Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 声に出来なかった想い 

 第15話 


「しっかし、勿体ねぇなー」
 古ぼけた建物の入り口で、見張りに立っていた茶髪の男はぼそりとぼやいた。
「夜明けまでには始末するんだってよ。どう思う?」
 雨に濡れた艶やかな黒髪と伏せがちの薄紫色の瞳を思い出しながら、その男は隣に立つ背の低い男にそう声を掛けた。降り続ける雨を見つめながら、隣の男が溜め息を落とす。
「確かに勿体ねぇと思うがよ。お頭がそうするってぇんだから、仕方ねぇだろ? それとも何か、お頭に隠れてこっそり囲ってみてぇとか?」
「……んなんじゃねぇけど、」
 そう言葉にして、ふと建物に視線を巡らせ、
「一度ぐれぇ、抱いてみたい、とか思わねぇ?」
 茶髪の男はごくりと唾を呑み込んだ。


「誰だ、てめぇ!」
 突然、背の低い男がそう怒鳴る。その声に茶髪の男は慌てて視線を戻した。
 激しく振り続ける雨の中、目深に外套を被った男が真っ直ぐにこちらに近付いて来るのが見える。
「何者だっ!?」
「……名乗ればいいのか?」
 そう答え、その男が外套を上げたと思った時には、既に剣が閃いた後だった。男たちの短剣が音を立てて地面に転がり落ちる。
「うわあぁっ!」
 血を流す腕を抑えながら、男たちは悲鳴を上げた。
「……掠り傷だろう?」
 雨音の中でも良く通る低音の声にそう告げられ、男たちは顔を上げた。外套を脱ぎ捨てたその男から、見えない炎が立ち上っていくような錯覚を感じる。その上、鋭い漆黒の瞳に射抜かれて、男たちは呼吸すら出来ない重苦しさの中にいた。
 重い空気を低音の声が割って入る。
「私の名は、ラインハルト=フォン=アウエンバッハ。掛かって来るならば容赦はせん」
「……アウエンバッハ……」
 ラストア王国内では有名すぎるその名に、男たちは息を呑んだ。

「有名だねー、ラインハルト」
 ラインハルトの後ろから、もう一人の人物がひょこっと顔を出した。
 大きな灰色の瞳を少しだけ細めて、男たちの姿をじっと見つめる。
「……私には尋ねてくれないの?」
 不満げにそう告げて、フリードリヒは外套を脱ぎ捨てた。その立ち姿と胸に輝く紋章に、男たちはその場に腰を落とした。
「……ま、さか」
「フリードリヒ=ラス=キシュバルト……」
 震える声で、茶髪の男がその名を口にした。
「呼び捨てにされる謂れはないけどね。……まあ、いいや。入らせてもらうよ」
 頬を膨らませてそうぼやき、フリードリヒは入り口の扉に手を掛けた。
 扉を開くと、騒動を聞きつけた別の男たちが走って来るのが見える。

「はん! 王子であるわけがねぇ!」
 加勢に気を大きくしたのか、背の低い男がそう告げて立ち上がる。
「覚悟しな!」
「あ、そう来るかー?」
 わらわらと現れる男たちの姿を灰色の瞳に映して、フリードリヒは溜め息を落とした。

「仕方ないね。ここは引き受けた」
 腰に提げた長剣に手を掛けると、フリードリヒはその剣をするりと抜いて回転させた。剣先を下にして軽く一礼してから、真っ直ぐに構える。
「行け、ラインハルト」
 そう告げるフリードリヒに、一歩先で剣を構えていたラインハルトは視線を向けた。
「ハインツの元へ行くのはお前の仕事、だろ?」
 笑顔のままフリードリヒがそう後押しする。一瞬だけ躊躇した後、ラインハルトはこくりと頷いた。柄を握り直して、廊下に向かって一気に駆け出す。
「行かせるか!」
 そう怒鳴る男とラインハルトの間に、フリードリヒは身体を入れた。
「言っとくけど、私は強いよ?」
 駆け抜けるラインハルトの姿を一瞥して、フリードリヒは笑顔を浮かべた。



 ハインツ、とそう名前を呼ばれたような、そんな気がした。
 じんと頭の芯に響く、あの低音の美声で――。

 肌を愛撫していく男たちの行為を受け入れながら、ハインツは硬く閉ざしていた瞳を開いた。
 興奮気味な吐息と衣擦れの音、そして激しい雨音の中に混じるその声を聞き分ける。

 ――幻聴ではなかった。

 自分の名を呼ぶ確かなその声に、ハインツは全身の感覚が急速に戻ってくるのを感じた。


「嫌だ……っ!!」
 声を上げ、身を捩る。抑え込まれた手足を振り回し、頭を大きく左右に振って、ハインツは激しく抵抗した。
 それまで完全に成すがままになっていたハインツの豹変に男たちが慌てる。
「抑えろ!」
「静かにしろ!!」
 口々にそう告げて、男たちはハインツのしなやかな手足を抑え込んでいった。
「やめ……っ! ぐっ!」
 最後に拒絶の声を上げるその口に布を押し込んで、男たちはハインツの抵抗を完全に防いだ。それでもぐぐもった声を上げ、手足を震わせて、ハインツは懸命に抵抗を続けた。
「おい……、どうしたってんだ?」
 男がハインツの顔を覗き込むのとほぼ時を同じくして、階下に叫び声が響き渡った。


 瞬時に状況を把握して、男ががばっと立ち上がる。そのまま素早い動作で棚に向かうと、男はいくつかの道具をカタカタと移動させた。鈍い音とともに隠された扉が開いていく。
「退くぞ」
 男の命令に、ハインツの身体に群がっていた男たちが顔を上げた。悲鳴と剣戟の音が階段を上がってくるのをやっと理解して、男たちもようやく慌てて立ち上がり始める。
「おら、急げよ」
 それでもまだ名残惜しいのか、ハインツの肌を堪能している男に舌打ちして、男はその腕を掴んで隠し扉の方へと押し飛ばした。
 全員を隠し通路の向こうへ退避させ、最後にハインツの元へと足を向ける。

「可愛がってやれなくて残念だがな」
 そう告げて、男はハインツの黒髪に指を絡めた。
 ハインツは、乱れた衣装のまま、しなやかな四肢を投げ出し、ぼんやりと宙を見つめていた。その口に押し込まれた布を取ってやり、男が貪るように口付ける。

「……約束が違う」
 激しい口付けの後、開放されたハインツの唇は、そう呟いた。
 宙を彷徨わせていた視線を、男に戻す。そうして、静かな声でハインツは言葉を続けた。
「殺せ」
 ハインツの薄紫色の瞳に、口元を歪める男の表情が映る。

「これも運命だ。生きな」
 最後にそう告げて、男はとんっと立ち上がった。
 そうして、そのまま振り返ることなく隠し通路へと姿を消した。



「ハインツ!!」
 その声とともに、扉が開かれる。
 ハインツの鼓動が、どくん、と跳ね上がった。

 止まらない心臓の音が、ハインツの耳に木霊していた――。


「ハインツ!!」
 何度かそう名を呼んで、ラインハルトは寝台へと駆け寄った。寝台の上で微動だにしないハインツに、ラインハルトの声が悲鳴に近いものへと変化していく。
「ハインツ!!」
 ハインツの顔を覗き込み、肌蹴られた胸元へと耳を添え、そうして確かな鼓動を確認して、ラインハルトはやっと安堵の息を落とした。

「……ラインハルト」
 ハインツの声が、ラインハルトの名を呼ぶ。その声に、ラインハルトは顔を上げた。
 透明な液体を堪えた薄紫色の瞳が、ラインハルトを見つめていた。
「俺は、どうしたら、いい……?」
 微かに震える声で、ハインツはそう問い掛けた。
「怖いんだ……」
 震える指先が、ラインハルトの袖口を掴む。その指に手を添えて、ラインハルトはふわりと微笑んだ。
「大丈夫」
 低く響く声でそう告げる。
「大丈夫」
 もう一度そう言葉にして、ラインハルトはハインツの黒髪をそっと撫でた。ただ静かに何度も何度も触れてくる大きなその手に、ハインツは不思議と気持ちが穏やかになるのを感じた。

 ハインツが大きく一つ深呼吸をする。
 その様子を漆黒の瞳に映して、ラインハルトは再び口を開いた。

「失くすものもあるだろう。だが、」
 真っ直ぐな漆黒の瞳が、ハインツを見つめる。
「お前と一緒でなくては、得られないものもある」
 その言葉に、ハインツは驚きの表情を浮かべた。
「得られないもの……?」
「そうだ。お前は私といて、何も感じてはくれないのか?」
 頭の中で、ラインハルトの言葉を繰り返してみる。考えるよりも先に、胸の奥が答えを出していた。

 ラインハルトの言葉一つ一つ、仕草一つ一つ、いや存在そのものに、確かな暖かさと幸せを感じていた。

 それは、ラインハルトと一緒でなくては、得られなかったもの――。

「お前という存在がいてくれて、私は幸せだと、そう感じている」
 ラインハルトが、はっきりとそう言葉にする。

 ――同じ想いでいてくれる。
 そう想うと、目頭が熱くなった。

「お前を、愛している」

 そう告げられ、ハインツの瞳から、堪えていた涙が零れ落ちた。

「すまない。また、泣かせてしまった」
 切れ長な薄紫色の瞳から溢れるその涙を、ラインハルトの指がそっと拭った。

 夜が明けていく。
 雨が上がり、窓から差し込む朝の光を、少しだけ眩しそうに、フリードリヒは見つめた。



 その日のうちに、その組織は解体され、建物の中にいた子供たちもみな保護された。
 ただ、首謀者とされる男の姿だけがなかった。



 それから更に丸1日が経った朝。
 騎士隊服を纏い、腰にエストックを提げ、背に荷物を背負って、ハインツは城門をくぐった。
「で、結局行っちゃうの?」
 城門まで見送りながら、フリードリヒは盛大な溜め息を落とした。
「断れないでしょ?」
 そう答えて、ハインツが綺麗に微笑む。
「それに、いろいろあったから、少し王都から離れた方がいいと思うし」
 そう付け足して、ハインツは澄んだ空を見上げた。

「……ラインハルトは何て?」
 その名を告げられ、ハインツの表情が曇る。
「あんなに一途に告白されて、何で答えないかなー?」
 そうぼやいて、フリードリヒは茶化すような笑みを浮かべた。
「私も期待していいということかな?」
「違います」
 陽気なその言葉に即答を返し、そうして同時にフリードリヒの優しさと気遣いを感じて、ハインツは笑みを浮かべた。

「……ラインハルトが失う以上のものを、俺といて得られるかどうか、俺にはまだよく判りません」
 遠くで囀る小鳥の声が届く。
「そういう問題じゃないと思うけどね」
 小さくそう言って、フリードリヒはもう一度溜め息を落とした。
「今の俺じゃ、あいつの想いに答えちゃいけない気がする……。あいつに甘えるだけじゃいけないと、逃げ出しちゃいけないと、そう思うんです」
「それは、一歩前進、なのかな……?」
 フリードリヒのその言葉に、ハインツは苦笑した。
 そうして、空を見上げる。

「だから、行きます」
 真っ直ぐな瞳に澄んだ空を映したまま、
「答えを見つけに」
 ハインツは、そう言葉にした。




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