名西郡神山町神領字本小野506 小野天王神社境内

神山町では江戸末期から明治にかけ、人形浄瑠璃が庶民の娯楽として盛んに行われ、小野地区も当初鮎喰川のほとりにありました
が、氾濫により流失してしまいました。

昭和26年、小野天王神社境内に現在の舞台が造営されました。
本県では数少ない吉野川流域の現存舞台です。

平成19年の徳島県下一円で催された「国民文化祭」を期に増改築
され、今年度(平成20年)より、毎月4月の第2日曜日を
定期公演の日と定め、地元寄井座の人形浄瑠璃や襖からくりなど
幅広い活動を復活させました。
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さくら野舞台と神社本殿との位置関係
本殿の前に舞台が設けられているこのかたちはA拝殿型といわれ、これは神への奉納を目的とした舞台であり、人形芝居に重点を置く本県では数少ない舞台だそうです。 (神社本殿との位置関係))参照

開演に当たって神主さんのご祈祷があり、襖絵にもご祭神「スサノオノミコト」が登場します。
  左:舞台   右:本殿 本殿
舞台と見物席
              
人形浄瑠璃「式三番叟」と「傾城阿波鳴門・十郎兵衛内の段」
人形浄瑠璃の部は、地元の寄井座(寄井大二座長)による「式(しき)三(さん)番(ば)叟(そう)」と「傾城阿波の鳴門 十郎兵衛内の段」が上演されました。

「式三番叟」は能の「翁」から始まったと伝えられています。
能の「翁」は神聖な儀式曲として、人形浄瑠璃芝居では公演の無事を祈って必ず最初に上演され、舞台を清める意味を持っています。

「傾城阿波鳴門」はお弓おつる別れの場がある「巡礼歌の段」が有名で、上演回数も多いのですが、今回は「十郎兵衛内の段」が上演されました。

「十郎兵衛内の段」では、おつるとお弓が別れたあと、十郎兵衛がおつると出会う。我が娘とは知らない十郎兵衛は、金欲しさに我が子に手をかけ殺してしまう。そこへお弓が戻ってきて、事情を知り、夫婦は悲嘆の涙にくれる場面です。

              

襖からくり
さくら野では明治30年代に描かれた百数十枚の襖絵が今も残っていて、町の文化財として保存されています。

一組8〜10枚の襖に、満開の桜や城、動物などの迫力ある絵が描かれていて、この日は十組が披露されました。三味線の演奏に合わせて、舞台の袖で保存会の人が紐を引っ張ったり、竹棒を押したりして、場面を転換。観客から大きな拍手を浴びました。




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