Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 声に出来なかった想い 

 第7話 


「ハインツ=フォン=リーガルモント、参りました」
 衛兵に案内された大きな扉の前で、ハインツはそう名乗りを上げた。
「入れ」
 しばらくして、中からそう返事が来る。低音でいて何処か明るい響きを持つその声に促されるように、ハインツは扉を開いた。

「やあ、ハインツ」
 中に入ると、声とよく合う明るい笑顔がハインツを出迎えた。明るいその声も幾分陽気さを増したように感じる。どうやら先程の声は、彼なりに衛兵がいることを警戒しての声であったらしい。扉を閉め、広いその部屋に2人きりになった今、フリードリヒは誰に憚ることもなく『嬉しくて堪らない』と全身で表現していた。
 現ラストア国王には2人の王子と1人の姫がいる。ハインツの目の前で笑みを浮かべるフリードリヒ王子は、末の子に当たる。そのためなのか、それとも持って生まれた彼の気性なのか、フリードリヒは20代半ばとは思えない、無邪気さと陽気さを持つ人物であった。その上、印象的な大きな灰色の瞳が、彼を更に幼く見せていた。

「こちらにおいで」
 フリードリヒが、笑顔のままハインツに手招きをする。
「いえ、此処で伺います」
 片膝を付き、頭を垂れたままの姿勢で、ハインツはそう答えた。その様子に溜め息を落として、フリードリヒがつかつかと近付いてくる。
「私はこんなにも会いたかったのに……」
 そう言って、ハインツをふわりと抱き寄せる。
「ご冗談を」
「えーっ、何度も言ってるのに」
 そう言ってフリードリヒは、膨れ面を浮かべて見せた。その表情に、ハインツが微かな笑みを浮かべる。
「やっと笑ったね、ハインツ」
 大きなその瞳にハインツを映して、フリードリヒは嬉しそうに笑った。
「窓から見ていて、今朝はお前、ちっとも笑わないからさ」
「……まさか、それだけで呼び出したのではないでしょうね?」
「まさか、それなら、広場を使うよ」
 フリードリヒの言う広場とは、『竜の広場』のことである。
「お前と私の、密会場所だからね」
「違います」
 間髪入れず、ハインツに否定され、フリードリヒはもう一度幼い膨れ面を見せた。

 1年前のことである。ハインツは偶然、その場所を見つけた。
 ラストア王城の裏手は切り立った崖である。その途中から巨大な滝が溢れ出で、それは遥か下方でアルウェス河に合流する。その崖の中腹に、その広場は存在した。誰にも見られずに剣の稽古をするのに最適の場所であると思われたその広場で、ハインツは剣を振るっていた。そこに現れたのが、フリードリヒ王子その人だった。
 後で聞いた話だが、その広場は『竜の広場』と呼ばれ、国王およびその直系男子の部屋から秘密の通路で繋がっているのだという。王城が陥落する事態になった際、最後の手段として使われる道らしい。広場の先は切り立った崖、遥か下方の大河に身を投じれば二度と浮かんでくることはない。一体どうやって逃げ道を作るのか。答えは簡単であった。ラストア王家に伝わる秘法、直系男子は竜を呼び、騎竜として使うことが出来る。
 大変な秘密を知ってしまったことに動揺を隠せないハインツに、フリードリヒは、
「有事以外誰も使わないから」
と微笑み、
「でも秘密を知ったからね」
と言って、夜明け前の一刻、この『竜の広場』で剣の稽古をすることをハインツに義務付けていた。フリードリヒの真意は計れなかったが、断ることも適わず、以後不思議な交流が続いている。フリードリヒの意向で、2人の交流は城内の誰にも知られてはいない。ハインツにとってもその方が都合良く、2人で会う時以外は、雲の上にいる王子と数多い騎士の1人として接していた。

「でも、今朝は来てくれなかったけどね」
 そう告げるフリードリヒに素直に謝罪し、ハインツは改めて御用向きを尋ねた。
 早く話題を変える必要があった。こう見えてフリードリヒが勘の良い人間であることは承知している。今朝来られなかった理由を深追いさせるわけにはいかない。

「御用を伺いたいのですが」
 じっと見つめてくる大きな瞳から視線を外し、ハインツはもう一度そう声にした。
「……ハインツ、近衛隊に入隊しないか?」
 しばしの沈黙の後、フリードリヒはそう切り出した。
「王子付きの近衛隊を編成することになってね。お前が近衛隊に入れば、いつも一緒に居られるだろう?」
「お断りします」
 俯いたまま、ハインツがきっぱりとそう答える。
「簡単におっしゃいますが、如何に狭き門がご存じないわけではないでしょう。私のような若輩者には勤まりません」
 ハインツの言うとおりだった。
 莫大な数を誇るラストア騎士隊の中でごく一部の選ばれた人間だけが、その狭き門をくぐることが出来る。確かな身分の者からの推薦を受け、剣術を初めとした試験を全てこなせた者だけが着ることが出来る、白い近衛隊服は国民全ての羨望の的でもあった。
「お前の腕なら無理な話ではないよ。どうして実力を隠したがるんだい?」
 やはり見抜かれている、その事実を突きつけられ、ハインツは息を呑んだ。毎朝の稽古でも出来るだけ配慮したつもりだったのだけど、どうやらこの王子の目は騙せなかったらしい。

「お前が近衛隊に入隊すれば、父上殿も喜ばれるのでは?」
「――それは私が実子であれば、の話です」
 覚悟を決め、ハインツは心の内を明かした。どちらにせよ、王子からの推薦を断るには正当な理由を述べる必要があった。
「私は義父の実子ではありません。実の父に認められず、母に捨てられた子供です。義父には恩がある。大切にしたいのです」
 搾り出すように告げられた台詞に、フリードリヒは溜め息を落とした。
「お前の義父は、そんなことを気にする人物ではないけれどね」
 その台詞が含む意味は理解できた。そう、義父は養子である自分が実子である義兄より優れているからどうこう言う人間ではない。きっと素直に喜んでくれる。だからこそ、義兄より目立つことはしたくなかった。
「でも、お前のそんな健気なところが、好きなんだけどね」
 そう言って、フリードリヒは残念そうに笑みを浮かべた。

 その時のことだった。

 突然、フリードリヒの動きが止まる。
「……殿下?」
 不審に思い視線を上げたハインツの目に、固まったままのその表情が映った。フリードリヒの灰色の大きな瞳は見開かれ、一点を見つめている。
 その視線の先は、ハインツの手首だった。長い袖の間に僅かに見える、青黒く腫れ上がった手首――。

「……これは?」
 フリードリヒがその手首を掴む。触れられたその関節に激痛を覚え、ハインツは小さな呻き声を上げた。
「何が、あった?」
 いつもの陽気さを失くした声がそう問い掛けた。
「何も……」
「何もなくてこうなるのか?」
 幾分苛立ちを含んだ声でそう告げ、フリードリヒはハインツの袖を捲り上げた。明らかな戒めの跡が露になる。
 次いでフリードリヒの指先が、しっかりと留められたハインツの首元へ移動した。
 長い指が襟を拡げた。
 そこには、幾つもの情事の跡が、刻まれていた。




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