tosakin-no2.htmへのリンク


土佐錦魚その2
土佐錦魚その1に引用させていただいたものですが、徐々に土佐錦魚の飼い方ノウハウを乗せて参ります。
高知で土佐錦魚を天然記念物に指定し、絶滅から救おうと門外不出の土佐錦を各地に出したのは、かれこれ30年近く前のことです。今では先達のお陰で東京にも根付き、絶滅の危機は遠ざかりました。
 初め高知から東京に錦魚がやってきた時は大半を死なせてしまいましたが、中には明くる年に産卵させている人もいました。その人はランチュウの経験がありましたので金魚を移動する時の基本を応用していました。高知から送られてきた魚は前もって飼育水を新水にならしてあり、その上一日前から餌を与えていませんでした。魚の健康に気遣う心が感じられます。ビニール袋の中は一日二日たってもそんなに汚れていないので、水温と水質の調整をしただけでわりと苦労をしませんでした。ところが、高知の飼育家を巡り、あちこちから集めるようになると、それぞれ個性的な飼育法によって育てられた魚ですから並大抵では有りません。高知の人どうしでも「あそこの魚はよう飼わん」なんて言われる人も結構いました。高知は山近くの水と、海近くの水ではまるで水質が違います。そんな高知の難しい魚が東京に来たら大変、かくなる上は、最初から薬水を作ってなんとか乗り切りました。
 東京でも水質の違いはありますが高知よりは平均化されています。一日二日陽に晒せばかなり良質の水になります。10gに米粒大1個のハイポを入れても、錦魚がそれに慣れてしまえばいい訳です。どうもここの水は慣れるまで大変だと思ったら、最初は塩素を抜いた水に一掴みの塩や薬水を用意した方が無難です。1、薄い塩水、2、薄い薬水、3、さらした新水、4、古水割り新水、こんな候補が並びます。
 水が用意できた所で、酸素入りのビニール袋でしたら水に30〜60分程浮かべます。浮かんでいる間に柔らかく温度が合って行きます。次に袋の口を開けて池の水を少し袋に入れます。鼻上げさえしなければ気長に5分から10分かけて5回程してください。これは少しづつ混ぜて水質を馴染ませてゆきます。あとはソーッと池に開けて一段落。
 さて、土佐錦魚を他の金魚の中に入れたり、土佐錦魚の中に他の金魚は絶対に入れないで下さい。新しく来た土佐錦も前からいる土佐錦とはしばらく別に飼ってください。
 土佐錦の容器は表面積が大きくて水深は10cm〜30cm、理想は丸鉢ですが、大きな洗面器か、タライのようなもの、親は角鉢でもさしつかえ有りません。容器の収容尾数は30gの丸鉢に当歳で初夏30尾、秋2尾、四ヶ月の間に激しく変わって行きます。50g前後に二歳は8尾〜4尾、親は6尾〜2尾、大きさによりますが二歳と親はエアレーションをしてこんなものです。数多く入れ過ぎるとそれだけで病気になってしまいます。エアレーションは軽くして、水を動かすように強く深くしてはいけません。ここまでくるとエサを与えたくなりますが、ちょっと待って、一日〜三日あげないで下さい。ジッと我慢している間に、錦魚が水に慣れて行きます。四日目に少し与えて下さい。エサはイトミミズが一番ですが、人工飼料でも一週間に一度ほどイトメを上げれば大丈夫。五日目はもう少し増やして、こうしているうちに夏、日当たりの良い所では水が青くなってきます。水の汚れを睨みながら底水を半分抜いて替えてください。錦魚の動きが更に良くなり食欲も増すはずです。夏は割水も五割から四、三、二、一割と減って行き、日数も間が五、四、三、二、一日置、毎日と順調でしたら移って行きます。エサの量も一人前に上げてください。量は一日一回でしたら二時間程で食べ尽くすのが標準で、二回でしたら一時間位となって行きます。午後は食べさせないことが病気にならないコツの一つ。エサの食べ過ぎや天候不順で動き、艶、食欲が悪くなったり病気になってしまった場合は、直ちにエサを与えないで下さい。そして水が悪ければ替えてから塩を一掴み入れて一日たっても良くならなかったら薬を入れて下さい。日当たりと風通しの良い場所も元気の条件です。
 一連のことを通過しましたら自分の飼い方へ叙叙に移って大丈夫でしょう。ただ、ガラス水槽に一般的な飼いかたで、一年間生きていれば拍手を送れるほど素晴らしいことですが、フィルターを使って水に流れを作ると土佐錦であって土佐錦でない形になってしまいます。もし錦魚を良くしたい、良い錦魚を作りたいと私たちと同じ道を歩み始めたら遠慮なく質問して下さい。仲間としてお待ちしております。
                                                    東京土佐錦魚保存会
 さてここからどのように飼い、育て、殖やして行くかに付いて、載せる事としたい。しかし私など10年にやっと手が届いて、やっと殺さなくなったような未熟者がいかに飼うか等と論ずる事は憚られるので止しとして、『土佐錦魚保存会第2代矢野城桜(きろう)会長」の「土佐錦魚の四季」を御子息の許可を得て引用させて頂く。
 
春〜夏
 
春のめざめ  
『高知ゃ師走に梅ざかり」と歌には有るが、俗に九十九里の海岸線をもつ高知県が、どことも12月に梅ざかりということはない。新暦でなく、旧暦で考えてみても、室戸や足摺岬に近い海辺とか、特に日当たりの良い場所ならいざ知らず、高知の梅のさかりは、やはり2月にかかる。
 日本列島に前線が停滞し、それに沿って、低気圧が東に進むようになると、南方海上の高気圧から暖かな空気が流れ込んで時には17度・18度という異常な温度に包まれる。昔からいう三寒四温の温の訪れだが、そんな日には梅がいっせいに花を開く。そして、南国高知の人は、どこからともなく流れくる清らかな梅の香りに気づくのが常であるが、このような時にはトサキンも凄く活気づく。もともと体温のない彼らであるから、外の温度に対しては非常に敏感で、水面に群がってきては餌を欲しがってくる。冬場には、水の汚れも少ないので、余程の状態にならない限り水をかえる必要もなく、サイフォンでセメントの水槽に溜まった餌かすや糞を吸い出す程度にとどめるので、緑の苔が薄く一面に付着する。澄んだ水と緑の苔、そして日光と、春もどきのこのような環境の中で、トサキンは、その体色の赤さをいっそう増してくるし、当歳からようやくに年を越した魚でも、成長の早いものは思春期に移り、雄魚はその前鰭のへりに追い星といって、ニキビのような白点がつき、雌魚はとりあげて腹を指でおすと、異様な柔らかさを感じるようになってくる。
 
整  形  当歳を越したとはいっても、実際は生後9ヵ月くらいのものであるから、まだまだ魚体が不完全ではあるが、もう体長は尾鰭を合わせて7センチほどになり、ぼつぼつ整形手術をしてもいい時期でもある。一般に産卵直前には余り魚体を傷めないように、とはいうが、2月下旬から3月初めなら、多少のことはかまわない。
 トサキンの動きが活発になって気づくのは、いままで美事な体形と思って大切にしていたものにも、意外の変化が現れていることで、@左右水平に良く張って格好よく揃っていた尾鰭が意外と伸びなやんでいるものや、Aその反対に、驚くほど立派な鰭に成長しているものもあるし、B尾鰭の先端に極度の切れ込みの現れたもの、C良い尾鰭でも重なりのシワの入ったもの、Dいつの間にかやや片方につり上がりはじめたものなどが出る。
 @は、なお暖かさの増してゆくにつれ、よく餌を与えて丸鉢の中に飼い、静かにして置くと娘ざかりの花が咲くこともある。Bの俗にサクラという切れこみは、ないのに越したことはないが、微小なものは問題にならない。鋏で丸く切り落として置いても、これはなかなか良くなる見込みがない。人によっては、尾鰭の中央部の大きな筋を針ですきはずして、尾のつけ元から、その筋を切断するともいうが、筋がもと通り伸びた場合は、まず同じ形になることが多い。Cの場合は、中央の大きな筋が一緒に重なったものを俗にツマミというが、これは稚魚の時から判っていたはずで、残念だがどうにもならない。そのほかのシワは、尾のつけ元から針でつきさして、尾さきに引きおろすと扇形にその部分だけがはずれるので、そのつけ元を引き抜いておけば癒着してうまくゆくこともある。Dは、この時期には、角をためて牛を殺すの例えのように、絶対にいじらないほうがよい。産卵期も終わり、夏になって完全成魚になった時、つり上がった方の尾鰭をおし下げて脱臼させておけば,1カ月もすると完全に良くなり、これは簡単である。
 その他、片頬のくぼんだもの、全体がいずれか一方に湾曲するなどのことも起きるが、これは、この時点ではどうにもならないと思ってよい。エラ蓋の先端がカーブするエラゾリは、微粘膜の異常であるから、堅いエラの本体を傷つけないように、鋏でまるく切り取っておけば、案外とエラ穴の奇形を残さずに治癒するもので、余り心配はいらない。
 治  療  春先に、一番注意しなければならないのは、多量の餌をにわかに与えすぎないことで、これは胃腸障害や脂肪太りを起こし、斃死したり産卵率低下の原因ともなるのでよく注意する必要がある。
 2月を終わり3月に向かうと、いよいよ金魚のシーズンに入る。まだまだ気温が定まらないので、寒さに気をつけなければならず、ひとまとめで多くの魚を角い大きな水槽で飼う状態から解放するのは、3月中は早すぎる。なによりも大切なのは、昼夜の温度差で、うっかり油断すると、寒さに傷めてしまって、時には魚体に白いネバリのつくことがある。産卵前にこんなことが起こるのは、一番の悲劇で、『九仞の功を一簣に虧く」の恨みを残しかねない。万一このような病状を見せた場合には、フラネース顆粒という薬剤で短時間、魚体を洗うという即効的療法もあるが、症状が軽ければ、舌でなめてやや鹹いと思われる程度に食塩を水に溶き、たっぷりそれをひたした脱脂綿で手早く、魚体のネバリを拭きおとし、常温18度程度の水槽の中で、1週間もおけば完全に治癒するもので、これが最も簡単で自然な治療法である。塩水で魚を拭くと、多少魚に元気がなくなるかとが多いが、それは全くの一時現象で心配はない。
 
早い産卵  春の彼岸が過ぎて、割合と暖かい日が続くと、3歳4歳の成魚では、3月の下旬に産卵する事がある。特にビニール温室の中や、加温水槽を利用して冬場の飼育をすると、このようなことが起こる。こんな場合に、最も注意しなければならないのは、産卵時の水槽と、産卵後の孵化用水槽の水温を下げない事で、4月末から5月初めの水温を考えて、ヒーター調節をしないと、突然におこる外気温度の下降のためせっかくの卵が無精卵となって終わったり、たとえ受精して孵化しても、稚魚が寒さに耐えられずに死滅してしまうこともあるから危ない。
 
産卵と孵化 ソメイヨシノは、もう散ったのに、牡丹桜がいつ沈むともない太陽にほの赤く燃える。それでも、土佐の夏は早いので、4月も中旬を過ぎると、昼間はもう夏の気配である。じゅうぶんに給餌されるようになったトサキンたちは、満服の後にお互いの体を叩き合っては求愛のしぐさをしはじめる。やはり性欲は食欲の次ぎに起こるらしい。
 早く成熟したものは別として、多くの魚は、4月の下旬から5月にかけて第一回の産卵に移るのが普通で、バラの花の咲く、シットリと湿った朝など、6時〜7時ごろ必ず結婚の行進が行われはじめる。
 産卵には、自然交配と人工交配の2種類がある。自然交配の場合、注意しなければならないのは、折角の美しい魚体を傷めないことである。子孫増殖の情念に狂った多くの雄魚が、産卵して疲れ果て、水面に横に浮かんだ雌を突き上げて、エイエイと押してゆく光景がよく金魚鉢には見られる。見るも無惨であるが、こうなってはトサキンは駄目になる。そんな時には、早く雌魚を取り上げ、指で腹部を押してみて卵が残っていなければ、別鉢に隔離して休息さしてやらねばならない。
 人により、産卵に川の藻を入れる人も有るが、これは避けたほうがよい。というのは、川藻には必ずといってよいほど、黴菌やイカリ虫など、何かが付着しているので、大切な魚に病気を運ぶ危険性がある。棕櫚箒の古いものでよいから、棕櫚の毛を取って、灰汁抜きを兼ねて熱湯で殺菌してから使用するがよい。卵を完全に拾うことは難しいので、産卵完了後、すぐ親魚を別の水槽に雌雄別々に移す事をしなければ、折角の卵も親に食われてしまう危険がある。
 交配には、雌魚一つに対し雄魚2つは必要とする。というのも、金魚は産卵数が非常に多いので、雄魚の精液が希薄になのと、雄が一つでは不足する関係から是非そうするのがよい。更に、雄魚でも魚により精液の排出量がすくないものもあるから、3歳・4歳という、黄色い大粒の卵を多数に産卵する完全成魚の雌に対しては、特に精液排出量の多い完全成魚の雄魚を用意しなければならない。いかに魚形が良くても、この働きでは余り役に立たないものもあるから厄介であるし、又、雄はじゅうぶん発情していなければ駄目で、ある程度時間をかけて結婚の行進を続けさせておいてからでないと,徒に無精卵ばかりとる恐れが出る。このため、人工交配を行う場合は、なおさら雌雄を絞り合わせるチャンスが難しくなり、頃合を見計らう熟練さが必要とされる。
 人工交配では、先ず、結婚の行進が始まると、いい体形の雄を選び、最低三つをその水槽に入れる。突然に居場所を変えられた雄は、暫くはポカンとしているが、やがて異性を意識し始めて猛烈に雌を追い始める。少なくとも10分ぐらいその状態を続けさせて、まず、雌の産卵状態を確かめてから、別に準備しておいた普通家庭用の洗面器(琺瑯びきが良い。プラスチックものは、ホルマリンなどの成分が浸出してよくない)で、7分通り水を張ったもの(この水も同じ水槽の水をとるがよい)の中に雌を入れ、次ぎに雄を入れ、各一つずつそれぞれの手に(頭を手前にして)とりあげ、手をゆり動かしながら、静かに腹部を抱き合わせる形で圧迫すると、縄のような状態で輸卵管から出る卵と、煙のように広がる精液とが混ざり合うわけで、卵の数はなかなか多いから、手早く雄を次々と取り替えてゆかねばならないが、この場合、肝心なのは、洗面器の一部にのみ積み重ならないように広げて行く事である。もし、それを忘れると、折角受精していても、無精の腐敗卵と重なって、ともに腐ってしまう事になる。したがって、産卵数の多い時には、洗面器を二つ或いは三つ準備して、なるべく卵を散らすように気を配るがよい。
 朝の交配後は、直射日光の当たるのを避けて置き、その日の夕方に、洗面器に付着した他の汚物を、直接手を触れずに軽く水で洗って、新しい水を一杯補給し、やはり直射日光を避けて暖かいところに置いておけば、4月末から5月の初旬なら、4日〜6日で稚魚が孵化する。受精卵は透明で、日がたつにつれて黒い粒に変わってくるが、もし途中で腐敗卵の多い事に気づくなら、早めに別の大きな水槽に洗面器とも沈めこんでおけば、腐った悪汁を拡散させる効果がある。同じことは、孵化後の抜け殻の腐り汁についても言えるのであって、孵化すれば、なるべく早く、しかも稚魚に振動を与えないように、洗面器のみを水中から斜めに引き抜くことを忘れてはならない。
 
育 魚 
卵を破って出た稚魚は、暫くは余り活動を見せないが、やがて上に向かっての上昇遊泳を試みるようになる。稚魚養殖の成否は、孵化後の10日間にかかるとよくいわれる通り、この10日の間がヤマである。その間は強烈な日光からも、雨や風からも護ってやらねばならない。そのためには通風を良くするために一部をすかして、孵化用水槽にはビニール障子をかけてやるがよい。こうして保護された稚魚たちは、その腹部に、神から与えられた栄養分をつけているので、何も食わさずとも4日・5日は大丈夫、水平に水中を泳ぎまわり始め、食欲が出た頃に、鶏卵を堅く茹で、卵黄を取り出し、薄い絹目の布(女性用のナイロン・ストッキングの切れがよい)に少し包み込んで揉みながら、量を少な目に散布してやれば、1時間もすると、泳いでいる稚魚の腹部が黄色い卵の粉で一杯になっているのが見られよう。茹で卵を長持ちさせる為に、ビニールでくるんで冷蔵庫に入れるはよいが、それでもよく変質するので与える時は必ず注意しなければ中毒を起こす事になる。このようにして、吟味しながら、餌の与えすぎのないように、なるべく余分が水底に沈殿しないように心がけて更に一週間もすれば、稚魚は頭が大きいながらも尾鰭に変化が見え始める。次は生きたミジンコがあれば最適であるが、これが手に入らないとすれば、アカゴ(イトミミズ)を板の上でなるべく小さく切り崩し、茹で卵と同じ要領で布に包んで揉み与えておれば、だんだんと大きくなってくる。少し稚魚がしっかりしてくれば、乾燥ミジンコを細かく粉にして与えてもよいが、こうして孵化後二十日もたつと、もう選別にかからねばならない。もしそのままにすると、成長の早いトビゴが小さいのを食ってしまう弱肉強食の自然界の法則が支配して、一切が駄目になってしまう。まことに金魚の世界は惨酷であり、しかも、その成長の早いトビゴたるや、まるで怪物のような存在で、そんなものには、まず殆どといっていいくらい屑者が多い。
 奇形や駄金に近い稚魚の発生率は、やはり二年目になって始めての産卵という未成熟の親魚の卵に多く、よい魚は、3歳・4歳どころの雌魚から出る率が多いのは、選別に当たった人誰もが気づく事で、若い親から出る卵は無色透明で形も小さいし、余り欲張って魚に無理をさせずに翌年を楽しみにするほうがよい。
 大きな水槽からの選別は、初め洗面器に追い込んでごっそり取り、後は杓子ですくい取るがよいが、稚魚の成長につれ、回数を重ねて行くにつれてそのコツは会得される。これは根気の要る厄介な作業だが、形の整いの悪いものを捨てながら、大・中・小と選び分けてゆくのはまた楽しいものであって、初心者には、このあたりから、魚を見る目、つまり、将来よいものになるか否かを判別する眼力がつき始める。
 体長一センチにもなれば、背鰭の有無、尾鰭のツマミ具合などがよく分かるようになるが、一番難しいのは、尾鰭が将来立派のものになるかどうかの判定であって、八の字型のユトリのある柔軟な尾、サクラ尾でないものを選び出す事が大切である。こんな時からトサキンとして仕上がったような恰好の子魚にろくなものはない。
 6月下旬から7月ともなれば、餌に使うアカゴ(イトミミズ)の量も多くなり、飼育者には最も忙しい時期を迎える。だからといって、その頃に人工餌を与えては、どうしても成長が悪く、やはり、成長期には肉質のものがよい訳で、これを節約していては魚体にふくらみがつかず、痩せて長い魚になってしまう。この頃にアカゴを手に入れる労を惜しんでは、品評会での入賞魚をつくることは、まず覚束ない。朝方・昼・夕方の3回の給餌は是非続けたいもの。多忙な人では沈み餌といってアカゴを入れておく人もあるが、これは水中の酸素量にも影響するので避けたほうがよい。
 日照度の強い暑い季節で有るが、飼育の水槽もまたたいせつで,一センチ以上の体長になれば暫くは必ずスリ鉢形のセメント丸鉢を考えていなければならない。それは、余り長い直線コースを急スピードで泳がせていると、魚体に丸みがつかないし尾鰭の張りも悪くなるからで、静かに旋回させておくに越したことはない。しかし、これも、余り長期間そのままにして置くと逆に前に詰まって、ピーマンのような異常なずんぐりになるので、要は魚体が急速にできてくる時期と尾鰭のできてくる時期とを考えて、丸鉢・角鉢を上手に使い分けるようにしなければならない。
 この頃はまた、鉢の水が緑に汚れるのが早く、鉢そのものにも厚く青い苔が付く、これをそのままにすると、稚魚の成育が悪くなるので、この金魚鉢の丁寧な掃除が1週間に2回は必要となる。金魚の体は周囲の色に対応して変化する性質を持っているので、掃除をせずにそのままにすると、体色は青黒くなり、また、苔を餌にするので、どうしても太りが鈍くヤセぎすになってくる。勿論、金魚藻や水草などを入れるのも禁物。魚体に病気をつけたり、体を引っ掛けて体形を損なう事もあるから、何によらず異物を鉢には入れないこと。これは親魚についても同じことが言える。ただし、色変わりするときは別であって、このときには、緑がかった水の中を泳がせ、餌を余り多く与えないがよい。純白のトサキンは、白流れといって、いかにその体形が良くても、値打ちが半減するから特に注意する必要がある。
 次ぎに大切なのは、水換えである。他の金魚に付いても同じことが言えるが、特にトサキンは新水に弱いから、必ず、よくこなれた水に入れねばならない。洗った鉢に水道の水を張った場合、夏場日中の日向で1〜2時間置いた後に金魚を移すがよい。万一急ぐ場合でも、他の古い溜め水1、新しい水2の割合で混ぜ合わせて使用することである。真新しいセメント鉢を使うのなら、鉢の水に加里明礬を入れ4〜5日間灰汁どめをし(この明礬は多い目に入れてよい)、排水洗浄の後、他の汚れた緑の古水を張り、4,5日して水換えを行い、念のため何か他の魚を入れ、十分に試験をしてトサキンを移すのがよい。
 トサキンの夏は、全く忙しいの一語に尽きる。餌の手配から、金魚鉢の掃除、日照度の加減、朝早くから日暮れまで、勤めに出ていると、時には電灯の下で、夜の蚊にさされながら面倒を見るということにもなる。好きでなければできない苦労だが、明けても暮れてもトサキン・トサキンと、そればっかりが頭に引っかかるようでなければこの世話は出来ない。いい魚になれば何万円ともいえるだろうが、それも所詮、自分の飼っている目白に自分で値段をつけて喜ぶようなもので、ケチな欲心を起こすのは大間違いである。季節に拘わりなく、四季を通じて水に咲く美しい花。そう思って可愛がらなければ立派なトサキンにはならない。
 
品 評 会 7月から8月に移る頃は、品評会の日程が知らされるようになる。知人の飼っている金魚を見に行っては、その成長に驚き、落胆或いは奮起するのもその頃である。高知では中央公園がよく使われる。黒潮の海原を越えて寄せる南の風が、夏の日差しに灼けたセメントの地表を撫で、吹き上げる噴水の水しぶきに混ざって、緑の木陰と共に、この公園にはともかくも憩いの場所ができている。戦災を受けてから30年を越した今、周りの家並みにはもう昔は残っていないが、大正・昭和と続いてきたトサキンの品評会に集う人の心は昔もそのままで、青い空の下、灼熱の太陽を浴びて並べられた洗面器に注がれる目は、熱心に、美しい土佐の生命の凝縮ともいえるトサキンに集中する。この多忙な時代に、よくまあ閑な事といえばそれまでだが、そこにこそこの風土に育まれた土佐の心がある。
 老練な審査委員長の目を中心に、次々と選り分けられてゆく金魚たち、それを追うかのように期待と感嘆のうめきをもらしながら、数多くの人の目が並べられた器の列を進んで行く。3歳・2歳・当歳と分けて、それぞれの部門に金色の優勝・銀色の一等・赤色で二等と入れ終わった頃、またひとしきり出品者たちの批評するざわめきが始まる。
 品評会とは、トサキンの飼育者にとっては一つの大切な研修の会でもある。それというのも日常は自分なりの癖で飼っているものが、ここでは比較検討の場が与えられる訳で、長い魚体の好きな人も、短い魚体の好きな人も、本当のトサキンとはどのような形でなければならないかを、痛いほどその脳裏に叩き込まれる。そして、その血統や餌の与え方、飼い方などを学ぶことができる。それにしては出品料を出すにしても誠に安い授業料である。口を上品に細く育てるにはどうしたらよいだろう。赤い色を美しく濃くするにはどうすればよいのか。ある程度は血統もあるが、それを克服するには、どのような飼い方をしなければならないか。それぞれが、その人なりにやっているのであるが、品評会では、審査員によって出された結果から、逆に理想のトサキンへの飼い方を辿る事ができるし、遠慮なしにそれぞれの体験を聞く事もできるのであってひとり静かに飼っている金魚が、果たして良いか悪いのか、この場所を借りなければ判断はつかない。その意味で、品評会は、トサキンの愛好者には賞を貰うか貰えないかは別に、絶対になくてはならない会でもある。
 ビニール袋に納めた金魚をポリバケツに入れて、それぞれの方角に帰って行く人々の後姿を眺めながら、こうして、トサキンは更に美しく、より強いものになるのだと考えるのは世話役の人たちばかりであろうか。
 夏〜秋
 台風シーズン 高知県は台風銀座という。大自然は何時も平穏な顔だけしている訳ではない。昭和45年の十号台風といい、五十年の五号台風といい、恐ろしい自然の猛威にさらされた経験は誰もが持っている。十号台風は8月21日だった。全く予期しない直撃にその被害は大きかったが、床上を越す浸水と、荒れ狂う暴風雨の中に、家財の救出に懸命となって、金魚の救出までは手が回らなかった。取り残されたトサキンたちは、鉢を出てしまって、住み慣れない濁水の中をあちらこちらと彷徨ったことであろう。哀れな死骸が翌日に水の去った家の周辺に見られ、ようやくバケツに取り、入れてあった少数のものも、濁り水に痛められたのと、急遽汲みいれた水道の水に当てられて既に事切れていた。もう二度と金魚は飼うまいと、泥にまみれた金魚鉢を見ながらしみじみと思った事である。
 このような大水はまず希なことだが、浸水の危険のある地域では、それを予測して、或程度高いところに金魚鉢を据える事で、その位置が高ければ、冬場にはそれだけ日照条件もよくなるわけで、台風の季節に備えてのことだけでもない。雨風が荒いと、小さな鉢では必ず水全体が動揺する。こんな時には、事前に状況を把握していて、ビニール障子をかけ、更に横板を渡して煉瓦で重くするくらいの手配は必要である。そうしなければ、大切なペットを全滅させ、呆然自失することになりかねないし、屋根からモルタル汁などが落ち込むのを防いでおくのも用心の一つであろう。
 
秋とトサキン 高知では、当歳魚は十月一杯はまだ大きくなるという。だが、そぞろ秋めいてくると、もう5〜6月のようには急激な成長はしない。親魚は別にして、見込みの薄いものは処分したのだから、当歳魚も数が減り、じゅうぶんな栄養を与えられている。親子共に翌春への備えがこの頃から始まる。
 中秋の名月・彼岸の入りと聞けば、如何にも秋らしい感触の言葉であるが、高知の夏は長いので、新暦9月はまだ夏の気配が強い。コスモスの花は秋霖
(しゅうりん)前線の細かな雫がかかるようになって、漸くに秋の訪れを知るといってよい。十月に移ると、昼夜の温度差が始まり、金魚は温度に関する限り、温と冷の二つの世界に、24時間を二分して住まうようになる。当歳魚ではまだ変色しない黒いものが多い反面、綺麗に色変わりして一人前の顔をしたのも出てくる。その年の金魚の季節の週末を飾る品評会も秋に1〜2回開かれるが、親魚の整形手術はこの頃手っ取り早くやっておくがよいし、当歳ものでも、エラ反りなどの軽いものは一向に差し支えがない。
 一番恐ろしいのは、昼夜の温度差による病気の発生である。春の早い頃と同じように、夜の水温を暖かく保つ事に注意して、激変を避けなければならないが、外見上何の変化もないのに急に元気がなくなってくるのは、大抵この温度を考えずに無防備でいたために起こると思えばよい。ヒーターを使わないなら、夜間はビニール障子に板とか毛布をかける用意もしなければ、この頃を無事に越せない事が起こる。このような保温を上手く行うには、もう丸鉢をやめて角鉢に金魚を移し、夜の完全なむしこみのできるようにしておくことだろう。
 最近は熱帯魚飼育の流行により、数多くの薬品が出回り、金魚の病気に対する治療も楽になったように思えるが、実際にその指示道理に治療ができるかといえば、必ずしもそうではない。そこに飼育家の悩みがある訳で、全てが全て黴菌によるものとは限っていないので、こちらが首をかしげる例がいくつもある。まず黴菌には食塩と赤チンが一番手っ取り早いが、例えば鱗の逆立つ『松かさ病』等、鱗の下に黴菌の入ったものといっているが、これに正露丸(クレオソート)の小さい切れを口に飲ませて隔離しておくと治療する場合が多い。これなどは或いは胃腸障害が主原因であるかもしれない。その他に手っ取り早く治療するには、エラ腐りなど、エラを開いておいて抗生物質の入った目薬を1〜2滴たらしておくと速効があるし、常に薬を探して無駄をせずとも上手くやれるから、何事も研究である。
 
秋〜冬 
 
太陽の子 茜の空に鱗雲が輝き、時には北山颪まがいの季節風が吹くようになると、さすがに土佐の秋も深まった感を強くする。日暮れの早い時期であるが、トサキンたちは、日中は体一杯に太陽のビタミンを蓄積しようと、貪欲なまでに、温度の高い水面に近づいて来て日光を吸収し始める。木枯らしが吹き、氷がはり、雪が降る冬がやってくる事を彼らは本能的に知っているのだ。
 同じ金魚族にしても、トサキンほど太陽に支配され、それに影響される金魚はいない。まさにトサキンは太陽の子である真夏の30度を越す水温には平気だが、日陰と低温には実に弱く、それは他の金魚と比較にならない。この弱点の克服こそ、トサキンを天下のトサキンとする唯一の道では有るが、夥しいハネキンの生まれる事と並んで、なかなか打ち破ることのできない問題の壁となって飼育者の前に立ち塞がっている。
 冬越し 温度が下がるにつれて、水中に溶ける酸素の量は多くなるので、同じ容量の水槽でも数多くの金魚が飼えるようになる。そのために冬場は酸素不足の心配は起こらず冬越しには夏場と違って、或程度多くの成魚を入れても飼育できる。
 無事に冬越しさせる要点は、保温のため、ビニール障子をかけておくこと、次ぎに夜間は必ずその上に毛布をかけて覆いをする事であるが、最も大切なのは、風当たりの少ない、日光のよく当たる所を選んで冬越しの場とする事で、そのためには、日を受けるように、水槽の深さは15センチ程度越えないようにし、またセメントも或程度の厚みのあるものとして、外からの寒さを防ぐと同時に内部からの放熱を避けるようにしなければならない。
 もしヒーターを入れるとすれば、厳寒の時でも、内側寸法15センチ×50センチ掛ける20センチくらいの水槽なら100ワットを1本でよい。この程度のものを使用すれば、自然放熱が作用してサーモスタットを使う必要はなく、15度程度の常温は保てるので、魚の寒さに対する抵抗力を失わせる心配もない。いくら冬だからと言っても、たまには気温のあがる事もあるから、昼間の天気により、電流を通すのを調節するだけの配慮は有って欲しいものである。万一、加温装置を付けた時、暖かさが過ぎると、必ず水が濁ってきて、その結果は鰭腐り、尾腐りを出す原因となるので、水の状態にも細かい注意を必要とする。つい2〜3日忘れていたというような場合に、何か異変が起こるものである。
 冬の日中でも気温が高くなれば、金魚は必ず食欲が出る。今では、熱帯魚の店で、いつでもアカゴを買うことができるが、もう小魚も大きくなっているので人工餌(ベビーゴールドや乾燥ミジンコ)を与えてよい。与えすぎのない様に気をつけないと、脂肥えや胃腸障害の元となるので、控えめに彼らの要求を満たしてやるのが良いのであって、冬場の餌切りは必ずしもする必要はない。
 
芸術作品 トサキンといえば、嘗ての呼吸器病患者のように、か弱くて「佳人薄命」の代表的存在であるかの如くいわれている。真綿でくるんだ病人のように、飼い始めはその実感をいやというほど味わったものだが、それでも考えてみればトサキンとのそもそもの出会いから、もう20年を越してその飼育が続いているので不思議な縁である。
 版画の創作・地方史の研究・トサキンの飼育と、この三つの活動は、私の人生に於いて、丁度同じ頃にスタートを切った。そして、その何れもに対する執念がそれなりに結び合って、私の場合はその作品に土佐の匂いを出しているという批評を受けている。
 今飼っているものは、私の創ったものであり、私の家族である。何の不安もなく、私は私のトサキンを眺めている。彼らの生命は私の生命の一部にも等しく、「寒い」とか「腹がすいた」とか、言葉に出ない彼らの声も私の心に伝わってくる。言うなれば、私の生きた芸術作品でもあろうか。それにしては、何年たっても、これで良いという名作が、未だに生まれてこないのは残念だが、この道は無限であり、その涯
(はて)は遠い。こんな感じに打たれるのは、きっと長年経験をつんだトサキン飼育者の皆に共通するものであろう。
 当歳魚で品評会に入賞するのは易しい。しかし、それを立派な成魚として、更に引き続いて入賞させるのは非常に難しい。つまり、天然記念物に指定されるに値するトサキンとして育て上げる難しさ。ここにトサキン飼育の本当の難しさがあり「トサキンは育てるのが難しい」とは、実はこのことを言っている。トサキンは飼っているが、本当のトサキンはいない。まさに「幻のトサキン」であり、保存会の人々は、常にこれを求めて苦しんでいる。良い金魚になったと喜んでいると、冬場にひっくり返ってしまい起き上がらない。腹を上に向けて生きている。浮き袋の異常とも、体と尾のバランスの異常とも言うが、変な極道者が出るもので、知らない人は、トサキンとは寝ていて餌を食う金魚の事だと思っている。ところがそうではなくて、こんな極道者には、審査員は賞を与えない。トサキンとは何か。それはトサキン族中の傑作を言うと思えばよい。それこそ千に一つの希少価値に輝くものに他ならない。だから結論として、残念だが私の家の金魚鉢にはトサキン族はいるが、トサキンはいないのである。
 
余 禄
 
トサキンと円形 トサキンで最も問題となるのは、その体形である。それぞれの人が、思い思いに、独自の方法で飼育の難関を突破して行っているであろうが、頭に描く「幻のトサキン」、つまり、目にみる色や形に上での理想像はどうあるべきか。これは別図に示すような魚体と尾鰭のバランスが、先ず要求されるのではなかろうか。つまり、尾軸の付け元に中心を置き、口先までの半径で円を描いた場合、尾鰭の前左右の先端がほぼその円周に接し、尾鰭中軸の先端も同じくほぼその円周に接することを考えねばならないと思う。だからと言って、その尾鰭の左右の両先端が極度に前に出る、言い換えれば、尾鰭が金魚の顔に近づくようなエビ尾も下品でいけない。尾軸に置いた円の中心で口先に向かう直径と直角に左右の尾鰭の前軸が交わる事を必要とすると私は考えている。尾軸についたキラキラ輝く金色の金座(白では銀座となる)が大きくはっきり出ること。尾軸が余り太く短くなってはいけないが、小さくて細長くなりすぎても良くない。口先もガマの口のようになっては駄目で、細く上品なものが良いなどの条件も付く。
 次ぎに体色は、まず錦、それも白地に深紅色の美しく散ったものが望ましく、純白の金魚は、どんなに体形が良くても好まれない。勿論、赤い金魚なら無難であるが、それも紅の色の薄いものは敬遠される。
 トサキンには、孵化後まる一年たっても、なかなか色の変わらない黒いものも有るが、これは必ず赤色に変わることは間違いないので、じっくり時を待てばよく,尻鰭を1枚か2枚かを心配する人も有るが、これも何れで有ろうと問題はない。良く、眼球が突き出し気味になって、その原因を尋ねられることがある。これもトサキンの相としては好ましいものとはいえない。恐らく出目気味となる原因は急激な温度の違う水換えに有るのではないかと考えられる。
トサキンは一般の金魚と違って、ガラス越しに横から鑑賞する魚でなく、上から見る金魚である。ゆったりと広がった一枚続きの大きな尾鰭がフワリと前にかぶさる優雅な姿は、決して横から楽しむべきものではない。その柔らかな美しさ は、丸い鉢に入れて上から眺めた時に特にその効果を発揮する。それは、尾軸の付け元を中心とする円周の上に、バランスの取れた十文字型で浮かぶからそうなるのか、その柔軟な姿からそうなるのか、ともかくも、トサキンと円形のは、切っても切れない関係に有るように思えてならない。
 丸鉢の製造 現在使用されているセメント丸鉢には2種類ある。一つは摺り鉢型、今一つは椀型の金魚鉢である。市販されているものは椀型が多いが、太陽光線は直線を進むから、どちらかと言えば摺り鉢型のものが日照効率は良い。しかし、太陽が真上近くから当たるようになれば、いずれ甲乙はないし、乱反射になるから言うほどの事はないにしても、むしろ凹面反射の効率から考えると、椀型のものが良いかもしれない。何れとも言えないが風雅の点では摺鉢型が優っているのではなかろうか。
 最近は手作りの味と言う事がよく言われる。日曜大工で木型さえ作れば、後は素人でじゅうぶん立派なものができる。別図のような、摺り鉢を逆さに伏せた形の木型に、ぬれた新聞紙を張り付け、その上に濃い石鹸液か廃油をつけて、セメントに小砂をあわせたものを1センチ2ミリくらいの厚さに塗り重ねたら良い。亀裂を防ぐのに鉄線を入れるなら、なお結構である。外側は左官ゴテで綺麗に仕上げ、翌日硬化してから型を引き抜き内側はセメントだけを濃い目に水に溶いた液を良く塗りかけて、表面の目塞ぎをすればよい。。この種の鉢なら最も簡単に良いものが作られよう。
 
必要な道具  飼育する道具といっても、トサキンに特に必要なものはこれといってない。手作りの味を楽しみながら金魚を飼うのもいいもので、強いて言えば、整形手術が多いから、爪きり用の刃先のカーブした小鋏を一つ備えて欲しいと言えようか。エラ反りを切るにも尾鰭を切るにも、これが有れば大変便利、人工交配や選別には32センチ径の琺瑯引き洗面器4ッ5ッを求めればよかろうし、小さな稚魚の掬い出しには椀型の杓子とダシ取り用の金網杓子、また水換えには1.5メーター程度のホースがなければならない。
 トサキンは大きくなると、先ず網で掬うことは避けねばならない。これは魚体や鰭を傷めるのを防ぐ為に、金魚鉢に長い木栓をさすのを遠慮すると同じく体の変形を避けるためで、3センチ程にもなれば、必ず魚体の前方より手を入れて、常に指と掌にトサキンを載せるように取るのと同じである。こうして、トサキン飼育には絶対に魚体を傷めぬ事が要求される事を忘れてはならず、いろんな道具は必ずそれを勘定に入れて作ることを頭に置いておくことが大切である。
 金魚の気持 目白飼いの名人は、朝の餌を与える時、目白の鳴き声と動作で小鳥の機嫌が分かるという。金魚も同じであって、その動作と顔を見れば彼らの気持ちはすぐ判る。何かぼんやりして動きの鈍いのは、必ずどうかしている。先ず、水質と温度と餌と体の外観から判断する事が大切で、水質温度に心当たりがなければ、絶食させて隔離する事が必要となる。
 金魚も人間と同じく4百4病を持っている。胃腸障害も、風引きも、皮膚病も起こす。顎の下や尾鰭に黒い斑点ができたり、体に白い粘りの付いたりするのは風引きで、エラ腐りなどは人間の肺病と思えばよい。とにかく清潔に飼う事が第一で、外から菌を入れないように、自分の手は何時も綺麗にして置かねばならない。白点病などは清潔さと日光に注意すればそう簡単につくものではない。
 金魚は気分が悪くなれば、それがすぐ目に表れるもので、眼球の下部が下へへこんで頬落ちした金魚はすごくお化け的な感じを受ける。こうなれば、確実に病気になっている。だから、素直な丸みをして餌を欲しがってくるのは、気持ちの良い健康な証拠と考えてよい。
 
水と苔 美しく晴れた空と澄んだ水。それは清らかな環境を思わせる言葉である。しかし金魚には澄んだ水は必要では有るが、清らかな新しい水はいけない。トサキンに最も適当するのは、自然の透明な池水状態の水である。一般にはこれをこなれた水という。そのためには、飼い水を作る別の水槽を準備するのが一番いい方法だが、スペースが許されない場合が多いので、自然と三分の一程度の古い水に新しい水を混ぜる訳になる。それでも結構間に合うし、欲張った事は言えないが、理想をいえばそうあって欲しいものである。
 水には必ず苔がつく。金魚は盛んに口で突っついてこれを餌にしている。人間でも肉食ばかりでは生きられないように、魚類もアカコだけでなく苔を必要とする。そして成長している。かといって、トサキンの鉢に真っ青に分厚い苔を付けてよいかというと、いささか事情が異なる。なるほど、体の赤さを増すには一つのいい方法で有るが、無暗二苔を食べてくれては体に丸みが付かないし、稚魚の場合に成長の鈍ることは前に述べたが、それ以上に夏場の異変が恐ろしい。日光の良く当たる時、金魚鉢を良く見ていると、苔の間から小さな気泡が盛んに上がっているのが見られる。酸素の気泡である。この気泡の発生によって、水中の酸素が多くなることは有りがたいが、過飽和になった酸素は金魚の体に入り、血管を伝って鰭の中に行くと、鰭は一面に白濁し、泡だらけになってしまって充血を起こし、魚体の衰弱と共に尾腐れ、鰭腐れが起こる。トサキンが美しい尾や鰭を失っては駄金に等しい。このような状態を発見したら、手早く別の温度の低い澄んだ水に移す事で、半日も経てば完全に回復するから、泡のところをこすったりせずに安静にすることである。
 気温が高くなると、苔も盛んに増殖するようになる。微粒になって水が青緑に濁り始めるのが見られるが、これは金魚には迷惑なことで、エラの呼吸が不十分になるし、窒息死のほかないので、良く注意して苔を落とすことと水換を頻繁にする必要がある。稚魚を入れた鉢の水面に、緑の薄い膜のように苔の汁が広がり始めるのは非常に危険であるが、もし時間の余裕のない時は古新聞を水面にベットリ載せて引き取ってやれば、表層の汚物は大概が取り除かれるのでこの方法を取れば便利である。
 
異 変 「災害は忘れた頃にやってくる」とは、人間の油断に対し自然の脅威を説く言葉だが、金魚の飼育にも同じようなことが言える。油断こそ大敵で、何時どんな事が起こらぬとも限らない。保温の為入れていたヒーターが過熱して、大切なトサキンを煮てしまったとか、野良猫が侵入して、一夜のうちに一番良いトサキンが姿を消したとか、急激な気温の上昇で、飼育鉢の底の水苔の微粒が水面に浮き上がって、稚魚が窒息死してしまったとかアカコの刻み方が大きかったので、漸く成長しかけた稚魚が内臓破裂を起こしたとか水換えを怠った為に、水中の苔から発生する酸素が多くなって鰭に気泡が入り、完全な尾腐れになったとか様々な話がある。全く泣くに泣けない悲劇で有るが、このような不注意による異変を乗り越えてこそトサキンの飼育は、その技術は上達する。
 飼育20年にして、今年もとんでもない失敗をやってしまった。というのは、彼岸の墓参に行って帰ってきた午後、いつものように早々に金魚鉢の所に廻って見ると、意外、長さ2メートルに近い大型冬越し用の鉢に水がなくなって、大小15のトサキンが水気の多い場所に完全に横になっている。古くなった鉢なので気にはしていたが、重みに折れてしまって水が抜けたのだ。中には魚体の片面がカラカラに乾いてしまったのもいる。息も絶え絶えの金魚を別鉢に移して、何とか回復させたのはよいが、二つだけは太陽光線に当てられて粘膜がはげ、眼球は白くなり、鰭も切れて無残な姿である。産卵を間近に控えてのこの異変には驚いた。その時の気持ちはまさに「夢去りぬ」の一語に尽きる。
 誰でも冬場は越冬のために金後を集合させるので、庭には使われずに空いた鉢ができる。その中には一ヵ年の勤めを果たして、修理を必要とするものが必ずある。もし其のままに水を張れば、水漏れも起ころうし、ひび割れからつぶれるものも出よう。その時、点検と修理を怠るとこのような異変に出くわす。この度は何とか助けたから良いが、少し時間が遅れていたならどうなっていた事か。その後の戻り寒に、大池をなくした不自由さをしみじみ味わったものである。
 
産卵への準備 寒暖定まらない花冷えの季節から、菜種梅雨にかかると、万物みな息を吹き返す大成長運動がこの地上に始まる。この大自然の変化に伴って、金魚も同じように産卵を始めるものとみえて、日暮れ時に何時もなら、餌にとびついてくるはずのものが、何かトロンとして活気がないような事が起こる。別に異常は認められないのにと、いささかいぶかしい気持ちを持たされるような日の翌朝は、必ずと言ってよいほど産卵が始まる。そんな時に雌魚の腹部を圧してみるなら、ひどくユブユブした柔らかさを感じるもので、念のため排卵孔を調べて見ると、きっとその魚では異常に大きく膨れ上がって開きかけていることに気付くものである。
 
そこに長年の勘がはたらくもので、熟練した飼育家は、早急に棕櫚の毛を煮沸して束ねたものを金魚鉢の隅にいれ、洗面器は人工授精用に少なくとも二つを準備して、仕事に便利なように、雨の降らない事を祈りながら翌朝を待つのが普通である。
 産卵の予測される朝は決して寝坊をしてはならない。夜明けを待って何よりも先ず、金魚鉢の様子を見ることだが、採卵用の棕櫚の毛で注意しなければならないのは、それを縛り付けるのに針金は一切用いない事である。もし金属の部分に金魚の体が強く当たった時は鱗を傷めるし、場合によっては召す魚を傷つけて死亡させる原因にもなりかねないので、金属類は一切使用してはならない。
 次ぎに、産卵を終わった雌は取り外して手早く休息させる必要があるので、そのために別鉢に水を張っておく準備もぜひとも忘れてはならないことの一つである。万一、自然採卵と人工授精を併用したいのなら、途中から人工授精に切り替える必要があるので、その時には、兼ねて準備しておいた洗面器を使用するがよい。
 
稚魚の選別 トサキンの飼育にまだなれない時、一番困るのは稚魚の選別で有ろう。風薫る新緑の頃は、飼育者にとって最も煩わしくまた最も楽しみの多い時節でもある。トサキンの稚魚は生後1週間余りもすれば尾鰭が開いてくる。メダカの子供のような一本の尾にポッと丸い尾鰭が見え始める。体長5ミリにもなれば、尾の奇形は判別が付く。つまり,たて1枚の尾か、それとも横広がりかは判るようになっている。
 先ず、縦1枚尾はトサキンの部類に入らないから外さねばならない。次ぎに体長1センチに成長すると、尾さきの割れたサクラ尾も選別できる。1センチ5ミリ程度になれば背鰭の有無も確かめられるし、大切な尾の広がり具合も見当が立つようになる。この頃からは、俗にいうユトリのある尾の稚魚を選び出すのが肝心であるが、そのユトリのある尾の形も、馴れた人なら勘ですぐ見分けて行く。しかし、初心者には、そのよさが胸にジンと来ないので、つい見込みのあるものを捨てる事が起こる。では、ユトリがあるとは、どんな事を言うのであろうか。それは、一見して堅い感じのない、ゆったりとして柔らか味のある、これから良い尾に広がる可能性を持った尾鰭の事で有るが、体長1センチ5ミリ位の稚魚で、尾の開きが60〜70度以上、2センチのものになれば、90〜100度以上、2センチの稚魚なら、背鰭の有無も尾のツマミも、尾端の切れこんだサクラも充分に見分けが付く筈で、この頃から、成魚並に出来上がった張りの良い尾鰭になったもので、立派な魚体の親魚になるものは絶対にないから、幾ら形が整っているからと言って、そのような稚魚を拾ってはならない。もし、これを育てるとすれば、親魚になってひっくり返ること確実である。
 生後2ヶ月・3ヶ月と経過するにつれて、稚魚から子魚、子魚から当歳魚といわれるようになる過程で、それぞれの尾のできてゆく時期、体のできてゆく時期がある。その時、その時を見計らって育てる事が大切だが、盆栽の木のように、つまりは将来を見込んで選び抜いて行く心構えが大切である。
 4ヶ月もすれば、もう大体の見当は立つわけだが、これはと思うような、言い換えれば心をズンと突いてくるような感動をこちらが覚えるようになるには、相当の経験を積まないと簡単には到達できるものではない。それでもその勘が裏目に出ることもあって、やはりトサキン飼育は一種の造形芸術であり、その道に限りはない。
 
以上、矢野城桜著の「土佐錦魚の四季」から転載させて頂いた。この「土佐錦魚の四季」はーその飼い方と歴史ーと副題が記され、60ページ程の小冊子である。その中の38ページがここまでで、その中にはトサキンの写真や品評会の風景、丸鉢、越冬用の角鉢等数多くの写真が挿入されているが、幻のトサキン、丸鉢の型、稚魚選別の基準の3つを画像として取り込み、横に並べた。
 この本に巡り合いたいとトサキン飼育家を訪ねたが所蔵して居られない。仕方なく諦めていたがもしやと思い、高知市の市民図書館を訪ねると、ご本人が寄贈されたものが1冊あった。持ち出し禁止のところを何とかコピーだけさせていただき、ここに載せる事ができた訳である。
 末尾にあった住所を頼りにお伺いしたが、奥様もご入院とか、御子息のご住所をお聞きして失礼ながら電話をさせて頂き、お願いすると、転載を快くお認め頂き、トサキン愛好家の目に触れることができることとなった。本当に嬉しい限りである。飼育暦20年余のノウハウを、大筋を知る事ができるだけでも、護ってやらねばならないトサキンがどれほど守られる事だろう。是非、愛好家、飼育家は熟読してトサキン保存の一助にしていただきたい。