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鉄格子の嵌った小さな窓。
そこから差し込む夕陽が、狭い空間を紅く染めていた。
その鮮やかな色は、愛しい誰かを思い出させて――。
気だるい身体を真っ白な寝台に投げ出したまま、ロイは静かに天井を見つめていた。
あの日。
自分の全てが崩壊した。
あれから、どのくらい経ったのだろう。
もともと白かったロイの肌は、陽の光を浴びないことで更に抜けるような白さへと変化を遂げ、
しなやかな肢体には、この年頃の少年が持つはずのない壮絶な色香を纏い、
そうして、美しすぎる青灰色の双眸に、凍てついた氷のような微笑を浮かべて、
ロイは天井を見つめ続けていた。
ただ、
胸元をきつく握り締める指だけを、ほんの少し震えさせながら。
『…そうか。そういうことか、ロイ』
不用意にアルフの名を口にしてしまった、あの瞬間の、ダンフィールドの双眸。
心の奥底にしまった想いすら見透かすような――。
『……すべてを叔父上のものになさるのでしょう?』
この想いを知られるわけにはいかないから。
すべてを受け入れた冷たい視線で、そう答えてみせた。
夜毎繰り返される悪夢を、自ら進んで受け入れてみせた。
そうして、心と身体を苛む行為の中に、違う感覚を掬い上げるようになった頃。
ともすれば快楽に流されそうになる忌まわしいこの身体を嫌悪して、傷つけてしまいたいと、そう願い始めてしまった、そんな頃――。
叔父は、この北の塔にアルフを寄越した。
脆いこの心が壊れていくことを楽しむかのように。
そして、不意に込み上げてくる想いに縋りつくようにして決意を固める心の奥を、楽しむかのように。
「……自分で決めたことだ」
青灰色の瞳で天井を見つめたまま、ロイは自らに言い聞かせた。
「……恨んでくれていい。それでも、お前を失うことが怖いんだ。だから、」
胸元を握り締める指が、小刻みに震える。
「いっそ、憎んで、忘れてくれ……」
見開いた青灰色の双眸から、涙が一筋零れ落ちた。
それを拭うこともせず、ロイはただ真っ直ぐに天井を見上げていた。
階段を上がってくる足音が耳に入る。
それは、どんなに遠くから駆けて来ても一度たりと聞き間違えたことなどない愛しい足音。
その足音が次第に近づいてくる。
この狭い空間が夕陽に染まるこの時間。
この愛しい存在を想わずにはいられなくなるこの時間。
――叔父上。あなたは全て判っていてこの時間を選んだのか――?
いつものように、その足音は扉の前で止まった。
そして、
「……ロイ、」
しばらくの沈黙の後、扉の向こうからアルフの声が響いた。
ずっと傍にいた、自分の名を呼んでいた、愛しい声。
自分の名を呼ぶその声に、ロイの鼓動が高鳴る。
「ロイ……」
決して答えない。そう誓ったのに――。
胸元をきつく握り締めるロイの指の関節が白くなる。
「……ロイ」
何度も繰り返される。それは今まで聞いたことのないような声色だった。
扉の向こうの勝気な赤褐色の瞳は、涙を堪えているのだろうか……。
「……ロイ、入ってもいいか?」
どくん。
鼓動が一層速くなるのを感じて、ロイは息を詰めた。
扉の向こうで鍵を持っているのはアルフである。当然のことながら、幽閉される身であるロイの側には鍵はない。入ろうと思えば、いつでも入れるはずだった。
それでも、アルフが入ってくることはなかった。
返事を待っているのだ。
「ロイっ!」
強く扉が叩かれる。何度も呼び続ける声にロイは瞳を固く閉ざして首を振った。
扉を隔てた向こうから、アルフの想いが溢れてくる。
「アルフ様。お時間です」
兵士の声が響く。
「ロイ。俺、強くなるから」
「……アルフ様、」
「約束する。必ず強くなるから。ロイを幸せにするから」
それは、意志の込められた強い口調だった。
「ロイ。愛している」
最後にそう告げて、アルフはその場を去って行った。
狭い空間に、再び訪れる静寂。
「……相変わらず、馬鹿な奴。……人前で、『愛している』、なんて……」
静かにそう告げながら、ロイがゆっくりと瞳を開く。
そして、ほんの少しだけくすりと笑ってみせた。
真っ直ぐに向けられるアルフの想い。
答えを出せずに、迷い続けた自分。
自分の中の答えはとっくに決まっていたのに。
声には出さず、想いを唇にのせる。
もう2度と、口にすることは出来ないけれど。
「……大丈夫。大丈夫だ、ロイ。お前はまだ壊れてはいない」
夕陽が落ち、次第に闇に染まる空を青灰色の瞳に映しながら、ロイはそう呟いた。
「お前には、やらなくてはいけないことがあるのだから」
深い闇にその身を委ねるように妖艶な笑みを一つ浮かべて、瞳を閉ざす。
北の塔の最上階に、再び深い闇が訪れようとしていた。