瑞麟山慈雲院丈六寺

徳島市の南に「丈六寺」というお寺があります。
永平寺を本山とする徳島県下で現存する最古の曹洞宗の禅寺で、「阿波の法隆寺」・「阿波の正倉院」とも称されている文化財の宝庫です。


春の桜、秋の紅葉時の丈六寺は本当に素晴らしいのですが、毎年11月1日から3日間は、本堂・庭園などが公開され、重要文化財に指定されている「聖観音挫像」や細川真之寄建立の観音堂も公開されます。

拝観を機会にHPに纏めてみました。どうぞご覧ください。

               
国指定重要文化財
【三門】・【本堂】・【観音堂】・【経蔵】・【聖観音坐像】・【細川成之肖像】

徳島県指定文化財
【書院】・【徳雲院】・【境内地】


徳島市指定文化財
【雲版】・【一切経】

順路に従いご紹介します。
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 境 内 ご 案 内 略 図


1 一の門

2 鐘楼門
3 二の門
4 せせらぎロード
5 戒壇石
6 石棺
7 宝物館
8 三門
9 徳雲院
10 本堂
11 書院
12 境内
13 僧堂
14 経蔵
15 茶室
16 観音堂
17 家老山田墓群
18 蜂須賀家政四女辰の墓
19 水野十郎左衛門母万
20 細川家・歴代住職・金岡用兼の墓
21 新開遠江守入道道善墓


奈良時代前期の白雉元年(650)に、天真正覚尼が創建し、朱鳥年間(688〜700)に丈六観音像が安置されて以来、尼寺であった淨楽寺を丈六寺に改められたといいます。

室町時代の文正元年(1466)、阿波、讃岐、三河の守護職であった細川成之が、再興して、真言宗を禅宗寺院に改め、芸州洞雲寺の高僧金岡用兼(きんこうようけん)禅師を中興開山に招き、寺領200石を寄進したといわれています。

本堂や観音堂など丈六寺にある多くの建造物が重要文化財に指定されているのですが、普段は扉が閉まっていて一般の人は中を拝観できません。

しかし特別公開が行われる3日間だけは観音堂や経蔵(きょうぞう)は扉が開かれ、本堂や書院にいたっては誰でも中に入ることができます。




 一の門から三の門へ


一の門


高麗門と呼ばれる形式の門で、近世以降に主として城門に多く用いられた日本で生まれた門です。

正面からは棟門のような簡単な形式の門に見えますが、角柱の本柱2本に冠木を渡して腕木で軒桁を支え、切妻屋根を置いた門です。

 内側からは控柱を立て、貫で繋ぎ、門を全部開けたときに、扉を保護するための小屋根を本棟と直角に設けています。


鐘楼
二の門の手前、下に鐘楼があります。寛文3年に作った鐘がありましたが、戦時中に供出されました。
ここの鐘は本堂の方と門の方の合図用の鐘でした。

二の門

丈六寺十六代住職の凸厳(てつがん)さんが書いた扁額があります。



戎壇石

三門の手前、橋の横に立っているのが戎壇石です。

禅宗寺院では戎壇を設けますが戎壇に見立てて門前に立てた石柱が「不許葷酒入山門」の石柱です。
これは匂いのきついニンニク、ニラなど精力のつくものや、酒を寺に持ち込んではならないという戒めを示しています。


せせらぎロード
三門の前を流れる用水は、勝浦川の底を通って対岸の田浦町から流れてきます。下流は西須賀・方上・大谷各村の水田に水を引く三か村用水と呼んでいました。
水辺には四季とりどりの花が咲き、せせらぎには錦鯉が泳ぐプロムナードになっています。


篋印塔

境内から出土した県下最大のもので、南北朝時代末の作だといわれます。
笠の下にあった1段は削り取られています。





宝物館・板碑・石棺

宝物館に向かって左側に立ててある板碑は建武四年卯月八日とあり、梵字を三つ縦に繋いだ珍しいもので、日本に3例しかないそうです。

右側には石棺が置かれていますが、これは丈六寺裏山の吉田山にあった丈領古墳から移した物です。
緑色片岩の組み合わせ式石棺で、堅固な構造にするため側石に溝が掘り込まれており、棺内には赤色顔料(朱砂)が一面に塗布されています。なお、経蔵前にも「小石棺」が移されています。

宝物館の中には国の重要文化財の「細川成之像」・「聖観音像の胎内佛」をはじめ、「雲版」「牽馬図」・「美人観楓図」など多数展示されています。

「細川成之像」は縦74cm、横31.1cmで室町中期の作。しじら織りの直綴に袈裟を着け、頭を剃った出家姿で、腰を掛けて両手で竹の杖を持った晩年の肖像画です。

「聖観音像の胎内佛」は身長32cm。大きい像を寄進した人が拝んでいた仏像と考えられています。


三の門(国指定重要文化財)

三門は室町末期の建築で、観音堂とともに本県最古の建築物です。

様式は建物を支える柱は上下の端が丸く削り取られている粽(ちまき)柱、柱の下の礎盤、火頭窓などに見られる禅様式(唐洋)を基調に垂木や二階の擬宝珠勾欄などには和様が取り入れられている、鎌倉・室町・桃山期への推移がわかる貴重な建物です。

三門の間口は3間(約5m)あり、二本の柱の間が三つの戸口になっている形式の三間三戸。側面は約3.6m、高さは約9m。三門とは三解脱門(さんげだつもん)の略で、煩悩から解き放たれた空(くう)、無相(むそう)、無願(むがん)の三つの境地に至る門との意味があるといいいます。

この門の幅は三間あり、三箇所とも通行できる仕組みになっています。中央は主僧又は貴賓が通り、次の人が右側、次の人が左側を通るきまりです。

本堂とその周辺へ