飯田お遍路休憩所

お遍路さんの声



お遍路さんの声



 飯田お遍路休憩所の近くに(歩いて約1分)有名な藤の棚があります。









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  名  称 飯田お遍路休憩所

  所在地 高松市飯田町421番地 (82番根香寺・83番一宮寺の中間

 


お遍路さんの声


 飯田お遍路休憩所の近くに(歩いて約1分)有名な藤の棚があります。



 

 第82番札所 から、83番一宮寺  までの中間あたり、歩き遍路沿いにあるのが 『飯田のお遍路休憩所』・・・

 大阪で事業をしている河野耕作さんが2006年に 生家跡をリフォームしてオープンさせました。

 明るい休憩所内には、トイレ、ゆっくりお休みできる長椅子にテーブル、そして甘酢で付けた梅に飲み物サービスなど、

 歩き遍路さんにとっては嬉しい接待が受けられるんです。

 河野さんは普段は大阪在住なので、管理している妹さんの桑崎満智子さんに案内していただきました。


 住所は高松市飯田町421番地  休憩時間は6:00から18:00まで、ぜひお立ち寄りください。








本津川の堤防道に出て右折し、堤防道を進みその先の交差点を左折して木津川にかかる永代橋を渡る。



永代橋の中頃から高松市飯田町に入り、橋を渡り終えた右側の「顎無地蔵尊」前を通り、

右側に「飯田お遍路休憩所」看板。

入口ドアーには、「お遍路さん ご自由に休憩をしていって下さい」とある。

休憩6:00〜18::00 、休日 日曜・祝日そして、「御用のかたは ドアホーンを押してお話ください」との表示。 





http://home.e01.itscom.net/you99/image15092.jpghttp://home.e01.itscom.net/you99/image15093.jpghttp://home.e01.itscom.net/you99/image15407.jpg

中にに入ってビックリ!広いスペースに、整然と並ぶ座布団と椅子とテーブル、外には手入れの行き届いた広い

日本庭園、男女別々のきれいな水洗トイレ。

室内には、遍路するものにとって助かるものが、凄いお心配りで準備されていて、その一部を下記に紹介した。

ところで、この立派な遍路休憩所は、どなたに運営していただいているのでしょうか?休憩所玄関には、表札があり、

男女の2名の名前。

また、休憩所の前の石造椅子には、「平成17年建立で、施主は表札と異なる飯田町の男性の名前」が刻まれている。

どうも、公のものではなく、個人の方々のご好意のよって運営されているよう。あまり詮索するのも失礼にあたりますが、

休憩所といい庭園といいとてもきれいに維持管理されておられること、ただただ感謝あるのみ。ありがとうございます。



本津川を渡ったのが午前9時30分でした。「こんな立派なのに?」、頑張って歩こうと決めてまだ三分しか経っていないの

に、私はそう思ってある建物の前で足を止めてしまいました。看板に「飯田お遍路休憩所」とあって遍路休憩所でこんな立

派な建物を見たことがなかったです。

一の宮寺まで頑張って歩かねばならないのに、ついつい内部を覗いて見たくなりました。

鍵のかかっていない扉を開けて中に入ってみると、想像以上に豪華なあつらえで、まるで応接室のようでした。

大きなガラス戸の向こうには、手入れの行き届いた和風庭園が見えるようになっていました。



実はこの休憩所は、NPO法人「遍路とおもてなしのネットワーク」が進める休憩所増設事業の一環として誕生しました。

この事業に賛同した河野 耕作氏が私費を投じ、空き家になっていた民家を改築、2006年6月にオープンさせたのだ

そうです。

トイレを貸してくださっているのはもちろん、足を伸ばしてゆっくり休憩出来るスペースの他、シャワー設備まで付いて

いました。

この日は留守でしたが、近所に住む河野氏の親族が交代で遍路への接待をしてくれています。

またこの施設がオープンした頃は、根来寺から鬼無を得て一の宮寺へ至るルートには休憩所が一つもなく、歩き遍路に

ゆっくり休んで貰いたいと、いう河野氏の願いから改築に踏み切ったのだそうです。



この地域が接待の気風に富んでいることを物語っている施設ですね。

「今日は頑張って歩く。寝坊したからだけど」という決心がまだ辛うじて残っていたのか、私は見学するだけに留めて

休憩所を出ることにしました。



この辺りは住宅街になっていて、休憩所の角を右折、すぐまた左折するように促す遍路マークの道案内がありました。

この先は、根来寺から7.9Km地点の香東川の手前に田園風景もありましたが、川を渡ると高松市の中心までほとんど市街地なので、

何度も道を曲がらなければならない複雑な道路になっていました。

とにかく道に迷い易いので遍路マークを見落とさないよう注意が必要でした。



82番根来寺から5Km下った街中に飯田お遍路休憩所がありました。

おトイレも借りたくて、上がらせてもらいました。

そこは甘い梅の砂糖漬けと冷たいお水、お茶の接待、四国八十八ケ所巡礼小冊子が三冊ひと組が置いてありました。

「遍路の旅」、「歩き遍路」、「生き方」、歩き遍路が約45日かけて歩いた体験記を記載したものです。

短い文の中には人生が見えてきます。それそれに感じ方はちがうでしょう。



山上の霊場である81番白峯寺と82番根香寺ねごろじ)を経て、高松市街地の南方にある83番一宮寺(いちのみやじ)へ向かいまし
た。JR予讃線の鬼無駅(きなし)近くを通過、本津川を渡った東側、飯田町の民家の一角が、飯田お遍路休憩所となっていました.。



本津川を渡って直ぐのところに、民家を改造した、飯田お遍路休憩所が建っていた。

応接室と云った言葉がピッタリする豪華な造りの部屋に入ると、国分寺から白峯寺までご一緒した、

三重の「おへんろさん」が休んでいた。

彼は今朝「かんぽの宿を出て根香寺に向かい、そこから直接鬼無に下りる遍路道を歩いてきたようだ。

飯田お遍路休憩所を出ると、どちらからともなく又一緒に歩きだした。



83番一宮寺までは3時間以上かかるので、2回は休憩をとりたいと考えていたのですが、最初の休憩は山を降りたところにあった飯田お
遍路休憩所。ここはきれいな建物で、覗いてみると内部はゆったり休めるよう畳が敷かれています。

ただ、時間が早かったためか鍵がかかっており、建物の前にあるベンチで休んだだけでした。



朝一で根香寺(ネゴロジ)を打ち、山を下り高松市に向かう。途中飯田町という所に「飯田お遍路休憩所」の看板があり、

河野耕作さんの接待を受ける。

氏は自宅を改造し、お遍路のための休憩所を開き、茶菓子の接待をして下さる。

私もお茶と南高梅の梅干をご馳走になる。氏はお遍路が書き残したノートから「生きる喜び」という小冊子を編じ、

3冊のセットをいただく。

御礼を言い休憩所を後にする。



8:00 「飯田お遍路休憩所」に到着。戸が閉まっていましたが、地図が欲しいので、声をかけるとすぐに出てきました。

水と梅酒をごちそうになり、地図をもらい出発します。(結果、持っている地図よりもらった地図が正確でした。)



立派な休憩所があった。

「飯田お遍路休憩所」邸宅の一部を区切り、開放したように見える。さながら応接室であり、土足で上がるのを、ためらうくらいに、きれい
だ。清潔なトイレがあり、さらに湯茶の設備もある。イス、テーブルを始め、調度はすべて真新しい。

オーナーは、同じ屋根の下の、何処かに居られるようだが、もちろん顔を見せない。そう言うものだ。]

自宅を休憩所に提供するくらいの人は、皆さん奥ゆかしい。

置いてあったノートに、お礼の言葉を書いた。この際、美辞麗句は要らない。ただ「ありがとうございました」と書いた。

下手に字を崩してもいけない。心を込めて、楷書で書いた。

私これで、楷書なら得意なのである。



5キロ位山道を下りJR予讃線の鬼無駅(きなしえき)そばの踏切を渡った先の飯田町に立派な真新しい休憩所があった。

「飯田お遍路休憩所」と書かれており、梅のはちみつ漬けやお茶が用意されており、

洋式トイレも清潔で立派な庭園を見ながら休憩できるところで、歩き疲れた遍路にはありがたい休憩所だった。

高松市飯田町の河野耕作さんと言う方の私設休憩所と思われますが、テーブルにあった

「生きる喜び」と書かれた小冊子を納め札にお礼を書いていただいてきました。今でも大切に保管し読ませて

いただいています。ありがとうございました。



鬼無駅を過ぎて左折、しばらく行くと飯田お遍路休憩所があった。

河野耕作さんという方の建てられた遍路休憩所で、気軽に休憩出来るようになっていて有り難かった。

居心地がよく、先に通られたお遍路さんの書いたものを読んだり、一人だったので横にならせていただいた。

漬けた梅を三つもいただいた。



五色台みかん園の前を通り、アスファルト道をダラダラと下ると、1時間チョットで鬼無の住宅街に入ります。

JR予讃線の踏切を渡って10分ほど歩くと、「飯田お遍路休憩所」がありました。

最初の遍路では気がつかなかったので、最近出来たのでしょうか。トイレを借りて10分ほど休憩。



山には休憩するようなところが全くなかった。山を抜けてやっと休憩所を発見。有難いです。

飯田お遍路接待所.。ここは無人のようです。お手洗いをお借りし、置いてあったお菓子を有難く頂く。

置いてあったノートに納め札を貼って出発。

後から地域の冊子を見てわかったことですが、こちらは河野さんという方が自費で生家を改築して開設されたそうです