Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 声に出来なかった想い 

 第14話 


 連れ去られるようにしてハインツが辿り着いた場所は、街の中心からは少し外れた位置にある随分と古ぼけた建物だった。
 激しい雨音の中、扉が開くぎーっという音が響く。
 目の前で開かれていくその扉を、ハインツはぼんやりとしたままの薄紫色の瞳に映していた。

「後戻りはできねぇぜ?」
 ハインツの肩に腕を回して、耳元で男がそう囁く。生温かい吐息を首筋に感じて、ハインツはぞくりと身を震わせた。
「承知している」
 短くそう答える。そうして、ハインツは事も無げにその建物の中へと足を踏み入れた。

 わざわざこんな処まで連れて来られた理由は、何となく判っていた。

 土砂降りの雨の中、舐めるような男の視線をずっと感じていた。

 多分、此処で、この男に犯される――。

 身体中が、5年前の夜のことを覚えていた。全ての感覚が、ハインツに耐え難い嫌悪感を訴えていた。
 それでも不思議と恐怖心はなかった。
 自分の肩を抱いて歩く、嫌悪感を抱かずにはいられないはずのこの男が、自分を殺してくれる存在だとそう考えるだけで、ハインツはむしろ安堵感すら覚えて男の胸に身体を委ねていた。

 ぎしぎしと軋む階段を上ると、長い廊下が見えた。その両側にはいくつもの扉がある。
 壊れているもの、開けっ放しになっているもの、そして閉ざされたもの……。
 そして、そのいくつかからは、掠れた声が聞こえた。あるものは熱に浮かされた喘ぎ声のようで、またあるものは苦痛に上がる悲鳴のようであった。他にも、すすり泣く声、許しを請う声……。いずれにせよ、合法的な行為が行われているとは到底思えなかった。

「こういう処は初めてだろ?」
 ハインツの表情の中に驚きの色を見つけて、男はそう問い掛けてきた。
 借金の形に身体を売る、そういった行為があることはハインツも聞いたことがあった。もちろん男の言葉どおり、目の当たりにするのは初めてのことだったが――。
 此処はそういう場所なのだろうと何となく理解する。

 だが実際は、ハインツの想像の域を超えた、更に陰惨で悪質なものだった。

 この古びた建物の中で、商品として扱われていたのは、主に攫われて来た少年少女たちであった。男たちは、街をたむろしている者の中で、見目の良さそうな者をかどわかして来ては、商品に仕立て上げていた。顧客は主に近隣諸国も含めた豪商たちであり、互いの秘密保持のためには平然と悪質なことも行われていた。時には近隣諸国から毛色の違う商品を攫ってくることもあった。
 此処は、そういう種類の人間たちが出入りする場所であった。


 突き当たりの部屋の前で男が足を止める。
 その部屋の中からは、数人の男たちの気配がした。悪意が混じるその気配に、ハインツはほとんど無意識に護身用の短剣へと手を伸ばしていた。しかしそれは、触れる直前で男の腕に捕らえられる。
「必要ねぇものだろ?」
 耳元で囁かれる言葉に、ハインツは失笑した。
 そのまま短剣を取り上げていく男の手を、抵抗することもなくぼんやりと見つめた。
「安心しな。後でちゃんと殺してやっから」
 念を押すようにそう告げられ、ハインツは抱き寄せる男の胸にこつんと頭を預けた。
 ハインツの目の前で、ゆっくりと扉が開かれていく。
「逃げるなよ?」
 そう言われるまでもなく、覚悟は決めていた。


 ラインハルトの想いを知ってしまい、受け入れてしまった今、これ以上生きていくことは出来なかった。
 一時的に姿を眩ませたところで、自分はきっとラインハルトに焦がれ、ラインハルトを求めてしまう。そしていつか、ラインハルトから全てを奪ってしまう。

 自ら命を絶つことが出来れば、もっと簡単だった。
 その道を選べなかったのは、大地母神の教えを守りたかったわけではない。ただ単にラインハルトを傷つけたくなかったから――。

 降り続ける雨の中、ただただ消えてしまうことを願っていたその時、自分を殺してくれる存在に出会えた。例えそれがどんな残虐な殺人者であっても、その運命の采配に感謝すら覚えた。

 『殺してやる』という男の言葉は、耐え難い誘惑のように感じられた。



 うっすらと開いた薄紫色の瞳に、その部屋の光景が映った。

 其処は予想していたよりは大きな部屋であった。部屋の中央には大きな寝台が2つ、少し離れた位置には4人掛けのテーブルが2脚あった。その上には多数の酒瓶と食料が雑多に置かれている。正面と北側の壁には小さな窓があり、その窓を雨が叩きつける音が部屋に響いていた。南側の壁には棚が並び、武器やら薬品やらその他あまり見たこともない物が並んでいた。
 そして、寝台に2人、テーブルを囲んで3人の男が、開かれた扉を一斉に振り返った。

 現れたハインツの姿に、男たちは思わず息を呑んだ。
 男たちの瞳の中、雨に濡れたハインツの艶やかな黒髪から白い肌へと、水滴がぽたりぽたりと落ちていった。伏せがちな薄紫色の瞳が、視線を合わせることなく部屋の中を見渡していく。

「お、おい、いいのかよ?」
 男たちの一人が上ずった声を上げた。
「いいぜ。死にたいらしいからな」
 そう答えて、男はハインツを抱き締めたまま、寝台へと足を進めた。途中テーブルの上にハインツの短剣を置く。その剣には見事な細工が施され、柄にリーガルモント家の紋章である蔦と竜の姿が刻まれていた。
「正真正銘のお貴族様だ。1人金貨10枚。びた一文負けねぇぜ?」
「相場の5倍じゃないか……」
「嫌ならいいぜ。これだけの上玉だ。客ならいくらでも呼べる」
 その言葉に、男たちの1人が金貨を置いた。他の男たちも焦るように後に続く。
「ただし今晩一晩だけだ。足が付くと厄介だからな。こいつは夜明けまでに始末する」
 淡々とそう告げて、男はハインツの濡れた上着を剥ぎ取った。
「いいな?」
 最後に、首元に口付けを落としながら、男はハインツにそう囁いた。
 視線を宙に浮かせたまま、ぼんやりと男たちの会話を聞いていたハインツが、男に視線を戻す。
 そうして、男の瞳を見つめたまま、ハインツはこくりと頷いて見せた。

 この男に犯されて、殺される、そう考えていた。予想とは異なる展開に少しばかりの動揺を感じはしたものの、今更どうでもよいことにも思えた。
 どれだけの男に陵辱されようと、夜明けまでには殺してくれるのだ。
 その約束だけで十分だった。

「最後の夜だ。優しくしてやる。せいぜい楽しませろよ」
 そう告げられ、寝台の上に押し倒される。体重を受けて、寝台がぎしりと音を立てた。

 覚悟を決めたとき、全ての感覚を捨てたつもりだった。固い寝台に押し付けられた背中も、痛みを訴えることもなかった。ただ、胸の奥が微かにちくりと痛んだような気がした。
 その全てを振り切るように一つ息を吸い込んで、そうしてハインツは瞳を伏せた。


 男たちの指が、肌に触れていく。
 窓を叩く雨音に耳を傾けながら、ハインツはぼんやりとその行為を受け入れていった。




Back      Index      Next