Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Crossing 

 第3話 


「今、上がりか? レイ」
 城門を出たところでそう声を掛けられ、レイチェルは声がした方を振り返った。
 レイチェルの薄紫色の瞳に、城壁にもたれて笑う声の主――キースの姿が映る。相変わらずの着崩した格好で、シャツの両袖は無造作に捲り上げられ、留めている釦は半分ほど、上着は肩に引っ掛けただけの姿である。それでいて、その姿が妙に様になっているのは、日に焼けた肌と筋肉を乗せた逞しい体型がなせる業なのだろう。

 ――私ではこうはいかないだろうな

 ふとそんなことを考えて、レイチェルは一つ溜め息を落した。

 『遊び人』と噂されるキースの風評はあまり良くはない。
 それでいて、実はキースに憧れる輩も多数存在する。それが男女問わず、数え切れない程の人数であることは、レイチェルも良く知っていた。男前、というだけではない。一挙一動が他人の目を惹きつける――。キースはそういう男だった。

 そのキースが、特定の恋人を作った――。

 それが、今、城内や下町で最も囁かれている噂である。

 その噂は、当然レイチェルの耳にも入って来ていた。そして、他ならぬ、噂の『恋人』として、レイチェルもまた、注目を浴びていた。
 レイチェル自身は自覚していないが、レイチェルに憧れる人間も、それこそ星の数に上る。何といっても、母親譲りの美貌と騎士隊一の剣術の持ち主なのである。ただ、感情を表に出さない性格と、騎士隊長という家柄のためか、遠巻きに憧れる人間は星の数ほどいても、実際に言い寄ってくる人間は皆無であった。

 そのレイチェルが、キースの恋人になった――。

 噂には尾ひれがつき、あることないことがあちらこちらで囁かれていた。

 そのどれもが、真実とは異なる。

『黙っててやる。その代わり、俺に抱かれな。恋人として』
 あの夜、キースはそう言った。
『承知した』
 とレイチェルは答えた。

 それが真実。

 そこには、噂されているような、甘い言葉も、激しい感情も、なかった――。


「どうした? レイ」
 溜め息を落したレイチェルの肩に、キースが腕を回す。ほんの一瞬だけ身体を強張らせ、そうして、レイチェルは小さな吐息とともに肩の力を抜いた。
 見上げると、心配そうに覗き込んでくるキースの深緑色の瞳と視線がぶつかる。

 ――何を考えている? キース……

 “恋人契約”を交わしてからというもの、キースはレイチェルをとても大切に扱っていた。噂によると、夜遊びも止め、これまでの遊びの関係は全て清算したらしい。

 ――新たな遊びのつもりか、それとも……

 レイチェルの脳裏に様々な憶測が過る。

 ――だから、どうだと言うんだ。私は私に割り当てられた役を演じるまでだろう

「大丈夫だ」
 そう答えて、レイチェルは見事な笑みを作った。肩に回された腕にそっと手を添え、綺麗な笑顔のままキースを見上げる。
「……? どうした?」
 一瞬動きを止めたキースに、レイチェルが声を掛ける。
「いや、見惚れてた」
 そう答えて、キースもまた笑顔を返した。

「レイ、明日休みだろ? 出掛けねぇか?」
 キースがそう誘う。
 断る理由はなかった。
 忙しい兄アロウェイは明日も勤務だと聞いているし、弟アスランも王子付きになってからというもの実家に帰って来ることは滅多にない。つまり、家に居ても、両親と息が詰まる時間を過ごさなくてはならないわけだ。なら、“恋人”の誘いに乗った方が良い。
 それに、『一緒に出掛ける』ということが、『抱かれる』ということを意味しているのだとしても、恋人契約を受けた以上、断ることは出来はしないのだ。

「判った」
 笑顔のまま、レイチェルはそう答えた。




「止みそうにねぇな」
 大樹を背にどっかりと座り、空を見上げて、キースがそうぼやく。
 澄んだ青空の下、国境近くのこの森まで遠乗りしたのはつい今朝のことだと言うのに、昼過ぎから降り始めた雨は急速に激しさを増していった。そして、この大樹の下、雨宿りを余儀なくされたのは先程のことである。
 キースの声に、大樹を背に立ったままの格好で、レイチェルも空を見上げた。
 どんよりと濁った空と降り注ぐ雨が、レイチェルの薄紫色の瞳に映る。
「仕方ねぇよなぁ」
 レイチェルの隣下方でそうぼやくキースの声が、雨音に混じる。
 ふうっと、レイチェルが深い溜め息を落したその直後、
「……なっ」
 キースの手にズボンの裾を引かれ、レイチェルは体勢を崩した。

「何をする……っ!」
「判ってんだろ?」
 そう告げるキースの低い声がレイチェルの耳に届く。次の瞬間、覆い被さるように近づいてきたキースの身体によって大樹に背を押し付けられ、レイチェルは苦しい声を上げた。
 何といっても体格差がある。
 何とかして引き剥がそうと両腕を伸ばしてみるものの、最早この体勢ではキースの身体はびくともしない。両脚はというと既にキースの膝に押さえ付けられて動かすことも出来なかった。
 レイチェルの動作一つ一つが徒労に終わる。対照的に、キースの指先は無駄な動き一つなく、首元まできっちり留めていたレイチェルの上着の釦を外し、その白い肌を露にさせていった。

「こ、ここで……っ?」
 動揺を隠せない声で、レイチェルがそう問い掛ける。
「嫌か?」
 そう答えて、キースはくすりと笑みを零した。その間もキースの指先は休むことなく動いていく。
 嫌と返事したところで、キースに止めるつもりはさらさらないだろうことは、レイチェルにも良く判っていた。それでも、屋外で身体を開かされる行為は、レイチェルには耐え難いものがあった。
 無駄だと知りながら、レイチェルが抗議の声を上げる。
「屋外で、することじゃない、だろうっ……?」
「別に何処でもいいんじゃねぇ?」
「……しかし、……あっ」
 遂に腰紐を解いたキースの指が、レイチェルの下着の中に滑り込んでくる。そのまま少し硬くなり始めた熱の中心を包み込まれて、レイチェルは堪らず声を上げた。
「何だ、レイも感じてるじゃねぇか」
 その途端、レイチェルの肌が羞恥に染まる。

「あ、だ、誰か、来たら……っ」
「こんな土砂降りの中、誰も来やしねぇよ」
「……いや……だっ」
 掠れた声でレイチェルがそう抵抗する。大樹に縫い付けられたかのように動かせない身体を微かに捻り、レイチェルは唯一動かせる頭を大きく左右に振った。そんなレイチェルの様子を見つめるキースの瞳が楽しげに細められる。そうして自らの唇をぐるりと舐めた後、キースはレイチェルの片方の耳を軽く噛んだ。
「あぅ……っ」
 レイチェルの声が上がる。
 レイチェルが耳朶の愛撫に弱いことを知っていて、キースは尚も執拗にレイチェルの耳朶を責め立てた。
「はぁ……、ぁ……っ、」
 レイチェルの身体をぞくりとした感覚が支配していく。次第に熱を帯びた吐息が、形の良いその唇から零れ落ち始めるのを感じ、キースは口元に笑みを浮かべた。

「本当に感じやすいな、レイ」
 耳元でキースがそう囁く。
「……見る、な……っ」
 既に抵抗を諦めた両手で火照る美貌を覆い隠しながら、レイチェルはそう声にした。キースがちっと舌打ちを落とす。
「見せろよ」
「断る、っ……」
 苛立たしげなキースの声に即答を返し、レイチェルは唇を噛み締めた。

 ――肌を合わせるごとに、身体だけ持っていかれそうな、そんな錯覚に陥る……

 感じやすいとかそうでないとか、そんなことはレイチェルには良く判らなかった。だが、確実に自分の身体が変化していることだけは、気付いていた。

 自分の意思とは無関係に――。

 “恋人”になってからというもの、レイチェルは言われるがままに何度も身体を合わせて来た。その度に身体だけが、貪欲にキースを求めていくのを自覚させられる。そのことが、レイチェルには何よりつらかった。

 何故、こんなにつらいのか――。

 ――心だけが、置き去りにされいくような気がする

 ふとそう思い至り、レイチェルは瞳を伏せた。

 ――心など、最初からありはしないはずなのに

 そう考えると胸が痛かった。
 閉ざしたレイチェルの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。

 ――考えるな、レイ

 耐えられないと察すると人間、防御本能が働くのだろうか、レイチェルは思考することを停止した。全ての力を抜いて、キースの愛撫に全身を任せる。

「……レイ?」
「早く、来い……っ」
 熱を帯びた声でレイチェルはそう言葉にした。そのまま、誘うように両腕をキースの背中に回していく。
「……どうした? 来いと、そう言っている……っ」
 もどかしげにもう一度そう告げて、レイチェルは細いその指をキースの黒髪に絡めた。
 一つ息を落として、キースがゆっくりと頭を上げる。
 見上げてくる深緑色のその瞳に囚われそうになる、そんな感覚を覚え、それを拒絶するかのようにレイチェルは視線を外した。

「レイ、俺はお前を傷つけたいわけじゃない」
 静かな声で、キースがそう告げる。
「……何を、今更、」
 掠れた声で、レイチェルはそう言葉にした。

「お前が欲しいだけだ」
 その言葉に、レイチェルの胸がどくんと音を立てる。

「どんなことをしても、お前を手に入れたかった」
「……手に入れただろう?」
「そうじゃない、レイ」
 キースの声が響く。

 ――考えるな、レイ。期待するな、レイ

 頭の中でそう繰り返し、レイチェルは瞳を開いた。色素の薄い薄紫色の瞳で、キースを見据える。

「……これ以上、私に何かを求めるな」
 キースを見据えたまま、レイチェルはそう言葉にした。
 その言葉にキースが小さく舌打ちをするのが、レイチェルの瞳に映る。

「判った」
 乱暴な返事とともに、キースの腕がレイチェルの白い脚を限界まで拡げる。そのまま言葉同様、乱暴な動作で、キースはレイチェルの中に自分自身を捻じ込んだ。

「……つぅ……、く……」
 レイチェルの喉から、苦痛の声が上がる。
 自分自身を覚え込ませるかのように、最奥まで深く押し入り、キースは一つ息を吐いた。

「覚えておけ、レイ」
 キースの低い声が、レイチェルを捉える。
「お前は、俺のものだ」
 そう宣言して、キースは両腕で良く鍛えられたレイチェルの細い腰を掴んだ。そのまま引き寄せて更に奥へと突き上げる。

「あ……っ、……くっ……、あ、」
 腰を捉えて少し離れると、レイチェルの中が離さまいとキース自身を締め付けてくる。
「レイ、」
「あ、あっ、……ああ、」
 絡み付いてくるレイチェルの中を何度も出入りしながら、キース自身も高まりを大きくする。レイチェルもまた、感じる場所を的確に突き上げられ、背を反らして高まっていった。

「はぁ……っ、あっ、ああっ」
「いつか、全てを手に入れてやるっ」
 レイチェルの腰を抱く手に力を込め、なおも深く突き上げて、キースはレイチェルの中に己の欲望を放った。
「あ、ああ――っ、」
 限界まで反らされた身体を震わせて、そうしてレイチェルが崩れ落ちる。

「……レイチェル」
 脱力するレイチェル抱き締め、柔らかいアッシュブロンドの髪を梳きながら、キースはそう名を呼んだ。ゆっくりと一つ深呼吸して、言葉を続ける。

「俺は、お前を……、」
 だが、その言葉は、レイチェルの耳には届くことはなかった――。


「……兄さん、」
 掠れる声でかろうじてそう声にして、まるで時間に取り残されたかのように、キースの腕の中でレイチェルが硬直する。

 見開かれた薄紫色のその瞳に、木々の向こうからこちらを見つめる兄アロウェイの姿が映っていた。




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