Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



  

 第5話 夢か現か…… 


「我が主、」
 そう声を掛けて、ハイネは長椅子の前に跪いた。そうして、両手をついて、頭を垂れる。艶やかな黒髪がさらさらと音を立てて石畳の上に落ちていくのが、フリードリヒの灰色の瞳に映った。
 何処か痛々しいその様子に、胸が痛む。
「ハイネ……」
 そう名を口にし、フリードリヒはトウ王太子の胸をやんわりと押し退けた。トウ王太子の口から溜め息が零れる。

「面を上げよ」
 トウ王太子の声にハイネが従う。星明かりの下でも薄紫色の綺麗な瞳には涙の跡が見て取れた。

(……泣かせたくないなら、覚悟を決めなくてはならない、か)

 一度満天の空を仰ぎ、そうして、フリードリヒはハイネを見つめた。不安そうに見上げるハイネににっこりと笑顔を送る。そうして、視線を巡らせ、トウ王太子の姿を視界に納めた。
 トウ王太子は黙ったまま、長椅子に腰掛けてフリードリヒを見つめていた。それはまるでフリードリヒが出す結論を待っていてくれているかのように思えた。
 視線が絡まる。
 どうしてだろう。
 あんなに怖かったはずの空色の瞳を、不思議なくらい恐ろしいとは感じなくなっていた。

(……さて、どうやって切り出そうか……?)

 しばしの間思案して、フリードリヒは立ち上がった。座ったままのトウ王太子の前に対峙し、笑顔を浮かべる。

 そして、
「お嫁に貰ってくれる?」
と、出来るだけ愛らしい素振りを加えて、フリードリヒは茶目っ気たっぷりにそう言葉にしてみた。

(あ……、失敗?)
 しん、と静まり返る空気に、フリードリヒは笑顔を凍り付かせた。

(だって、仕方ないじゃないかー。覚悟は決めたけど、他にどう言えばいいのさ……)
 凍りついた笑顔を膨れ面に変えようとしたその時だった。
 露台(テラス)に笑い声が響き渡る。
 瞳を丸くするフリードリヒの前で、トウ王太子はお腹を抱えて笑っていた。

 初めて見たトウ王太子の笑顔に、胸がとくん、と音を立てる。

(……あれ?)
 その胸に手を当てながら、フリードリヒは小首を傾げた。
(何だろう……。もしかして、この笑顔に惹かれてる……?)

「気に入った。貰ってやる」
 嬉しそうにそう宣言し、手を掴んでくるトウ王太子の笑顔を見つめながら、『嫁に行く』ことを思ったほど嫌がっていない自分に呆れた。

(我ながら、何て順応性の高い……) 
 ふうっと溜め息一つを落として、フリードリヒはもう一度笑顔を浮かべて見せた。

 何はともかく、ハイネを泣かせたくはない。これだけは確かであった。
 ラストア王国のことや何よりハインツのことを思うと、心残りがないわけではなかったけれど。
 それでもラストア王国には父王もいれば兄もいる。ハインツにもラインハルトがいる。
 ハインツのためなら自分を捨ててもいいという気持ちには、今も偽りはないけれど、ハインツは決して自分を求めてはくれない。ならば、自分を必要としてくれる者のために自分という切り札を使ってしまってもいいかも知れない。

 ふっと空を見上げると、星々が眩いくらいに煌いているのが見えた。

「フリードリヒ様、」
 ぼんやりしていると、足元から声が届いた。視線を落とすとそこにはハイネの姿があった。
 薄紫色の瞳が何処か哀しげに揺れているような気がする。
「私のためを思って下さる、そのお気持ちは嬉しゅうございます。でも、」
 その言葉に、自分の考えを読まれていることを直感した。

(この子は、人の気持ちが判るのかな……?)
 そういえば、初めて抱いた夜もそうだった。

「心配することはないよー。自分の意思だからね」
 笑顔でそう答えてみるものの、ハイネの表情は硬い。
 首を横に振るその顔は、今にも泣き出しそうに見える。
「いえ、フリードリヒ様はお優しいから、私のためにご自分を犠牲にしようとなさってらっしゃる……」
「……違うよ?」
「違いません」

(……この融通の利かなさは、絶対にハインツ譲りだ……)
 そう確信して、フリードリヒは大きな溜め息を落とした。

「あのね、ハイネ」
「だって、フリードリヒ様は、我が主を愛して嫁がれるわけではないでしょう?」

(……あいたたた。痛いトコ、突いて来るね……)
「それはね……、」
 言い掛けて、フリードリヒは息を呑んだ。背筋が凍りつくような殺気を感じる。
 振り返ってはいけない、誰かがそう告げているような気がした。
 それでも何とか恐る恐る視線を上げると、細められた空色の瞳がフリードリヒを射抜いていた。

「愛していないだと?」
 威嚇するような声だった。
「そなた、愛していないのに嫁に来ると言ったのか?」
 空色の瞳は、明らかな怒りを訴えてくる。

(こ、怖い……)
 再び恐怖が膨らんできた。それでも、ここは退くわけにはいかない。

(そもそも何で私だけが非難されなきゃいけない? そっちだって愛があるわけ?)
 怒りを訴えてくる空色の瞳を見ているうちに、何だかふつふつと怒りが込み上げてくる。そこで、フリードリヒは、灰色の大きな瞳で精一杯トウ王太子を睨んでみた。

「気に入らんな」
 不機嫌そうな声が告げた。次の瞬間胸倉を掴まれ、フリードリヒは息を呑んだ。

(何て我が侭な……。これだから王子って人種は……)
 この際自分のことは棚に上げて、フリードリヒは口を尖らせた。その口に口付けられる。

「……んっ」
 不意打ちに面食らった一瞬を突いて、トウ王太子が体重を移動させてくる。しまった、とそう思ったときには再び長椅子の上に押し倒されていた。

「私しか見えぬようにしてやる」

(何だって!?)
 一方的なもの言いに反論しようとした口をもう一度塞がれ、肌蹴られかけた衣服に再び手を掛けられる。

(やっぱり、上手い……っ!)
 衣服の間に滑り込んで来た指に腰を撫で上げられ、乳首を転がされて、背筋をぞくりと何かが駆けた。

(絶対に、場数をこなしてるって!)
 手馴れたその動きに、そう確信する。
 求婚したのだって今回が初めてとは限らない。

(もしかすると、国に奥さんの1人や2人、5人や10人いるんじゃないか……っ?)

「我が主が求婚なさったのは、今回が初めてです」
 突然耳元でそう囁かれる。
「……ハイネっ」
 視線を上げ、ハイネの姿を見つけて、フリードリヒは少し安堵した。
 だが、それも束の間、
「ハイネ、手伝え」
と言うトウ王太子の言葉に、
「はい」
と答えられたとき、フリードリヒは目の前が暗転するのを感じた。


 長椅子の腕に仰向けに寝かされた、というより磔(はりつけ)にされたといった方が正しいのかも知れない。頭上でハイネに抑え付けられた両腕は、最早ぴくりとも動かすことは出来なかった。
 恨めしそうにハイネに視線を送ると、微かに微笑むハイネの姿が見えた。こちらの視線に気付いたのか、耳元に唇を寄せて囁き掛けてくる。
「もしあなたが本気で拒絶なさるなら、我が主に背く覚悟もしていましたけど……」
「本気、で……、抵抗、……してる、つもりだけど?」
(そりゃ、ガリル王国に貰われる覚悟をしたけどね……。この状況はどうかと思うわけで……。それとも何、抵抗していないように見える?)

 視線の先、ハイネがふわりと微笑む。

(……ま、いいけどね)

 ぞくぞくとした感覚が駆け上がってくる。どう心境が変化したのか、ハイネが笑顔を見せてくれる。
 何だかもうどうでもよく思えてきて、ふうっと息を吐くと、フリードリヒは固く握っていた拳から力を抜いた。


 下腹部を滑り降りたトウ王太子の指が、下穿きの中に滑り込んでくる。直に自分自身を掴まれ、その手が伝える熱に背筋がぞくり、とした。
「何だ、感じているではないか……」
 その声に体温が上がる。
「……上手、すぎる、よ……っ」
 自分が感じやすいわけでは決してない、とそう伝えたかったのだが、どうやら誉め言葉とでも思ったのか、空色の瞳が嬉しそうに微笑む。

(うん……、怒っているより、ずっと、いい……)
 どうやら、トウ王太子の台詞ではないが、自分もこの瞳が微笑むのを見るのは心地良いとそう思っているようだ。何だか判らないが、この瞳に惹かれる、それは認めなくてはならないのかも知れない。
 そうこうする間も、巧みな指の動きがフリードリヒを追い立てていく。
 力が入らない。思考が奪われる――。

「……あ、」
 思わず漏れた自分の声は想像以上に上ずっていて、フリードリヒは慌てて声を喉の奥に声を張り付かせた。
「声を聞かせよ」
(冗談、じゃない……っ)
 首を横に振って拒否の意思を示すと、トウ王太子が舌打ちをする。そして臍の周りを舐めていた舌を大腿部へと滑り降ろした。
「……な、何? ……う、んッ!」
 突然、ねっとりした熱いものに絶頂寸前の自分自身を包まれる。トウ王太子の口腔に愛撫されているのを認識すると、身体がぞくり、と震えた。瞬く間に快楽の波が押し寄せてくる。
(何……っ、これ……ッ)
 かつて感じたことのないほどの快楽に灰色の瞳に涙が浮かんだ。絶頂が近付いてくる。
「……んッ!!」
 限界を迎え、フリードリヒは腰を浮かせた。瞳を伏せて小刻みに身体を震わせる。


「……はあ……ッ、はぁッ、」
 肩で息をしながら瞳を開くと、口端から零れる白濁液を拭いながら見下ろしてくるトウ王太子と視線が合った。押し黙ったままの空色の瞳にじっと覗き込まれる。
「……そんなに、見られると、恥ずかしいんですけど……」
 身の置き所がなくて、フリードリヒは顔を背けた。
(無遠慮にも程があるんじゃないか……)
 心の中でだけそう悪態を吐いておく。

「ああ、すまぬ。見惚れていた」
(はい?)
「神に感謝せねばな」
(何を?)

 恐る恐る視線を戻すと、天を見上げるトウ王太子の姿があった。何だかとても嬉しそうなその様子に、こちらまで嬉しくなる。我ながら何て単純なんだろう、鼓動が少し速くなったような気さえした。

(あ、そうですか。満足して下さり、何よりです……)
 そう考えて、
(満足……? 満足したのは、まだ私だけのような気が……)
 ふと、これで終わりではないことを思い出した。
 次の瞬間後蕾に触れられ、フリードリヒは身体を硬直させた。

「……硬いな」
(率直なご感想をありがとう……)
「解さなくてはな」
(止めてはくれないわけですか……)

 何処から出したのだろう、魔法か何かだろうか、そんなことはどうでもいいことだが、トウ王太子は潤滑油を手にしていた。後蕾に垂らしながら入り口を指で解していく。
 ぬるり、とした感覚とともに、トウ王太子の指が滑り込んでくるのを感じた。耐え難い異物感にフリードリヒの眉が顰められる。

「初めてか?」
 トウ王太子の声が問い掛けてくる。
 当たり前だ、と叫んでやりたいところだったが、今、口を開くとどんな声が飛び出すか判らなかった。唇を引き絞ったまま、こくこくと頷く。その返事に喜んでいるらしい気配が伝わってきた。トウ王太子も案外と単純なのかも知れない。

「私は幸運だな。初恋の相手の初めての男になれるのだからな」
(……はい? 今、何て言った?)

「何、だって? ――ッ、あ……ッ、」
 口を開くと、思わず声が零れる。視線を向けると、トウ王太子が笑顔を返してきた。どうやらかなりご機嫌だ。

「正確には2番目か。私が初めて心を奪われたのは、スイの肖像画だからな」
 スイ、何処かで聞いたような気がする。
(あ、さっきの夢か……。『スイとは似ても似つかぬ』とか何とか言ってたような……)

「私が生まれた時には、スイは既に棺の中の人であったがな。その儚げな灰色の瞳を微笑ませたいと、ずっとそう願い続けてきた」
 その言葉に合点がいく。どうやらトウ王太子が竜の卵を大切に育ててきたのは、そのスイという人物の笑顔を見たかったからなのだろう。500年に一度と言われる竜の産卵。おそらく2度とその機会に恵まれることはない。
 胸の奥が、ちくり、と痛んだ。

「そなたを初めて見た時、驚いた。奇跡だとさえ思った。ずっと思い描き続けてきた瞳が、現実となってそこに現れたのだから……」
 空色の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。

 そして、
「そなたを愛している」
 はっきりとした声で、トウ王太子はそう告げた。
 きっぱりと言い切っておきながら、恥ずかしいのか何なのか、トウ王太子はふいっと顔を背けて、再び下腹部へと滑り降りていった。視線を巡らせると、トウ王太子の紅く染まる耳朶が見えた。全身から力という力が抜け落ちていく。

(……何? 奇跡? ……愛している?)
 告げられた言葉の意味を理解しようとして、何度か頭の中で繰り返した。だが、滑り込んだ指にぐるりと内壁を掻かれ、再び思考が攫われていく。

「今、返事は要らん。とにかく、そなたは私を愛せ」
「あ、……待て、って……、あッ!」
 大事なことだろう、そう思うのは間違いだろうか……。
 問いただしたいのに、口を開くと同時に上ずった声が漏れてしまう。トウ王太子はというと、告白はもう止めにしたのか、口を閉ざしてくちゅくちゅという卑猥な音を響かせることに集中していた。

 ぞくぞく、と何かが背中を駆け上がっていく。
 どうやらただの潤滑油というわけではなさそうだった。トウ王太子が指を出し入れするたびに、その場所が熱を帯びていくのを感じる。巧みな動きが更にそれを加速させていく。
 何がなんだか判らなくなる。
 何が真実で何が虚構なのか、何処までが現実で何処から夢なのか――。


「我が主のお言葉、紛れもない真実ですよ」
 ハイネの声が聞こえた。
「今はどうかお身を任せて……」
 甘い囁きが、じん、と浸透していく。

 快楽の波に呑み込まれる。
 最早拘束はされていなかった。ハイネの舌と指が前を刺激していく。同時にトウ王太子の指が数を増して、熱いその場所を行き来していた。耐え難い疼きに身体が支配されていく。身体の奥が何かを求めていた。

「あ、あ……ッ、も、もう……、」
 欲しい、とその言葉が喉をついて出そうになる。

 手を伸ばし掛けたその時だった――。

「我が主、」
 幾らか切羽詰った声が耳に届いた。直後、舌打ちのような音が聞こえたような気がした。
 2人の動きが止まる。

(……何?)
 ぼんやりとした思考の中、2人が見つめる先へと視線を巡らせた。
 夜が明けるのか、一条の光が差し込もうとしているのが見えた。

「……ち、ここまでか」
 トウ王太子が身体を起こす。
「誠に名残惜しいですが……」
 そう告げて、ハイネが手早い動作で衣服を整えて始めた。

(え? 何? ここまでしといて……っ!?)
 灰色の瞳を見開いて、トウ王太子の姿を映す。

「あ……ッ」
 ハイネが整えていく衣服が触れるだけで、声が上ずった。突然の終わりに、身体中がおかしくなりそうだった。

「イかせてやる」
 そう告げられ、トウ王太子に口付けられる。相変わらずの巧みな舌使いに、感じすぎた身体は瞬く間に支配された。
「……ッ!」
 小さく息を呑んで、呆気ないほどに達してしまい、フリードリヒは長い吐息を落とした。


「そのような目で見るな。手放せなくなる」
 そう言って、トウ王太子はもう一度、今度は啄ばむような口付けを落とした。

「我が国では、陽の光の下で身体を繋ぐことは許されないのです」
 ハイネがそう説明を加えてくれた。

「本日、正式にそなたを貰い受ける話をヴィルヘルム国王陛下にさせていただく。続きはその後だ」
 そう宣言し、とんでもなく嬉しそうな笑顔を残して、トウ王太子はその場から姿を消した。




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