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窓の外に視線を送ると、瞬く星々の姿が見えた。
この廊下を、カルハドール王の下へと歩いたのはつい先刻のことなのに、灰色に見えるその世界は先程のものとは何処か違って見える。
それが何故なのかは、レイチェルにもよく判っていた。
キースを愛している――。
置いていかれた自分の心が何処にあるのか判らず、ずっと暗闇の中にいた。キースに抱かれる度に自分の気持ちがますます判らなくなっていた。
いや、本当はとっくに気付いていた。
キースに惹かれていく自分に――。
皮肉なことに、他人と肌を合わせてやっと、自分の気持ちに向き合えた。
キースを愛している――。
でも――、
突き放したのは、自分だ。終わらせたのは自分だ。
その上、王子を守るためとは言え、自分からキース以外の人間に抱かれてしまった。
今更、やり直したいなんて、そう口にしてもいいのだろうか――。
「大丈夫か? レイ」
その声に現実に引き戻され、レイチェルは顔を上げた。心配そうに覗き込むアロウェイと視線が合う。
瞬く星々の光が降り注ぐ長い廊下に、背筋を伸ばして互いの姿を見る2人の影が落ちていた。
「兄さん、私は……」
「キースが好き?」
長い沈黙を破ったレイチェルの声に、間髪入れずにアロウェイがそう告げる。先を越されたその台詞に驚きを隠せないレイチェルの顔が、アロウェイの翠色の瞳に映った。
「何故……?」
「レイを見ていれば判る」
そう答えて、アロウェイはふうっと長い息を吐いた。
「お前、気付くの遅すぎ。……自分の宝物も忘れたか?」
腰から小さな短剣を取り出して、アロウェイはレイチェルの手に渡した。綺麗な薄紫色の瞳に、その短剣に刻まれたチェスター家の紋章が映る。
それは、キースに出会ったあの夏の日、キースに貰った短剣だった。そして、レイチェルにとっては、生まれて初めて手にした本物の剣でもあった。
大切な大切な宝物――。
程なくして父親に取り上げられてしまったけれども。
あの日から、レイチェルの運命は変わった。
剣術大会で、眩しいくらいに輝いていたキースを見て、あんな風に生きてみたいとそう思った。哀しげに自分を見る両親の視線から逃れ、自分を偽り続けるのではなく、前を見て精一杯生きてみようと、そう思った。
不思議なことに、その頃から熱を出すことが少なくなった。それまでのレイチェルといえば、度々発熱しては伏せ、1年の半分以上を床の上で過ごしていた少年であったのだが。そのせいもあってか、それ以降、レイチェルは剣を持つことを許された。
もっとも、何処か哀しげにレイチェルを見つめる両親の視線は変わることはなかったが――。
「思い出したか? お前の運命を変えてくれたのは、この剣の持ち主、キース=チェスター。お前が憧れ、惹かれ続けてきたのは、キースだ。……お前は、私の中に、キースを見てたんだ、レイ」
一言一言を諭すようなアロウェイの言葉が、レイチェルの心の扉を開いていくようだった。
少し前まで理解できなかっただろう、そうして今ならよく理解できるその言葉が心の奥に届く、そう感じながら、レイチェルはアロウェイを見つめた。
「お前をずっと見てきた私が言うんだ。間違いないよ。……レイ、私は――」
言い掛けて、アロウェイはぐっと言葉を飲み込んだ。レイチェルが小首を傾げて少し目線の高いアロウェイを見上げる。
「兄さん?」
「……いや、何でもない」
そう告げて、アロウェイはレイチェルから視線を外した。窓の外を見上げると、星々が輝く姿が見えた。
その先の言葉は告げるべきではないことは、アロウェイにはよく判っていた。
ずっと、レイチェルを見てきた。綺麗で、真っ直ぐで、一途な弟――。
容姿のせいで両親に愛されていないと思い込み膝を抱えて泣いていたのも、剣を持つことを許されずただ剣の修行を羨ましそうに見つめていたのも、初めて剣を手にして綺麗なその瞳を目一杯輝かせたのも、全部覚えている。
そして、自分を見つめるレイチェルの瞳が、兄に対する憧れを超えたのも気付いた。
レイチェルが本当に見つめているのはキースだと、そう気付かなければ、たぶん迷うことなくレイチェルを抱いていた、とそう思う。
そして今、レイチェルが自分の気持ちに気付いたというのに、後押ししてやりたいと思う一方で、引き止めたい、そう思う卑怯な自分がいる。
星を見上げたまま、アロウェイはふうっと息を吐いた。吐息で前髪がふわりと舞う。そうして、ゆっくりと振り返り、レイチェルに視線を戻して、アロウェイは口元に笑みを浮かべた。
「レイ、お前の幸せを願っているよ」
レイチェルが瞳を見開く。
「……兄さん、私は兄さんに疎まれていると、そう思っていた」
「何故?」
そう言って、アロウェイはもう一度笑みを浮かべた。
優しげな兄の笑顔を見るのは、随分久しぶりだと、レイチェルは心の中でそう思った。
いつからだろう、アロウェイが距離を置くようになったことは認識していた。そうして、その理由も薄々判っていた。邪な目で、兄を見ていたから――。実の兄であるアロウェイに抱かれたい、そう思ってしまう自分がいたから――。
「それは……、私が、兄さんを――」
言い掛けたその台詞は、アロウェイの指に制される。
「レイ、お前が愛しているのは、誰だ?」
アロウェイの言葉に、レイチェルは薄紫色の瞳を見開いた。綺麗なその瞳に、そうしてアッシュブロンドのその髪に、瞬く星々の光が降り注ぐ。
「――キース」
真っ直ぐにアロウェイを見つめたまま、レイチェルはそう答えた。レイチェルの瞳の中で、アロウェイが微笑む。
「よく出来ました。……その気持ちを忘れなければ、大丈夫だ」
「でも、私は、キースを突き放した。……自分の気持ちが、キースの気持ちが判らなくて、つらくて、怖くて……」
「大丈夫、やり直せばいい」
アロウェイの大きな手が、レイチェルの頭を撫でる。
「でも兄さん、私は、キース以外に、抱かれた……」
そう言葉にして初めてその行為が現実を帯び、レイチェルは身体がぞくりと震えるのを感じた。
キース以外の人間に、抱かれた――。
昼間の出来事を、そうして先程の出来事を、この肌が覚えている。
開いたままのレイチェルの瞳から、一筋だけ涙が零れ落ちた。
「レイ」
アロウェイが抱き寄せる。微かに震えるレイチェルの身体を腕の中に納め、頭を撫でてやりながら、アロウェイは息を吐いた。
レイチェルを幸せにするにはどうしたらいいだろう、ただそう考えながら――。
アロウェイの腕の中、レイチェルがびくりと身体を強張らせる。
「……キース」
長い廊下に、レイチェルの声が響いた。
振り返ったアロウェイの瞳にも、廊下を歩いてくるその姿が見て取れた。
「何故、ここに……?」
そう問うレイチェルの声は、何処か震えていた。それもその筈、この長い廊下は賓客用の部屋へと続く廊下であり、今現在この先にいるのはカルハドール王一行のみであった。その廊下にいるということは何を意味するのか、その答えを導き出して、レイチェルは細い指をぎゅっと握り締めた。
「もう、好色親父には抱かれてきたのかよ?」
キースの声が、レイチェルの考えを肯定する。
知られている、そう思うと、レイチェルは指先の震えを抑えることが出来なかった。
「やらしい身体してるもんなぁ、レイ。喜んでもらえた?」
その声色は、ぞっとするくらいの狂気を孕んでいた。
「っていうか、悦んだだろ、お前」
そう告げて、キースはレイチェルへと手を伸ばした。そのまま、レイチェルの細い手首を捩じ上げるように掴んで、自分の方へと引き寄せる。
「来いよ、レイチェル」
低い声がそう命令した。レイチェルの薄紫色の瞳に映るキースの姿は、不機嫌を通り越した異様な雰囲気を纏っていた。レイチェルが息を呑む。
「待て」
レイチェルを引き寄せるキースの腕を掴み、アロウェイが割って入る。
「お前、冷静じゃないな。頭を冷やせ」
「……邪魔するなよ」
「いや、させてもらう。今のお前には、レイを渡せない」
鋭い瞳で、アロウェイはキースを睨み据えた。その視線を受け止め、キースの眼光が怒りに染まる。
星明りが照らすよく似たその2人の姿は、レイチェルを挟んでまるで鏡写しのように見えた。
「は、何だ、今度は兄貴に抱いてもらおうってか?」
沈黙を破ったのは、キースの声だった。
「何?」
聞き捨てならないその台詞に、アロウェイの眼差しが一層きつくなる。
「兄さん」
思わず掴みかかろうとしたその腕を制したのは、レイチェルだった。
「兄さん、私は大丈夫だから」
アロウェイを見つめてそう言葉にし、レイチェルはキースに向き合った。
「これまでしてきたことに向き合わなくてはならない」
よく通る鈴のような声でそう告げ、レイチェルは薄紫色の瞳にキースを映した。
キースが喉の奥で笑う。そうして、乱暴な動作でアロウェイの腕を払い、キースはレイチェルを引き寄せた。
「いい覚悟だ、レイ」
耳元でそう告げる幾らか狂気を帯びたその声に、レイチェルの背筋が一瞬ぞくりと震えた。それでも、レイチェルは唇を噛み締めて、長い廊下を見据えた。
去っていく2人の後ろ姿を見送りながら、アロウェイは長い吐息を落とした。