Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 願い石を探して 

 第1章 ―サーシャの決意― 
 第1話 18歳の誕生日 


 小さな白い結晶が、セレン王国の大地に辿り着く。
「あ、雪だ……」
 地面を見つめていた翠色の瞳が嬉しそうに輝いた。そして戸惑いがちに視線を上げると、サーシャはひらひらと舞い降りてくる雪をぼんやりと見つめた。
 考えることはたくさんあった。
 でも、どれだけ必死に考えてみても、答えは見つからなかった。
 ただ、皆の落胆した表情だけが、サーシャの脳裏に焼き付いていた。

 昨日、サーシャは18歳の誕生日を迎えた。
 それは、このセレン王国という国にとっては重要な意味を持っていた。
 セレン王国は、広大なリルベ地方の最北端に位置する、雪で閉ざされた小さな王国である。伝説の英雄ディーンによって建国されたといわれるこの国では、今もなお伝説が根強く生きていた。セレンの人々はその長い歴史の中、精霊石とそれを守護する王を守ってきたことを誇りとし、厳しい環境を懸命に生きてきたのだ。
 だが、先の戦いで国は焦土と化し、精霊石は失われた。
 サーシャは生まれる5年ほど前の出来事である。
 サーシャの父であるアルフィールド=ディン=ラ=セレン国王は、当時若干21歳でありながら、人々の先頭に立ち、荒れ果てたセレン王国を新しい歴史へと導いた。精霊石も結界も失くした小さな王国が、開国を余儀なくされた後も他国の侵略を許さず対等に渡り合っていけたのは、アルフィールド王の手腕によるところが大きい。
 だが、長年受け継がれてきた人々の想いはそう簡単に変化できるものではなかった。
 セレンの人々はまだ、心のどこかで期待していた。

 サーシャフィールド=デュイ=ラ=セレン王子の手の中になら、精霊石が戻ってくる、と。

 サーシャはアルフィールド王の唯一の実子であり、英雄ディーンの血を受け継いでいる。さらに付け加えるなら、サーシャの母親リーゼンディア王妃は、ディーンの正妃セレニエル妃の姪にあたる、エルフ一族の姫である。申し分ないその血筋に期待するなという方が無理なのかも知れない。
 そしてサーシャ自身も、不安と恐怖、そして少なからぬ期待をもって、昨日という日を迎えた。

 ――だが、1日を終えても、サーシャの身には何も起こらなかった。

 人々の落胆は大きかった。


「サーシャ!」
 その声にサーシャは両肩をびくんっ、と震えさせた。手にしていた竹箒をぎゅっと握り締め、慌てて視線を地面に戻す。母親譲りのやわらかい金糸の髪がさらさらと音を立てて、サーシャの表情を隠した。俯いたことで、堪えていた涙が零れ落ちそうになる。前髪を直す振りをしながらその涙を拭き取ると、サーシャは慣れない手つきで竹箒を動かした。サーシャの足元で枯葉がかさかさと音を立てる。
「なに? ヴィーゼ」
 出来るだけ平静を装って、サーシャはそう答えた。それでも顔を上げることは出来なかった。
「……何故ここにいる?」
 サーシャの頭上から毅然とした声が問い掛けてくる。その声はきつい口調ではあったが、決して威圧的ではなかった。厳しさの中にちゃんと優しさが隠れている。そのことは誰よりもサーシャ自身がよく判っていた。
 だからこそつらいのだ。
「自分の立場を考えろ、サーシャ」
 溜め息とともにそう告げられ、サーシャは竹箒の動きを止めた。俯いたままのサーシャの視界に、伸ばされてくるヴィーゼの手が見える。その意図を理解して、サーシャは取り上げられないようにと竹箒を握り締めた手を引っ込めた。反論の声は上げられなかった。ただ小さく首を振るだけである。
 ヴィーゼの言いたいことはサーシャにも判っていた。中庭の掃除など、仮にも王子である自分がすべきことではない。
 だが、サーシャには他に居場所を見つけられなかったのだ。
 サーシャには父アルフィールド王のような才覚はない。もちろん王子として帝王学を初め多くのことを学んできた。だがそのいずれも講師たちの期待を裏切り続けている。剣術の腕もひどいものだ。華奢なその体格ではアルフィールド王やランスロットのような豪快な剣は見込めないとしても、もう少し何とかならないものだろうか。サーシャは剣術大会の度に指南役に恥を掻かせてきた。
 何一つ役に立たない。
 だからこそ、サーシャは精霊石を切望していた。
 精霊石を手にして、皆に喜んでもらいたかった。
 だが、その一縷の望みも呆気なく打ち砕かれてしまったのだ。
「サーシャ、」
 優しく響くその声に縋りつきそうになる。泣きついて全てを吐露してしまいそうになる。
 だが、その全てを必死に飲み込んで、サーシャは地面を見つめた。
 雪がうっすらと大地を覆い隠していくのがサーシャの瞳に映った。その白い結晶が自分の中のごちゃごちゃした感情も覆い尽くしてくれるようにと願いながら、サーシャは唇を引き絞った。これ以上心配を掛けたくなかった。
「……サーシャ、」
 ヴィーゼの声がもう一度サーシャの名前を呼んだ。そして何度か逡巡した後、ヴィーゼは俯いたままのサーシャに手を伸ばした。だがサーシャの金糸の髪に触れる直前でヴィーゼはその手を止めた。
 触れてしまうと抱きしめたくなる。抱きしめると離せなくなる。
 ヴィーゼはもう何年もその迷いの中にいた。その感情が何なのかもとっくに気付いていた。
「…………」
 雪が大地に舞い降りて来る。天を仰ぎ、ヴィーゼは白い吐息を落とした。
「大丈夫だよ、ヴィーゼ」
 俯いていたサーシャがそう呟く。
「僕は大丈夫だから」
 そう言葉にしてサーシャは顔を上げた。
 必死に作ったぎこちないその笑顔が、ヴィーゼを見つめていた。




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