Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



  

 第3話 もしかして、正夢?


「殿下、フリードリヒ殿下!!」
 名を呼ばれ、身体を揺すられ、フリードリヒは瞳を開いた。

「……ハイネ?」
 目の前の美人にそう声を掛ける。
 そのまま艶やかな黒髪に指を絡ませ、吸い込まれそうになる薄紫色の瞳を覗き込んで、フリードリヒは言葉を続けた。

「大切にしてあげるからね」
 そう告げて唇を寄せる。

 唇が触れる直前、
「……寝呆けてらっしゃいます?」
 その声とともに、顔の前に開かれた掌によって、甘い口付けは、完全に阻止された。
 目の前で開かれたその手を恨めしそうに見つめ、そうして少しだけ視線をずらして、フリードリヒはその手の向こうを見つめた。

「……ハインツ?」
「他の誰に見えるとおっしゃるんですか……」
「……ハイネ、くん、とか?」
「はあ??」
 あからさまに怪訝な表情を浮かべるハインツを見つめたまま、フリードリヒはもう一度小首を重ねた。

 昨夜のことを思い出してみる。

(ええっと、そうそう、ハインツのそっくりさんが来たんだよねー)

 くるりと視線を巡らせて見るが、もちろん何処にもハイネの姿はない。

 それでも、柔らかい寝具にそっと触れると、まるで傍にいるかのようにハイネの温もりを感じ取ることができた。

(昨夜、確かにハイネを抱いた、よね?)

 腕に残る、確かな感覚――。

「素敵な夢でもご覧になられましたか?」
 ハインツにそう声を掛けられる。
「顔が緩みっぱなしです」
 続け様にそう告げられ、フリードリヒは自分が微笑んでいることに気が付いた。

 昨夜のハイネの姿を思い出すと、微笑まずにはいられない。
 腕の中で、あんなに可愛らしく自分を求めてくれた存在――。

「夢じゃない、よね?」
 身体中の感覚が、夢ではないと告げているような気がした。

「どちらにせよ、」
 ハインツの声が割って入る。
「殿下の母君は夢見のご出身ですから、夢だとしても正夢でしょうね」

(正夢か……。ハイネにまた会えるかな……?)
 少しだけ潤んだ薄紫色の瞳を思い出し、フリードリヒはもう一度笑みを浮かべた。

(あれ……? 何か……)
 ふと、何かが脳裏を過る。

「あああ――っ!! 思い出したっ!!」
 その瞬間、『恐怖の対象』が、フリードリヒの脳裏に浮かび上がった。
 最早ただただ恐ろしいとしか思えない空色の吊り目が、今も自分を睨んでいるような錯覚を覚える。

「ハインツ、怖いよぅ……」
「はいはい」
 心底怖がっているのに、普段の素行のせいか、ハインツはさして真面目に取り合ってはくれない。
 ころころ変化するフリードリヒの表情にも半ば慣れっこといった様子で、ハインツはテキパキと書類を分類していた。
 その上、
「はいはい、それも正夢でしょうね」
と、恐ろしいことをさらりと言ってくれて、フリードリヒは泣き出しそうな声を上げた。
「ええーーっ! 嘘だと言ってよ……」
 そうぼやいて、恨めしそうな視線をハインツに送る。

 その背後に、澄んだ青空が見えた。
 そして、『それ』もまた同時に、フリードリヒの視界に飛び込んで来た。

「あ、猫」
 声を上げると同時に、フリードリヒは窓へと駆け出していた。

 大きく窓を開け放ち、外に浮かぶその猫へと手を伸ばす。
 だが、懸命に伸ばしたその手は触れる直前で空を切り、その猫は姿を消した。

 次の瞬間、

「殿下――――っ!!」

 ハインツの声が届いた時には、フリードリヒは空中の人になっていた。

「あれ?」
「あれ、じゃ、ありませんっ!!」
 窓から身を乗り出し、ハインツは辛うじてフリードリヒを掴んでいた。
 片手で窓枠を掴み、もう片方の手でフリードリヒの腕を掴む。
「上がって、下さいっ! もう、持たないっ!」
 ハインツが切羽詰った声を上げたその時だった。

 ばさりと翼の音が、2人の耳に届いた。
 見上げた2人の視線の先、澄んだ空と対照的な真紅の翼が見えた。全身を紅い鱗で覆われ、巨大な2つの翼を広げて、空を飛ぶものの――、それは、紛うことなく、『竜』の姿であった。

「エン!」
 フリードリヒの声に答えて、その竜がフリードリヒの身体を掴む。そのまま、ふわりと窓辺に近付いて、その竜は人の姿へと変化した。抱きかかえたままのフリードリヒをソファの上に下ろす。

「助かったよ、エン」
 素直にそう礼を述べるフリードリヒを、エンは黙ったまま真っ直ぐに見下ろしていた。

 初めて見る竜の姿に、ハインツは呆然と動けずにいた。

 ラストア王国では、王旗にもあるように『竜』が存在する。もっとも、『騎竜』は、王家にしか伝えられない『秘術』であり、王家の血を継ぐ者だけにしか許されてはいない。

 目の前で陽気な笑顔を浮かべるフリードリヒは、紛れもなく『第2王子』なのだと改めて認識しながら、ハインツはフリードリヒと竜の姿を交互に見ていた。

「ああ、そうか。ハインツは初めてだよねー」
 固まったままのハインツに、フリードリヒが笑顔を向けた。
「こいつは、エン。私のペットだよー」
 いつもの陽気な声でそう説明して、フリードリヒは背の高いエンを見上げた。

「馬鹿か、お前は」
 エンが口を開く。
 仮にも主人に対する言葉遣いとは思えなかったが、それよりも何よりもその低音の声は誰かを思わせずにはいられなかった。

 いや、それ以前に……。

「……ラインハルト?」
 ハインツは思わずそう問い掛けていた。

 正確にはラインハルトと異なるところもあった。
 褐色の髪はラインハルトより少し長めであるし、漆黒の瞳はラインハルトよりやや細く、きつい印象を受ける。ラインハルトも背が高い方ではあるが、目の前の『竜が変化した者』はそのラインハルトよりも更に頭半分ほど目線が高かった。そのせいか、随分と高圧的に思える。

「あ、違う違う。こいつの原型はラインハルトのお曾祖父様だから。似てるけどね」
 瞳を丸くしたままのハインツに、フリードリヒがそう説明を加えた。
「原型……?」
「そう、こいつが生まれたのは、私のお曾祖父様、つまり先々代の王の時代でね。竜は生まれ落ちたその夜、最初の主人によって、『人型』が決められるんだよ。『竜』はそうそう生まれないからね、エンはお下がりというわけ。私の代に生まれてくれていたら、ハインツみたいな……」
 言い掛けて、フリードリヒは言葉を失くした。

「まさか……」

 ハインツが望む人なのかと問われ、頷いた。
 その夜、ハインツそっくりの青年が姿を現した。

(主を間違えた……? 我が竜……、願い……?)

 昨夜のトウ王太子の言葉を思い出す。

「あの猫……」
「だからお前は馬鹿だと言っている。あれは風竜だ。ガリル王国のな」
 エンのその言葉に、全ての疑問が解決した。

(そう言えば、ハイネ、生まれたばかりとか言っていたっけ……)

「あれ? でも、」

(何で寝台に? 抱いてほしいって……。一度だけの我が侭だとか言ってなかったか……?)

 新たな疑問が沸いて出てくる。

「教えてやる」
 小首を傾げるフリードリヒの疑問を察したのか、エンが口を開いた。

「ラストア王国ではな、我ら炎竜は戦うために存在する。お互い戦闘種族だからな。だが、ガリル王国では事情が異なる」
「……?」
「風竜は、夜伽も務めとする」

(えええーーっ!! 何ですとーー!?)

 これで疑問が解決、といって喜んでいる場合でないことは、フリードリヒの能天気な頭にも理解出来た。

「つまりお前は、滅多に生まれない貴重な竜の『人型』を勝手に決めたことになる」
 エンの言葉がフリードリヒを更に追い込んだ。
 傍でじっと話を聞いていたハインツもやっと合点がいった風に、溜め息を落とす。

「少しだけ理解できました。つまり殿下が『猫』とおっしゃっていたものは実はガリル王国の風竜で、殿下は勝手に『人型』として、多分、俺の姿を指定した?」

 初めて会った時、トウ王太子は不機嫌そうな表情で、確かに『お前か?』とそう言った。
 それは自分の竜が取った人型の原型が、目の前に現れたことを意味したのだろう。

「賢いな、そのとおりだ」
 ハインツの言葉を、エンが肯定する。
「それで、殿下はどうなります?」
「あいつは、『フリードリヒで我慢してやる』とか言っていたな」

(何故、それを知ってるんだ、エン!)
 心の中でフリードリヒはそう叫んでみた。
(いや、そういう場合ではなくて……)

「責任取るしかないだろうな」
 さらりとエンがそう告げる。

「えええーーーっ!! ちゃんと管理してなかったあっちも悪いんじゃないかーーっ!!」

 さわやかな風が吹く朝の王城に、フリードリヒの声が響き渡った。




Back      Index      Next