Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Crossing 

 第14話 


「あ、あ、……やぁ、まだ……っ!」
 閨の中に、シーマの上ずった声が響いていた。
「うっ」
 そのしなやかな片脚を抱え上げて、カルハドール王がシーマの奥へと突き上げる。そうしてそのまま、カルハドール王は身体を強張らせた。
「やぁ……んっ、まだ……って、言ったのにぃ……っ!」
 身体の奥に放たれる精を感じながら、シーマは非難の声を上げた。
「あん、……行かないで」
 胎内から出て行こうとするカルハドール王自身を締め付けてそう強請りながら、シーマは舌で自らの唇を濡らした。そうして、喘ぎ声を上げてみせながら、今夜何度目かのその機会を伺った。
「ねぇ……、陛下ぁ、ねぇ……、あんっ」
 シーマの中から、カルハドール王自身がずるりと引き抜かれる。後蕾から放たれた精が零れ落ちるのを感じて、シーマはほんの少しだけ眉を顰めた。
「……ねぇ、陛下ぁ……、そろそろ、バドを味わいたくなぁい?」
 少し間伸びた声で、シーマはやっとそう言葉にした。
 閨でのやり取りなら、シーマも熟知していた。まだ年端もいかない少年の頃から、カルハドール王に抱かれ続けてきたのである。それこそ好き者の王は、後宮に次々と新しい犠牲者を連れてきた。その中でも、シーマは一番のお気に入りの座を保ち続けてきた。王の嗜好はよく知っていた。
 でも、本心は別のところにあった。

 バドに抱かれたい――。

 初めてバドに抱かれたのは、いつもの王の気紛れか何かだった。カルハドール王は、お気に入りが他の人間に抱かれて乱れる姿を楽しむところがあった。そのため、シーマもこれまでに何度も他の男に抱かれたことがあった。バドも、シーマにとってはそんな数多い男たちの1人だった。それなのに、いつからか、バドだけは別格になっていた。
 だから、シドが憎い。
 バドが全てを犠牲にして守り続ける存在。後宮にあって未だ穢れていない存在。
「シドも、堕ちればいいのに……」
 カルハドール王がバドを呼ぶのを聞きながら、シーマはぽつりとそう呟いた。


「陛下、どうか……、どうかシドは……」
 命じられるままに衣服を脱ぎ捨て、寝台の上に膝を乗せて、バドはもう一度そう懇願した。
「みっともないよ、バド。それより、早くおいでよ……」
 そう声にして、シーマは自ら脚を開いて、精液で濡れる秘部を露にした。バドが瞳を細めるのが、シーマの妖艶な瞳に映る。
「数ある砂漠の民の中で、最も強く気高いと言われたガルア族。その長になるはずだった男が、仇である陛下に組み敷かれる。ねぇ、どんな気持ち? バド?」
 わざとそう言葉にして、シーマは静かな怒りを湛えるバドを煽った。バドの視線が険しいものへと変化するのを感じ、シーマの背筋がぞくりと凍り付く。それすらも楽しむかのように、シーマはくすくす笑った。
「血も繋がらない弟のためによくやるよ、ホント。でも、シドもそろそろお年頃だもの。ねぇ、陛下? 仕方ないよねぇ?」
 笑いながら、シーマはバドの身体を引き寄せた。
「ほら、早くシーマの中に挿って来てよ……。シドが大事なんでしょ? 陛下は、シーマの中でイく瞬間のバドが悦いんだから、頑張ってみせてよ……。……シドのために」
「黙れ、シーマ」
 怒りを抑えたバドの声が、シーマの名前を呼ぶ。鋭い眼光がシーマを見据えた。
 その様子に、シーマは満足げに喉の奥を鳴らした。
「なら、黙らせなよ……?」
 シーマの声に、バドが小さく舌打ちする。そのまま、バドはがっしりとした両腕でシーマの腰を掴んだ。そうして、半ば怒りに任せるかのように乱暴にシーマの中に押し入った。
「あっ、あ!」
 シーマが堪らず声を上げる。それでも、より深く繋がろうと、シーマは背中をぐぐっと反らせた。そうして、しなやかな両腕をバドの背中へと伸ばした。だが、その腕は逞しいその背中に触れる直前で動きを止める。少し躊躇してから腕を下ろし、シーマは寝布をきつく掴んだ。
「あ、あっ、ん! いいっ! ……もっと、あ!」
 バドが激しくシーマを突き上げる。その動きに合わせて腰を揺らめかせながら、シーマは快楽の波が襲い来るのを感じていた。
「あ、あ、……っ! い、いい……っ! あぅ! あ、あ……っ!!」
 抑えることのないその声が、閨の中に響き渡った。
「相変わらず、良い声で啼くことよ……」
 カルハドール王が、ごくりと息を呑む。そのまま、シーマを抱くバドの背後に近付き、カルハドール王は一際いきり立った自分自身をバドの腰へと押し付けた。
「……う、っ」
 眉を顰めて、バドが苦痛の声を上げる。その苦痛すら奪うかのように、シーマは自分の中のバド自身をぎゅっと締め付けた。
「……バド」
 そうして、一度小さくそう名を呼んで、シーマは妖艶なその瞳を伏せた。


「あーあ、べとべとになっちゃった……」
 誰の精液かも判らないほど、濡れたその場所に手を伸ばしながら、シーマは掠れた声を上げた。
「ん……、でもすごく悦かった……」
 さっさと衣服を整えて寝台を後にするバドにちらりと視線を送った後、シーマはカルハドール王へとしなやかな腕を伸ばした。そのまま戯れるように、カルハドール王に口付けた。
「レイもいれば最高なのに……、ね、陛下」
 何度か口付けた後、シーマはその名前を口にした。くすくす笑みを零しながら、カルハドール王の様子を伺う。
 シーマが口にした名前に、先だってのレイチェルの姿を思い出したのか、カルハドール王はにやりと口元に笑みを浮かべた。その笑みに隠された意味に気付いて、シーマはレイチェルに僅かばかりの同情を感じた。だがそれでも、シーマは瞳を細めて、妖艶に笑って見せた。
「……シーマ、嫌いじゃないな、ああいう子。とっても綺麗だよね……。みんなで輪姦(まわ)してみたら、どうなるのかなぁ……。泣き叫ぶ姿も、綺麗だろうな。いや、きっと泣かないな。唇を噛み締めて、涙を堪えて……、声すら上げないかも知れない……。ねぇ、陛下? シーマ、ぞくぞくしてきちゃった……」
 そう言って身を捩るシーマに、カルハドール王は、喉の奥で笑った。
 悪いことを考えているときの表情だ、そう確信して、シーマもくすくすと笑みで答えた。
「誰が勝っても負けても、レイを連れて帰るつもりでしょう? 陛下」
 シーマがそう真意をつくと、カルハドール王の表情は一層楽しそうなものへと変化した。
「そんな陛下も大好き。……そうだよ、みんな堕ちちゃえばいいんだから……」
 閨の中、そう呟くシーマの声が響いた。



 セレン王城からそう遠くない場所に、ウェイクフィーズ家の屋敷は存在する。一際大きなその屋敷にある、光が降り注ぐ広い居間は、何ともいえない重苦しい空気に支配されていた。
 綺麗な顔を伏せてすすり泣く声を上げているのは、3兄弟の母親だった。その隣に腰を下ろして、長兄アロウェイも厳しい表情を浮かべていた。そして、末の弟であるアスランは、兄によく似た厳しい表情で窓の外を見つめていた。
 3人の脳裏に深い影を落としているのは、先程の侍医の言葉だった。


『……何故、ここまで無理をさせたのですか……』
 レイチェルの姿を見て、侍医であるハリスは溜め息とともにまずそう声にした。
 そして、
『お忘れですか? レイチェル様はあまり無理がきくお身体ではございません』
 確認するようにそう前置きをしてから、
『この熱が数日続くようなら、レイチェル様のお身体は耐えられません。……ご覚悟をなさっておいて下さい』
 ハリスは、静かにそう宣告した。いくらか年老いたとはいえ、幼い頃からずっとレイチェルを診続けてきた侍医の腕の確かは一同よく承知していた。
 事態の深刻さに、言葉を失う他なかった。


 その後、アロウェイたちに居間にいるよう指示して、ハリスは自身の跡継ぎであるジェイドとともに、レイチェルの診察を行っていた。
 居間に残された3人にとって、一刻一刻がとてつもなく長く感じられた。
「あ……」
 レイチェルの母が声を上げた。慌てて立ち上がる母を支えるようにして、アロウェイも開かれた扉へと足を進めた。
 出てきたハリスの表情はやはり険しい。
「レイの傍にいても……?」
「……そうですね。私がキャシィ様とご一緒しましょう。……アロウェイ様には、少しばかり確認いたしたいことがございます。ジェイド、例の件を……」
 少し考えてからハリスはそう言葉にした。
 ジェイドが頷いて、アロウェイを見上げる。
 『例の件』というのが、レイチェルの身体に残る跡であることは、アロウェイにも容易に推測出来た。母の前でそのことを口にしないハリスの厚意に心の中でだけ感謝して、アロウェイはジェイドを別室へと促した。


「率直に申し上げます。レイチェル様のお身体には、陵辱の跡があります」
 別室に入るなり、ジェイドはそう切り出した。
 実は幼い頃はよく遊んだ仲である。互いに知らない間柄ではなかった。ただ、アロウェイの記憶にあるジェイドは、年齢こそアロウェイより3つ上だが気弱で何処かおどおどしている印象があった。何処かに留学だか何だかしていたとは聞いていたが、随分と変わった印象に少しばかり戸惑いながら、アロウェイは小さく息を吐いた。
「知っている」
 アロウェイが短くそう答えると、ジェイドは昔と異なる鋭い視線をアロウェイに投げ掛けた。
「あれだけお美しい方だ。不埒な考えを持つ輩がいても不思議ではないでしょう。ただ、」
 1つ間を置いて、ジェイドは眉を顰めた。
「あまりにひどい。手足を戒められた跡もあります。恐れながら下も診察させていただきましたが、かなり乱暴に行為を強いられたとしか思えません。……そのこともご存知だと? なら、何故処罰なさらない!?」
 語尾がかなり険しくなったのは、レイチェルを想ってのことなのだろう。幼い頃、身体の弱いレイチェルをジェイドがどれだけ大切にしていたかを思い出して、アロウェイはもう一度息を吐いた。
「何も聞かないでくれ。すべてレイの合意の上だ。レイは、恋人と、……カルハドール王に抱かれた」
「……あの外道っ!」
 アロウェイの口から出たその名前に、ジェイドは思わずそう吐き捨てた。その様子に、ジェイドの留学先が確かカルハドール王国だったことを思い出し、アロウェイは改めてジェイドに視線を向けた。
「……王は、今度開かれる剣術大会での優勝者をカルハドールに招くとそう言っている。本心はレイを連れ去りたい、そんなところだろうが……」
 アロウェイの打ち明け話に、乱れた髪を整えながら、ジェイドは溜め息を落とした。
「そうでしょうね。一度味を占めて、簡単に手放す方ではない……。何故、こんなことに……」
 そうぼやいて、ジェイドは唇を噛み締めた。床を見つめる瞳は何かを考えているようだった。
「だが、今の状態では、剣術大会など到底出られはすまい。レイにとっては、それが幸いか……」
「アロウェイ様……、」
 幾らか安堵の息を吐くアロウェイを、ジェイドの声が否定する。
「あの男はそんな甘い人間ではない。必ずレイチェル様を連れ去るつもりでしょう。どんな手を使ってでも。そして、レイチェル様に万一のことでもあれば、約束を反故にしたとか何とか言って、ロイ様を標的にしかねない……。私は良く知っている。彼はそういう人間です」
 そんなことがまかり通るはずがない。そう思いながらも、同時にやりかねない人間だとアロウェイも何となく理解出来た。
 互いに言葉を失う。沈黙が重く圧し掛かってきた。
「……恋人というのは?」
 沈黙を破って、ジェイドは捨て置けないもう1つの問題を口にした。
「レイチェル様のお身体には、複数の“乱暴にされた跡”しかありませんが? その恋人とやらは、乱暴に営む趣味でも?」
 静かな怒りを棘のある嫌味に変えて、ジェイドはアロウェイにそう問い掛けた。
 その時のことだった。
 沈黙を引き裂いて、外から怒鳴り声が響いた。
「アスラン!?」
 それがよく知った弟の声だと理解して、アロウェイは思わず声を上げた。
 アスランは先刻まで居間で外を見つめていたはずである。
 外を、見ていた……。
「そういうことか!」
 アスランが外を見据えていた理由は1つしかない。ある男が来るのを待っていたのだろう。そう思い至って、アロウェイは外へと続く廊下を駆け出した。
 あの思慮深く優しい弟が声を荒げるなど、これまで一度もなかった。そう考えると、アスランの中の怒りの程を改めて認識させられた。そういえば、先程も押し黙ったまま、随分と険しい表情を浮かべていた。怒りの幾らかは、不甲斐ない兄にも向けられているのだろう、そう理解してアロウェイは唇を噛み締めた。

(レイチェルが望んだこととは言え、やはりキースに託すべきではなかったのかも知れない――)
 何度か脳裏を掠めた考えが、再びアロウェイの中に湧き上がって来た。
(無理矢理にでも引き摺り帰っていたら、少なくともこの最悪な状況は避けられたかも知れない)
 そう考えずにはいられなかった。
(だが……、レイはキースを……)


「アスラン!!」
 アロウェイが大きな正門に辿り着くと、案の定キースに対峙するアスランの姿があった。既に剣を抜き、キースの喉元に突きつけている。
「よせ、アスラン」
 真っ直ぐに伸ばされたアスランの腕を掴んで下ろさせると、アロウェイはキースへと視線を向けた。
「……レイは?」
 キースがそう問い掛ける。その声は幾らか震えていた。青褪めた硬い表情が、キースの心の内を明らかにしていた。
 この男のこんな姿は初めて見る、そう思いながら、アロウェイは小さく首を横に振った。
 飄々とした遊び人――。殆ど人間が、キースをそう理解しているだろう。実際、アロウェイ自身も少し前まではそう評価していた。だが、この何日かで確信したこともあった。

(少なくとも、レイに対する想いだけは本物だ……)
 だから、大事な弟を託してもいいと、本気でそう思った。それがレイチェルを幸せに出来る唯一の道だとそう考えた。
(だが、私がしたことは、間違っていたのだろうか……)

「なるほど。あなたがレイチェル様の恋人というわけですか……」
 追いついて来たジェイドの声が、緊迫した空気の中に割って入った。抑揚のないその声は、キースにぞくりとした殺意を感じさせた。
「あんたは……?」
 その殺意を真っ向から受け止めながら、キースがそう問い掛ける。
「ああ、初めまして。レイチェル様の主治医でジェイドと申します。……この度は、レイチェル様に随分と無茶をして下さいましたね」
 黙ったままのキースを見据えたまま、ジェイドは言葉を続けた。
「否定しないのですね? では、仮にもウェイクフィーズ家の次男を、犯し殺した気分はいかがですか?」
「……殺した……?」
 その言葉に、キースは息を詰めた。ぐらり、と倒れそうになるのを一歩後退することで何とか耐える。そうして、まるで呼吸することすら忘れたかのように、キースはその場に凍りついた。
「……キース、」
 何度かそう呼ぶアロウェイの声に、やっと大きく息を吐いて、キースは顔を上げた。それでもその瞳は何処か空を彷徨っていた。
「大丈夫だ。レイはまだ生きている」
 キースの肩に手を置いて、アロウェイが説明を加える。
「まだ……ね。ですが、数日後には現実になりますよ」
 立ち竦むキースに追い討ちをかけるように、ジェイドが言葉を続けていく。
「あなたという存在は危険だ。主治医として一言申し上げましょう。あなたがもしレイチェル様に少しでも愛情を持ってらっしゃるというのなら、2度と会わないでいただきたい。今回助かったとしても、あなたの傍にいるとレイチェル様はお命を縮めることになる。ご存じないかも知れませんが、ああ見えて気性の激しい方ですから」
 淡々と告げるジェイドの言葉が届いているのか、キースは小さく何度か首を振った。そうして、青褪めたままの表情で、キースはアロウェイをじっと見つめた。何かを言葉にしようとして、もう一度小さく首を横に振る。そうして、一度だけ空を仰いで、キースはくるりと踵を返した。

 このまま見送ってしまうと、2度と帰って来ない、何故だかアロウェイはそう直感した。同時に、ジェイドの言葉どおり、それがレイチェルにとっても良いことだと、そう思おうとした。
 だが、
「待て、キース」
 気が付けば、キースの背中にそう声を掛けていた。
 その理由は判っていた。何度否定しようとしても、脳裏に浮かんでくるレイチェルの姿があった。それは、キースの告白を受けて、本当に嬉しそうに微笑んだレイチェルの姿だった。
「5日後の剣術大会で、勝者をカルハドールに連れて行くと言われた。もし、レイを止められる者がいるとしたら、お前だけだ」
 アロウェイの台詞に、その場にいた全員が驚いて動きを止めた。
 それもそのはず、当のレイチェルは生死を彷徨っているのである。剣術大会に出るとか止めるとか、そういう問題ではないはずであった。
「レイは、死なない」
 アロウェイ自身、そう確信できる自分が不思議だった。
「あんなに、嬉しそうに笑ったんだから」
 キースの本当の想いを知って微笑んだレイチェルは、これまでアロウェイが見てきたどの笑顔よりも幸せそうだった。1つ息を吸い込んで、アロウェイは自分の選択が間違っていないことを確信した。
「レイの手を、離すなよ?」
 キースの背中に向かって、アロウェイははっきりとそう告げた。
 キースは、しばし立ち止まったままその言葉を受け止めた。ゆっくりとアロウェイを振り返った深緑色の瞳は、何かを決意した眼だった。
 そうして、何も語ることなく、キースはその場を後にした。小さくなっていくその後ろ姿を見送りながら、アロウェイは1つ息を落とした。



 翌日の昼下がりのことだった。
「アロウェイ、アスラン」
 そう呼ぶ母の声に、アロウェイとアスランはほぼ同時に顔を上げた。いくらかやつれた母の顔は、涙を浮かべた笑顔だった。次の瞬間、最後まで台詞を聞くことなく、アロウェイたちはレイチェルの部屋へと駆け出していた。

「レイ……」
 その部屋の中、窓から差し込む淡い光に包まれるようにして、レイチェルは寝台の上に横たわっていた。綺麗な薄紫色の瞳をうっすらと開いて、飛び込んで来たアロウェイたちに視線を向ける。
「レイ兄さん……」
 安堵したのか、アスランがその場に崩れ落ちた。その隣でアロウェイも深い安堵の息を吐いた。
 レイチェルの視線が、ゆっくりと何かを探すように部屋の中を移って行く。そうして、レイチェルは声には出さず、そっと唇にだけ1人の名前を乗せた。
 微かに綴ったその名前が何なのか、薄紫色の瞳が探す人物が誰なのか、それはアロウェイにもよく判っていた。
 だが、あの日以来、キースの姿は何処にもなかった――。




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