Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Crossing 

 第12話 


「自分で、歩けるから……」
 掴まれる手首の痛さに、レイチェルはキースの背中にそう声を掛けた。この距離である。聞こえないはずはない。それなのに、レイチェルの手首をしっかりと掴む手は外されることはなかった。いやそれどころか、返って力を込められ、レイチェルは眉を顰めた。
 そして、半ば引き摺られるようにして辿り着いたその場所は、今は使われていない、旧騎士宿舎だった。

「キー……スっ!」
 部屋の一つに入るなり、寝台の上に放り投げられ、レイチェルは苦痛の声を上げた。
 舞い上がる埃に何度か咳き込んでいると、カチャリという金属音がレイチェルの耳に飛び込んでくる。視線を向けると、放り投げられた拍子に転がり落ちてしまったのだろう、短剣がレイチェルの目に入った。大切なその剣を取ろうと伸ばした手を、キースの手が掴み上げる。
「キースっ!」
 そのまま後ろ手に捩じ上げられ、レイチェルの関節は軋みを上げた。
「何を……っ!」
「逃げねぇようにな」
 ぞっとするような低音の声でキースはそう告げた。そうして、埃を舞わせる寝布を掴むと歯を立てて引き裂く。びりりっという布が裂ける音が響いた。
「お前……っ!」
 次に行われる行動を察したレイチェルが身を捩る。それを許さず、キースは抑え込んだレイチェルの手首を引き裂いた布で後ろ手に縛り上げた。細い手首に数回巻き付けてきつく縛ると、レイチェルの口から苦痛の声が上がる。
「……逃げないっ、から!」
 身体を反転させ、離してほしいと薄紫色の瞳が訴える。
 視線すら合わさず、キースはレイチェルの下半身へと身体を滑らせた。
「キース! 話を、したいっ」
「聞きたかねぇ」
 そう答えて、今度は両足首を纏めて布を巻き付け始める。
 ぞくり、とした恐怖がレイチェルの背中を走った。ずらそうと抵抗した時には既に時遅く、足首をしっかりと縛り上げられる。
「レイ、覚悟しろよ」
 薄暗いその部屋、埃が被る寝台――。
 その上で、手首と足首を縛られ、浅い息を吐くレイチェルの姿を、キースの深緑色の瞳が見下ろしていた。


「……止め……っ! キース!」
 キースの手が、レイチェルの隊服の裾を捲り上げる。カチャカチャという音に、ベルトを外されていくことを認識して、レイチェルは声を上げた。
「待て……っ、先に、話を、聞いてほしいっ!」

 抱かれてしまうと何も考えられなくなる。身体だけ持って行かれてしまう。
 その前に、心がキースを求めているのだと、そう告げなくてはならない。

「キース、私は……あうっ!」
 レイチェルの白い脇腹に、キースが歯を立てる。
「俺が付けた跡じゃねぇな……」
 そう告げられ、レイチェルは冷水を浴びせられたような感覚を覚えた。
「ここも、ここも……。こんなとこまで」
 白い大腿を暴かれていく。足首を戒められたまま、ズボンを膝下まで下げられ、レイチェルの下腿は完全に絡み取られていた。閉じた内腿の間にキースが指を這わせていく。
「カルハドール王に抱かれたんだってな」
「止め……っ、キース!」
 衣服が絡んだままのレイチェルの両膝を持ち上げ、キースは右肩に担いだ。
「ここも、ちゃんと可愛がってもらったか?」
 後蕾に指を這わせながら、喉の奥で笑う。
「……感じたんだろ? レイ」
 そうして、キースは容赦のない言葉をレイチェルに浴びせた。

「……何故、そんなことを言う……?」
 震える声で、レイチェルはそう声にした。
 実際、判らなかった。
 キースの言葉どおり、確かに、カルハドール王に抱かれた。
 『恋人契約』とは言え、仮にもこれまでキースだけに抱かれ続けてきた身体である。キースが快く思わない気持ちは理解出来た。
 しかし、キースがアロウェイに秘密を漏洩した時に、『恋人契約』は終わった筈である。いや、ひどい台詞を浴びせて、一方的に終わらせたのはレイチェルであった。キースがそのことを怒っているのはレイチェルにも理解出来た。
 だが、ここまで不機嫌になるものだろうか。ここまでひどい扱いを受けなくてはならないものなのだろうか。

「何故かって? そんなことも判らねぇのか。……そうだな。お前は俺のことを判っちゃいねぇものな」
「……え?」
 キースが吐き捨てたその小さな言葉が、キースの真実を掠めたようなそんな気がして、レイチェルは視線を上げた。キースと視線が絡む。だが、それも一瞬のことで、キースはふいっと視線を外して、小さく舌打ちした。
「終わらせてやるよ」
 再び冷酷さを取り戻した声で、キースが告げる。
 次の瞬間、後蕾に指を差し入れられ、レイチェルは呻き声を上げた。
「……ふうん、慣らされてきたところか」
 つい先刻に潤滑油で拡げられたその場所は、締め付けては来るものの、キースの指を滑り込ませるには十分な潤いを持っていた。
「簡単に指が入るじゃねぇか……。やらしい身体だな」
「待、て……っ、話を……っ、んっ!」
「聞きたかねぇって言ってんだろ!」
 内壁を擦り上げられると、ぞくりと何かがレイチェルの背中を走った。
 キースの指と舌が、レイチェルを翻弄しようと蠢いていく。

 全てを知り尽くされているから。感じる場所を巧みに追い立てられるから。
 だから、身体を持って行かれるのだと、これまでそう思おうとしていた。
 心が置いて行かれるのが辛かった。

 ――違う。

 今この瞬間、レイチェルははっきりとそう自覚していた。

 ――キースが好きだから、感じていたのだ。他の人とはこんなにも違う。

「キース……っ!」

 ――こんなに乱暴に扱われても……

 この腕が自由なら、キースを抱き締めたい。
 キースが、欲しい。

 どうやったら、この気持ちが伝わるのだろう……

「キー、ス……っ」
 後蕾を拡げていたキースの指が、レイチェルから離れていく。
「黙って抱かれな、レイ」
 そう告げて、キースは既に十分な硬さになった自分自身をその場所に宛がった。
「嫌、だ……っ」
 レイチェルの喉から掠れた声が漏れる。
「判ってる。これで最後だ」
 何処か哀しげなキースの声がそう答えた。
「レイ、お前を解放してやる」

「違う!!」
 視線を合わせないままのキースを、レイチェルの薄紫色の瞳が捉える。
「違う、キース……」
 そうして、1つ小さく息を吸い込んで、レイチェルははっきりと言葉にした。

「キース、お前を愛してるんだ……」

 キースが顔を上げる。しっかりと見据えようとするレイチェルの瞳に、キースの深緑色の瞳が見開かれるのが映った。

 見つめたままの2人の間を、沈黙が支配する。

「レイ……、俺は……」
 そう言い掛けて、キースは大きく首を振った。
 レイチェルの瞳の中、漆黒の短髪が舞う。そうして、何かを振り切るように、キースは1つ息を吐いた。
 しばらくして、キースの唇が、ゆっくりと開かれていく。

「もう一度言う。終わりだ、レイ」

 掠れたその声は、ゆっくりと確実に、レイチェルの脳裏に響いた。

「……そうか」
 声が震える。視界が滲む。
「……判った。好きにしろ」
 そう答えて、レイチェルは瞳を伏せた。

「ああ、そうする」
 それが、その夜レイチェルが聞いた、キースの最後の声だった。

「あう……っ! あ、」
 レイチェルの中に、キース自身が侵入する。
 縛られたままのレイチェルの膝を抱え上げ、キースは一気に最奥まで押し入った。固く閉じたレイチェルの瞳から、涙が零れ落ちる。

「あ、……んっ、あ……、痛、い……っ」
 乱暴な抽挿が繰り返される。瞳を閉ざしたまま、レイチェルはその行為に耐えた。
 無理な体勢に身体中が軋む音を上げる。

 浅い吐息と上がる嬌声の中、レイチェルはただ「痛い」とそう言葉にした。
 痛みを訴えるのは、身体でないことはよく判っていたけれど――。

 そして、「キース」の名を口にしてしまえば、その痛みが幾らか楽になるようなそんな気もしたが、どうしてもその名を口にすることは出来なかった。

「ああっ、……んっ!」
 一際大きく突き上げられ、レイチェルは身を震わせた。小さく痙攣するレイチェルの中に、キースが精を放つ。
「……あ……っ、いや……」
 ずるりとキースが去っていく感覚に、レイチェルはそう声を上げた。
「いや……、もっと……っ」
 掠れた声でかろうじてそう言葉を紡ぎ、吐息を零す。

 終わらせたくなかった。離したくなかった。
 どんな形でも、もう少しだけ、後少しだけ、繋がっていたかった。

 キースの指が足首の布を解き、膝に絡まったままの衣服を剥がしていく。自由になった両脚を拡げられ、再び貫かれると、レイチェルは喉を反らせた。
「はあ、あ、あ……っ!」
 乱暴に突き上げられ、抑えることのない声を漏らしていく。
「あ……んっ!」
 キースの手がレイチェルの細い腰を掴み、抱え上げる。キースの上に跨るような格好で、キース自身を深々と銜え込み、レイチェルの喉から掠れた嬌声が上がった。
 俯くと閉ざした瞳から涙が零れそうで、レイチェルは天を仰いだ。そのまま、自らも腰を揺らめかせて、快楽に身を任せる。

 「お前は俺のことを判っちゃいない」と、そう告げたキースの真意が知りたかった。

 ――もしかすると……、キースも愛してくれていた……?

 ふとそんな考えがレイチェルの脳裏を掠める。

 ――遊びではなくて、真剣に……。恋人の振りをして楽しんでいたのではなく、本当の恋人になろうとしてくれていた……?

 気付こうとすれば気付けたはずである。それなのに、目を背け続けてきたのは他ならぬ自分なのだ。

「あう! あ、あ……っ、ああっ!」
 キースの手がレイチェルの腰を掴み、自身をぐいっと奥へと突き上げる。
 無言のまま繰り返されていく乱暴な行為に、レイチェルの身体は限界を訴えていた。
 それでも、
「……もっと、……あ、もっと……っ」
 薄れていく意識の中、「キース」の名を呼ぶことも、「愛している」ともう一度告げることも出来ず、レイチェルはただ何度もそう声にした。

 どんなに溺れてみても、「終わりだ」とそう告げるキースの声が、レイチェルの脳裏から離れることはなかった。




 薄暗い部屋の窓から、弦のように細い月が見つめていた。
「……レイ」
 乱暴に抱いている間、封印し続けたその名を呼んで、キースは1つ息を吐いた。このまま、深緑色のその瞳の中に閉じ込めたいと願うかのように、完全に意識を失くした愛しい存在を随分と長い間キースは見つめ続けた。
 そうして、もう一度息を吐いて、蒼白い頬に張りついたアッシュブロンドの髪にそっと手を触れた。

「振り回すだけ振り回して、お前の気持ちを掻き乱すだけ掻き乱して……」
 レイチェルを見つめる瞳に透明の液体が浮かぶ。
「こんなひでぇ男、もう忘れちまえ」
 そう告げる声は、微かに震えてしまう。
 ともすれば零れ落ちそうになる涙を堪え、キースは細い月を見上げた。キースの視界の中、蒼白い月の輪郭がぼやけていく。
「良かったな、レイ。兄貴はお前を愛してるってさ」
 月に向かってそう呟いて、キースは唇を噛み締めた。瞳を伏せると、レイチェルの顔が浮かんでくる。

「俺はお前を泣かせてばかりだった……。でも、」
 振り返り、意識を失くしたままのレイチェルの姿を瞳に映す。

 抑えられない感情が込み上げてきた。
 突き放したはずの手が、レイチェルを求める。
 気が付けば、キースは両腕で必死にレイチェルを抱き締めていた。

「愛している」
 届かない言葉を口にする。

 そうして、口元に無理矢理笑みを浮かべて、キースはレイチェルの身体を離した。
「だから、手放してやる」
 そう告げて、キースは立ち上がった。
 1つ息を吸い込んで、レイチェルに背を向ける。
 扉までの短い距離が、キースにはやけに長く感じられた。




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