Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 白の桎梏 

 第1話 


「スイ、お前はもう要らない」
 それは、あまりに突然の言葉だった。
 リリアン王国の新国王となった兄イルリアンにそう告げられ、スイは瞳を丸くした。ただ驚くことしか出来ず、少しだけ翠がかった大きな灰色の瞳で兄を見上げる。そして、スイは僅かな光しか映さないその瞳に、兄の姿を捉えた。
 笑っている――、そう思った。
 その日のうちに、スイは城を出入りする商人に売り飛ばされ、数日後には闇市場に立っていた。手足を冷たい鉄枷で戒められ、小さなその台に立たされたその時、スイは『王子』という立場から『奴隷』という存在に転落したことを知った。
 16歳の時のことだった。

「さあさあ、極上品ですよ。ご覧下さい。この見事に手入れされた白金の髪……」
 そう告げる男に長いその髪を引っ張られ、スイは足元をふらつかせた。倒れ込むことすら許さない男の手が、スイの細い肩を掴む。そうして男はにやりと口元に笑みを浮かべてから、スイの胸元をぐいっと拡げた。月光に、真っ白な肌が晒される。
「どうです! この透き通るようなこの白い肌!」
 男の声が、興奮気味に震える。
「しっとりと掌に吸い付くような滑らかさ……」
 観客の反応に満足げに喉を鳴らし、男はスイの肌に触れてみせた。
(気持ち、悪い……)
 肌を撫でるその手の温かさに吐き気を覚え、スイは小さく身体を震わせた。僅かに身を捩り、苦痛の表情を浮かべる。その姿が、スイの『商品』としての価値を跳ね上げ、男は嬉々として瞳を輝かせた。そうして、観客の声に煽られながら、男は商品としてのスイの価値を次々と説明していった。 男が告げる言葉は、そのどれもこれもが、スイの容姿を賞賛する言葉だった。これまで身に着けてきた教養や、磨いてきた剣術の腕など、何の評価も下されなかった。そのことが、これから売られた先で受けるだろう扱いを、スイに如実に物語っていた。
 『性奴隷』――。
 その存在は、スイも噂に訊いたことがあった。
 広大な国土を持ちながらまともに統治すらしないのが、今のリリアン王国の特権階級である。そのため、地方を任された領主たちの無法ぶりに、国内は荒れ果てていた。生きていくために子どもを売る――、それが日常だと、スイもそう訊いたことがあった。
 だが、目の当たりにするのは、初めてのことだった。生まれてこの方、スイは王国の中心であり、一握りの特権階級しか入れない城砦都市スピルリーチから出たことはなかったのだから。
「…………」
 小さな台の上に立たされ、生来僅かな光しか映すことが出来ない瞳の代わりに、スイは黙ったままざわめく音を耳で感じ取っていた。その中で、一際スイの心を捉える声があった。跳ね上がっていく金額、興奮気味な商人の声、それらの全てがスイの耳から遠ざかっていく。いつの間にかスイは、力強いその声だけに意識を集中させていた。
「買った!」
 その声が、大きくそう宣言した。
 その瞬間から、その声の主が、スイの主人となった。

「ツォンさまを迎えるための資金ではなかったのですか?」
  静かな、幾分怒りを込めた声がそうぼやいた。
「まあ、そう言うな、シャオ。俺は、こいつが欲しかったんだ」
 青年の声がそう答える。それは少しの躊躇も感じさせない、そんな声だった。そして、力強いその腕にぐいっと引き寄せられたその瞬間、見えないスイの瞳に、何かが視(み)えた。
「――王になる」
 ぽつりと漏らしたスイの呟きに、シャオが息を呑む。1つに纏めたシャンの黒髪がざわり、と揺れた。
「は、は、はっ。その通りだ。俺はこの国を建て直す」
「コウさま!!」
 豪快に笑う青年――コウを、シャオの声が諌めた。その声の必死さが、スイが視たものが嘘ではないことを物語っていた。
 荒れ果てたリリアン王国を、建て直す――。それは同時に、現リリアン王国を滅ぼすということを意味する。そんなこと、出来るはすがない。だが、出来る、そう思わせる何かが、コウにはあった。
「ほら、価値ある買い物だっただろう?」
 スイを抱き寄せて、コウが笑う。
「……そなた、“先読み”か?」
 1つ吐息を飲み込んで、シャオが尋ねる。状況を把握しようと覗き込むその視線に、スイは無言のまま小さく頷いて答えた。
 普通の人間が見る世界を、スイの瞳は映すことが出来ない。だが、遠く離れた場所での出来事やまだ起きてもいない出来事を視ることは出来る。それが、リリアン純血種と呼ばれる者の能力だ。だがその事実を知る者はいない。それどころか、本物のリリアン人を見た人はほとんどいないだろう。純血種は、あの城砦都市の閉ざされた空間から外に出ることはないのだから。
「視える。あなたは――、王になる」
 視えたのは、一瞬の光景だった。だが、不思議な程そう確信できた。
 もう一度きっぱりとそう言葉にして、スイはコウを見上げた。




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