Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 SELEN 

 第7話 絶望 


 雪が、美しい城下を白く変えていく。
 鉄格子の隙間からそっと手を伸ばして、ロイは微かに笑みを浮かべた。
 白い手の中で、一片の雪が消えていく。
 その光景を、ロイはいつまでもただ静かに見つめていた。


 階下から聞こえてくる騒々しい音の中に混じる声。
 その声を確認して、美しい青灰色の瞳を閉ざされた扉に向ける。
「……アルフ?」
 空はまだ紅く染まっていない。アルフの来訪には早過ぎる時間。
 それが、何を意味するものか――。
 大きく1つ息を吸い込んで、ロイは青灰色の双眸を伏せた。
 階段を駆け上がってくる音に耳を澄ませて、その刻を待つ。
 その音の主は制止する兵士たちの声を振り切って、扉の前に辿り着いたようであった。

「ロイっ!」
 声と同時に金属音が聞こえる。
 それが閉ざされた扉の鍵を開く音であることは容易に理解できた。
 程なく、勢い良く扉が開かれる音が響いた。
 鉄格子が嵌った窓に背を預けながら、意を決したようにロイは青灰色の双眸を開いた。

 意志の強い、少し吊り上った赤褐色の瞳。
 やわらかい薄茶色の髪。日に焼けた肌。

 会いたい、と、そう想い続け、拒絶し続けてきた、この世で唯一つ、大切な存在。

「……アルフ、」
 ようやく発した言葉は震えていないだろうか。
 見据える瞳は揺れていないだろうか。

「ロイ」
 後ろ手で乱暴に扉を閉ざしたアルフが、真っ直ぐな眼差しを向けてくる。
 その瞳に浮かべているのは、深い哀しみか。それとも、怒りか。
 その一瞬が、とてつもなく長い時間に思えた。
 アルフの動作1つ1つに心音が大きくなる。

「……何か用か? アルフ」
 出来るだけ抑揚を抑えた声で、冷たい視線で、ロイはそう尋ねた。
 一瞬の沈黙の後、
「ロイっ!」
 泣き出しそうなアルフの声がロイの耳に届いた時には、ロイの目の前にアルフのやわらかい髪があった。
 背中に回された腕が小刻みに震えているのを感じる。

 ――泣いて、いるのか。

 しがみついたまま声を抑えているアルフの姿に、胸が締め付けられた。
 だが、やわらかい薄茶色の髪をそっと撫でてやりたくなる衝動を抑えて、ロイは1つ息を吐いた。

「……アルフ、何があった?」
 答えは予想出来ていた。
 アルフは知ってしまったのだろう。
 叔父と自分の関係を――。
 真っ直ぐで純粋なアルフの心が悲鳴を上げている。

 知られたくなかった――。
 いや、自分は、この瞬間を待っていた『はず』であった。

 真っ直ぐに向けられ続けるアルフの想いを終わらせる、唯一の機会なのだ。

「……ロイ、」
 アルフの声が響く。
 ぎゅっと抱き付いたまま、
「俺、ロイの言葉だけを、信じるから」
 赤褐色の瞳に涙を溜めて、
「答えてくれ、ロイ」
 ほんの少し掠れた声で、

「親父は、あいつは、ロイに何をした?」

 どくん。

「……答えてくれ、ロイ」
 痩身を思い切り抱き締められ、ロイはほんの少し顔を顰めた。
「答えろよ、ロイっ!」
 勝気な赤褐色の瞳に涙を浮かべたアルフが見上げてくる。
 その視線を受け止めて、綺麗な表情でロイは1つ息を吐いた。

「……抱かれたが、それがどうかしたか?」
 氷の彫像を思わせるような、表情を無くした冷ややかな美貌で、アルフを見下ろす。
「……お前には、関係のないことだろう」
 もう一度息を吐いて、ロイは青灰色の瞳を伏せた。
 その美しい瞳に、アルフの姿を映すことを拒むかのように。

「何でだよっ!?」
 乱暴に腕を掴まれ、投げ捨てられるように寝台に押し倒され、ロイは小さく呻き声を漏らした。
 そのロイの上に馬乗りになる形で、白い両腕を押さえ付けてアルフが荒い息を零す。
「……許さない、絶対に、許さない……っ」
 瞳を閉ざしたまま顔を背けるロイの頬に、アルフの涙がぽたぽたと降って落ちた。それは泣けない自分の代わりに流される涙のように思えた。
「……あいつ、殺してやる……っ」
 ロイの白い首筋に残る情事の跡に、アルフの双眸が怒りに染まる。
 激しい気性に任せて引き裂くようにロイの上着を肌蹴ると、白い艶やかな肌が姿を現した。その肌に浮かぶ幾つもの紅い華が壮絶な色香を引き出す。
「ロイ……。好きだ、愛している」
 抱き締めようとするアルフの腕をやんわりと押し退けながら、ゆっくりとロイは青灰色の瞳を開いた。
「お前に、抱かれてやる理由はない」
 抑揚を抑えたロイの声。
 それは、アルフの記憶にある、涼しげだが何処か暖かい声ではなかった。
 視線を向けたアルフの眼に映ったのは、冷たい凍てついた青灰色の瞳。
「……ロイ?」
「誤解するなよ、アルフ。叔父上とのことはすべて同意の上だ」
 綺麗な動作で乱れた黒髪をかきあげながら、ロイが息を吐く。
「抱かれることで叔父上はそれなりの見返りをくれる。お前に抱かれて何の利益がある?」
 美しい青灰色の瞳をすうっと細めながら、ロイは滑るように言葉を繋いだ。
「余計な手出しは迷惑だ。お前も少しは賢い生き方をしたらどうだ」
「ロイ、どういうことだ?」
 目の前で紡がれる言葉が信じられないとでも言うかのように目を見開いて、震える声でアルフが続ける。
「……判らない。ロイの言うことが理解できない。こんな所に閉じ込められて、あいつに抱かれて……。同意の上だと? 賢い生き方だと? どうかしてしまったのか、ロイ」
「どうもしないさ。これが俺だ」
 静かにそう告げ、ロイは瞳を伏せた。
 これ以上、涙を流すアルフの姿を見たくはなかった。

「……出て行け」
 最後に小さくそう告げて立ち上がると、ロイはアルフに背を向けた。ゆっくりと窓辺に近づき、降り続ける白い雪を感情をなくした瞳に映す。ただ、冷たい鉄格子を握り締めた指先の震えだけは止まらなかった。


 しばらくして、アルフの気配が立ち去るのを確認して、ロイは大きく息を吐いた。
 鉄格子の嵌った窓の向こうには、降り続ける真っ白な雪。
 それを見つめるロイの青灰色の瞳がほんの少しだけ揺れる。
「上出来だ、ロイ」
 自らに言い聞かせるように呟き、口元に綺麗な笑みを浮かべてみせた。
 最後に見たアルフの赤褐色の瞳には、深い絶望が刻まれていた。
 それを刻み込んだのは、紛れもなく自分だ。
 どんなことをしてもアルフに生きていて欲しい。
 たった1つの願いを捨てられない自分は何と愚かなのだろう。

 鉄格子の隙間からそっと手を伸ばし、
 手の中で消えていく雪を、
 ただいつまでも青灰色の瞳で見つめていた。



Back      Index      Next