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『仕方がない。そなたで我慢してやることにしたから。責任を取ってもらうぞ』
そう言って、空色の吊り目が睨んでくる。
最早恐怖の対象となったその瞳に睨まれると、身動ぎ一つ出来なくなった。
(……怖いよー)
今なら、蛇に睨まれた蛙の心境もよく判るような気がした。
その場に立ち竦んでいると、乱暴にどんっと押し飛ばされる。
(こ、殺される……)
真剣にそう思う。
十字に組んだ両腕で顔を覆った、その時だった。
手首を掴まれ、拡げられる。そうして、その手はそのまま顔の両脇に縫い付けられた。
(……え?)
何かが唇に触れてくる。
柔らかい感触――。
何度か啄ばまれ、そうしてそれが歯列を割って口腔内に侵入して来た時、フリードリヒは口付けられていることを自覚した。
(ええ――っ!)
驚きの余り、思考が止まる。
その間も、トウ王太子の舌は口蓋を舐め、怯える舌を引き摺りだそうと試みていく。
(う、上手い……っ!)
何とか思考回路を復活させようとするものの、今度は別の感覚に思考を攫われてしまう。
口腔内を蹂躙され、やっと開放された時には、浅い吐息を漏らす他には指一本動かせないほどに、全身から力が奪われていた。
恐る恐る瞳を開けると、空色の瞳が見下ろしていた。
『スイとは似ても似つかぬが、』
不機嫌な声がそう告げる。
『その灰色の瞳が微笑むのは、心地良い』
(なら、怖がらせないで……)
泣きそうになりながら見上げると、トウ王太子の空色の瞳に哀しみの色が浮かんだような気がした。
(あ、泣きそう……)
どう考えても、涙と縁遠そうなその空色の瞳が、泣いてしまうようなそんな錯覚を覚え、一瞬どきりとする。
(ええっと、とりあえず笑っておくか……)
何故そう思ったのかは判らないが、とにかく一旦微笑んでやることにして、フリードリヒはにっこりと笑みを浮かべた。
トウ王太子の瞳から、哀しみの色が遠ざかっていく。
そうして、
『同意と取るぞ』
そう告げられ、フリードリヒは笑顔を強張らせた。
(はい? 何の??)
頭の中で自問を繰り返してみる。
――答えは明白だった。
トウ王太子の指は、さっさと釦を外しに掛かっている。あっという間に衣服を肌蹴られていく。
よく見ると、ここは寝台の上。
寝台の上で、圧し掛かられて、服を脱がされて……。
(もしかして、……犯される?)
全身の血の気が引いていくような、そんな感じがした。
「うわあ――っ!!!」
叫び声とともに跳ね上がる。
数回の荒い呼吸の後、周囲を見渡して、フリードリヒは大きな溜め息を落とした。
「夢、か……」
脱力感とともに、もう一度寝台の上に倒れ込む。
『正夢でしょうよ』
頭の奥で、ハインツがそう告げたような気がした。
「誰か嘘だと言って……」
そう願いながら、フリードリヒは身体を起こした。そのまま寝台を後にして、上着を羽織る。
夜明けまではまだかなりの時間がありそうだった。
だが、とてもじゃないが、もう一度夢を見ようという気にはなれなかった。
長い廊下を歩き、中庭に続く露台(テラス)に足を踏み入れる。
見上げると、満天の星が視界に映った。フリードリヒの大きな灰色の瞳に星々が煌く。
「さて、どうしようか……」
露台の端に設置された長椅子に腰を下ろしながら、そう呟いてみる。
星空に、別れ際に見たハイネの哀しそうな笑顔が浮かんだ。
知らなかったとは言え、ひどいことをしてしまった。
エンが言っていたことが本当だとしたら、本来ならハイネは、主人に愛される姿に変化して、その寵愛を一身に浴びる筈だったのだ。
「今頃、どうしているのだろう?」
伽を務めるのが役目だという。
ならば、トウ王太子に抱かれるのだろうか……。あるいは既に今晩抱かれたのかも知れない。
自分の望んだ姿ではないハイネを、あの王太子は優しく扱ってくれるのだろうか――。
『抱いて欲しい』と言って、昨夜、ハイネはやって来た。
『それが願い』だと、そう言った。
つまり、ハイネも、トウ王太子に抱かれることを望んではいないのかも知れない。
「いっそのこと、攫ってしまうとか……?」
外交問題に発展しそうだ……。
「責任取って、ハイネをお嫁さんに下さい、とか?」
希少な『竜』をそう簡単にくれるわけがない……。
「買い取る、とか?」
一体いくら吹っ掛けられるだろう……。
「エンと交換する、とか?」
いや、そういう問題ではないだろう……。
いずれにせよ、自分にも責任がある。
何よりハイネを不幸にするわけにはいかない。
「要するに、ハイネを貰って、その代償を支払えばいいわけで……」
「そのとおりだ」
独り言に答えられて、フリードリヒは心底驚いた。
そして、声の主の姿を確認し、腰を抜かし掛けた。
「トウ王太子殿下……」
見たくない、空色の瞳がそこにあった。
いつから居たのだろう……?
トウ王太子は真っ直ぐに立ったまま、静かに空を見上げていた。
静かに星を見つめるその瞳は、脳裏に刻まれたほど恐ろしい印象はなかった。
強烈な印象の瞳にばかり気を取られ、トウ王太子の姿形をしっかり見たのは今回が初めてのような気がする。
ガリル王国人とはこういうものなのか、フリードリヒも背が高い方であるが、トウ王太子は更に頭一つ近く背が高かった。もしかするとエンよりも背が高いかも知れない。短い髪は艶のない闇色で硬く、褐色の肌にとても良く似合っていた。年は確か自分より3つだか4つだか上でそうは変わらないと聞いていたが、トウ王太子は随分と大人びて見えた。自分自身が幼く見えることは承知していたが、きっと知らない人間が見れば随分と年の差があるように見える筈だ。
満天の星がそう演出するのか、佇むトウ王太子の姿に、これまで見た高圧的で怖い印象はあまりない。むしろ、何処か寂しそうに見えるような気がする。
そういえば、この人に対しても、ひどいことをしたことになるのか……。
ふと考えが及び、フリードリヒは胸が痛んだ。
希少な竜の卵。それを手にして、孵る日を楽しみにしていたのかも知れない。
想いを寄せる人がいたりして、その姿を思い描いていたのかも知れない。
「ええっと、その、この度は申し訳ないことを」
素直に侘びを入れる。
「もう良い。だが、責任は取ってもらおう」
その台詞に、フリードリヒはぞくりと悪い予感を覚えた。
(何だろう……。何か忘れているような……)
腕をぐいっと掴まえられる。
「あっ!!」
夢の内容を思い出し、声を上げるのとほぼ同時に、唇を塞がれた。
「……んっ!」
歯列を固く閉ざし、全力でトウ王太子の身体を押し退ける。
(あんなキスされたら、きっと負ける……っ!)
必死の抵抗だった。
「ハイネ、と名付けられたあいつは、私の腕の中で涙を流す」
そう告げる、トウ王太子の声は、何処か哀しげだった。
「卵の頃から慈しんできたのだ。あれに泣かれるのはつらい」
どんな姿であろうと、ハイネを大切に想っていることが判った。
「あれを泣かしてまで抱こうとは思わぬ」
言葉一つ一つが重く圧し掛かる。
「だから、そなたを貰い受けることにする」
「ちょ、ちょっと、待った!」
だからといって、「はい、判りました」と言えるものではない。
「不服か?」
そう言いつつも、退くという言葉を知らないであろう空色の瞳は、ちゃっかりと長椅子の上にフリードリヒを押し倒していく。
何としても流されるわけにはいかない。
「いえ、というか、私、男ですが……」
ハイネも男であることはこの際無視して、妥当な線から反論を開始する。
「それがどうした。問題はない」
(へえ、ガリル王国では同性の婚姻も認められるんだ……、ではなくて!)
「えっと、一応、一国の王子だったりもするわけで」
「そなた、第2王子だろう? 貰い受けても問題あるまい」
(ま、王位は兄上が継ぐわけで。王家に生まれた以上、恋愛結婚は諦めてはいるけど……、ではなくて!)
「仮にも王子が組み敷かれる、というのには抵抗がありますが?」
(……何だ、その理屈は……)
自分でも半ば呆れながら、それでも抵抗を止めるわけにはいかない。
「……そうか」
その理屈が通用したのかどうか、がっしりと押さえ込まれていた状況から開放され、フリードリヒは安堵の息を落とした。
だが、次の瞬間、状況が少しも好転していないことを思い知らされる。
「ならば、上に乗れ。大丈夫だ、どんな姿勢でもちゃんと抱いてやる」
「はあ?」
夢での出来事を思い出しながら必死で口付けを阻止していたものの、肌蹴た衣服の間を無骨な指先が滑り込み、腰を擦り上げられると身体がぞくりと震えた。
(うわっ、……上手い……っ)
身体の芯に熱が集まっていく。
(まずいよ……。流される……っ)
トウ王太子の肩越しに満天の星が見えた。
何処まで、抵抗し続けられるだろう……。
その時だった。
「あ……、」
満天の星の中から、ふわりと姿を現したその人物に、フリードリヒは瞳を見開いた。
「ハイネ……」
長い黒髪を夜空に舞わせ、ハイネが2人の前に降り立った。