徳島県那賀郡上那賀町拝宮字白人谷1番地

                


拝宮谷川に架かる小橋を渡り、鳥居をくぐると
樹齢数百年の杉の古木をはじめ、ケヤキやカシなどの大木に囲まれ、神々しい雰囲気が漂う白人神社があり、
その境内に拝宮(はいぎゅう)の舞台があります。

白人神社の建立年代は現存している棟札のうちで最古のものは天正12年
(1581)のものだそうです。

折角の舞台でしたが前半は生憎の雨に見舞われました。それでも熱心な浄瑠璃ファンは濡れたベンチから最後まで立とうとはしませんでした。

後半の文楽人形とジャズのコラボレーションが始まる頃には、雨も上がり、
文楽人形師「吉田勘六」さんの熱演で舞台と客席が一つになり、
最高の盛り上がりを見せた舞台となりました。


拝宮舞台と本殿との位置関係
現在の舞台は神社本殿に向かって左手にあり、太夫座と蔀張を備えています。舞台裏のせせらぎが心地いいのですが、上演の際、太夫の声が聞き取りにくいということで、本殿の右手にあった舞台を現在の位置に移したといわれています。 
 このことから、舞台の太夫座が本殿に背を向ける形になっているのもうなずけます。
現在の舞台の建立年代は明治初期といわれています。
(神社本殿との位置関係))参照
   

ご祭神は瓊々杵尊(ニニギノミコト)だそうです。


舞台の特徴
舞台は間口6間、奥行き3間半の入母屋平屋造りで、正面には蔀張(ぶちょう)、上手には太夫座を備えている堂々とした舞台です。

その欄間には松に鶴の透かし彫りがはめ込まれています。また、舞台軒裏の木鼻には繰型の彫刻が施され、出桁を支えるところには枡組が使われるなど寺社建築の手法が使われています。

農村舞台の特徴として蔀張があります。舞台前面開口部の雨戸は上下に分かれていて、上部は普通の雨戸ですが、下部は前に90度倒すと吊り下げた足が、支えて上演時にステージを広げる役割をするようになっています。

ここ拝宮の蔀張は幅1.22m、長さ7.95mの一枚戸で出来ています。




演目


    
新作浄瑠璃「モラエス恋遍路」/人形浄瑠璃とくしま座
最愛のおヨネを亡くした後、おヨネの故郷である徳島で孤独に暮らすモラエスに、おヨネの姪のコハルは優しく接します。
おヨネの面影を宿し若さに輝く明るいコハルにモラエスは心を奪われます。そして、モラエスはコハルに指輪を贈り、一緒に暮らすこととなります。

そのような二人を身近に見守る智賢尼は、行く末に一抹の不安を感じていました。

時は流れ、コハルは幼馴染の佐吉の子どもを生みます。
裏切られた怒りと嫉妬から、激情に駆られるままにコハルを追い出してしまったモラエス。しかし、コハルはその後病にかかり、駆けつけたモラエスの腕の中で息を引き取ります。

再び残されたモラエスは、老いと孤独の中で、おヨネとコハルの菩提を弔いながら暮らしている。そこを訪れた智賢尼に、愛憎と無縁ではいられない人間の性への思いを語ります。

2007年徳島県国民文化祭のために、作家瀬戸内寂聴さんが創作された作品です。


えびす舞/拝宮谷農村舞台保存会
七福神の一つ、恵比須は、多くの日本人が信仰する福の神です。
人形浄瑠璃が盛んな阿波、淡路には今でも「えびす舞」という芸能が伝えられており、恵比須の人形が大きな鯛を釣り、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛などを祈願します。
 米作良うて豆作も良うて
よけも要らんのにトウガラシも良うて
岡は万作沖は大漁か五階の松に
鶴と亀とが一緒に舞い込む
鶴は千年亀は万年
お家は代々富貴繁盛
おさまるこの家はお目出たや



文楽人形とジャズのコラボレーション
                /吉田勘六+木偶舎+KIND OF BLUE
自然界を治める神々との交信の場となる境内、どこからともなく現れた神が舞台奥の神殿に佇む・・・これはご祭神「ニギニギのミコト」でしょうか?
変化に富んだ白人神社の境内を所狭しと飛び回り、野外舞台の素晴らしさを堪能。また、浄瑠璃といえば「三味線」といった概念から抜け出し、「ジャズ」と人形の見事なコラボレーション。
                     感動の一日でした。
     

                               

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Photographs「拝宮農村舞台」 「09拝宮農村舞台」から
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