続くと、そう思えたのは、何故だろう。

 互いの出身地どころか、本名すら知らないのに――。
 知っているのは、この学院で与えられた呼び名だけ。互いの素性は決して明かしてはならない。もちろん、卒業後の行く先も、である。
 それがこの学院の絶対のルールであった。

 つまり、シン先輩の言葉どおり、卒業すれば2度とカイに会えなくなるのだ――。


「……どうしよう……」
 卒業までの時間は、後2年――。いや、正確には1年と半年もない。
 不安が込み上げてくる。

「リュイ?」
 小さなその声が届いたのか、カイが振り返るのが見えた。そのまま、とんっと駆け寄ってくる。

「どうした? まだ身体がつらいのか?」
 心配そうな夏空色の瞳がすぐ傍にあった。
「リュイ?」
 変声期を迎えてから、ぐんと大人びた、それでいてよく響くその声が、僕の名前を呼んでくれる。

 でも、大好きなその瞳も、その声も、1年半後には、傍にいないのだ……。

「痛い……」
 そう呟いて、両手で自分の胸をぎゅっと押さえた。涙が溢れてくる。
「……泣くなよ、リュイ。もう怒ってねぇから」
 カイの指が、目尻を拭ってくれた。
「……僕、」
「いいから。今日はもう寝ちまえ」
 吸い込まれそうな夏空色の瞳に見つめられ、続く言葉を飲み込んだ。

 身体に残る倦怠感とともに、意識が遠のいていく。

「心配するな。ずっと傍にいてやっから」
 そう告げるカイの声が聞こえたような気がした。

 この恋の行方は、何処にあるのだろう?
 嬉しさと焦りと、安堵と不安と――。
 どうすればいいのか、判らないことだらけ。

 でも、確かなこともある。
 僕は、カイが好き、ということ。

 それだけは、きっと変わらない――。




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