金剛禅総本山少林寺徳島渭東道院TOP
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TOP少林寺拳法とは少林寺拳法の思想

少林寺拳法の思想は逆算的に考えるとわかりやすいかと思います。

まず、理想社会の実現を目指したのですが、理想社会とは何かを考えると、お互いがお互いのことを思いやれるような社会(自他共楽)のことであると定義し、そのような社会を作り出すためにはそれを実現可能な力と思想が必要(力愛不二)であると考えました。なぜなら、どれだけ良いことを考えたとしてもそれを実現可能な力が無いのであればただの空想に過ぎないからです。

ではその実行力の主体が何であるかを考察すると人間個人という存在に行き着きます。

表層的には社会に影響を与えるような力を個人一人が持つのは無理で多数で構成された組織が必要のように思いますが、昨今の政治情勢・経済界の情勢を見ても幾多の例があるように、さまざまな考えを活動している多数で構成された組織であっても、その組織のトップに立つ人間の考えによっていか様にもその組織全体の方向性が変化するのです。

そのような影響力を持った人間を作るためにはまずはその人自身が自分に頼れる人間でなければならないのは当然です(自己確立)。殴られそうで怖いから等と考え他人に意見できないような人では当然影響力など持つことはできません。

そして自己を確立するためには、正しい考え・明晰な頭脳と強い肉体を持つことが必要であることに気づきます(拳禅一如)。

この拳禅一如を可能にする手段として少林寺拳法の技法は存在します。

また、開祖の言葉に「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」というものがあります。これは自分の幸せだけを求めるのは駄目だが、他人の幸せのためだけを求めるのもまた間違っているということを意味します。

なぜなら自己とは各個人における認識の主体であり、自分にとって自己とは、代わりになる者が存在しないという意味で代替不可能な存在であることからも、優先順位を第一位におかなければならない存在です。

それをないがしろにしてしまうことは、個々人にとっての倫理観・道徳心の主体への攻撃を意味し、価値の順位を間違っているために、真の幸福にはつながりません。

この自己とは何も一人の個人だけのことではなく、自分の家族・親戚・友人・国民・人類一般と言い換えてもよいでしょう。自分の家族よりも他人の家族を大事にするような人は、その前にやることがあります。

自分の子供がいじめられている時、自分の子供よりもいじめている子供を気遣って、いじめを放置してしまうことが正しいでしょうか。

そんなときまず自分の子供を助けるためにいじめを止めさせた上で、そのいじめっ子をも正してあげる、これが少林寺拳法の精神です。
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