Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Crossing 

 第5話 


 キースがレイチェルを見たのは、6歳のことだった。
 父に連れられて初めてセレン王城に登城したあの日、中庭にある大きな木の下で膝を抱えて泣いているレイチェルを見つけた。
 声を掛けようかどうしようか悩んでいると、向こうから誰かが名を呼ぶ声が聞こえた。
 レイチェルが顔を上げる。そうして、片手で涙を拭って、レイチェルは駆けて行った。

 その時聞いた名前は、『アロウェイ』。
 父親に尋ねると、騎士隊長の長男でキースの一つ上だと教えてくれた。

 どうしても友達になりたくて、「騎士になりたい」と父親に言ったら、「馬鹿を言え」と却下された。幼いあの頃には判らなかったが、セレン王国一の大富豪とは言え、所詮は商家、貴族階級とは身分が違うということを後で知った。


 それから、3年後の9歳の夏。
 父親に内緒で参加した、街の剣術大会で、キースはレイチェルに再会することになる。


 その日は、『緑萌の儀』が行われる日だった。
 『緑萌の儀』とは、毎年8月最初の日に行われる儀式で、その日、精霊石とその所有者たるセレン国王によって施されている結界が解かれる。それは、セレン王国に短い夏が訪れることを意味した。

 セレン王国は、魔獣を倒し、魔王を封印し、この世界に光を取り戻した英雄ディーンによって建国された国である。その国が何故こんな北の辺境にあるのか、その理由は精霊石の存在にあった。
 精霊石――。
 それは、魔と戦うため、エルフたちの手によって造られた最高の至宝であり武器である。そして、その精霊石を身に納め、魔と戦ったのが英雄ディーンであった。
 ディーンの死後、ただ一人の王子に精霊石の力が受け継がれる、そのことを予見した王妃セレニエルによって、セレン王国は北の辺境に移された。そして、常人には踏み込めない雪の結界が施された。全ては精霊石の力を悪用されないために――。
 その後も、英雄ディーンと彼を慕う者たちによって、雪に閉ざされたセレン王国で、精霊石は守られ続けている。

 雪が解かれるのは、一年の間で一月だけ。

 『緑萌の儀』はその始まりであり、短い夏の訪れを祝って、街では祭りが行われていた。


 綺麗な薄紫色の瞳は、とても真剣に剣術大会を観ていた。
 それが、3年前に一度だけ会った少年だと、キースには一目で判った。逸る鼓動のまま、人込みを掻き分けて、その少年に近付く。近くで見ると一層綺麗なその薄紫色の瞳に、いくつかの涙の跡があることに気付いた。
「参加してぇの?」
 どうしてだろう、そんな気がして、キースはレイチェルにそう声を掛けた。
 驚いたようにレイチェルが顔を上げる。
「……どうして、そう思うの?」
 真っ直ぐにキースを見つめ、レイチェルがそう問い返してくる。
「んー、そんな目ぇしてたから」
 少し考えて、キースはそう答えた。考えてみると、相手は騎士隊長の長男である。きっと幼い頃から剣術を学んでいるだろうし、こんな街の剣術大会を羨ましそうな眼で見る筈がない。
 それでも何故か、剣術大会を真剣に見つめるその瞳が、自分と同じ眼差しだと、そう思えた。

「俺、騎士になりたくってさ」
 何故だろう、言っておかなくてはならないそんな気がして、キースはそう言葉にした。口にするといつも皆に笑われたけど、目の前の少年だけは笑わない、そんな気もしていた。
 案の定、真剣な瞳のまま、レイチェルがこくりと頷く。
「剣の修行をしてんだ。親には内緒だけど」
 そう言って、キースは剣術大会の舞台を指差した。
「で、今日、大会に出ることにしてんだ」
「それって、見つかるんじゃ……」
 レイチェルの瞳が心配そうに翳る。あまり表情を変えないレイチェルの、中に隠した優しさを感じ取り、キースは何だか嬉しくなって、満面の笑顔を返した。
「大丈夫、大丈夫。偽名ってぇの? 違う名前で登録したから」
 そう言葉にして、キースの胸が高鳴る。
「その名前ってのはな、『アロウェイ』、」
 お前の名前だよ、と付け加えようとした時、舞台からその名を呼ばれる。
「私の兄と同じ名前だ。健闘を祈っているよ」
「えっ?」
「呼んでいるよ。早く言った方がいい」
 そう言われ、キースは仕方なく手を上げて返事をし、舞台へと駆け出した。
 途中、振り返り、
「観ててくれるかっ!?」
 と、レイチェルに問い掛ける。
「もちろん」
 と、綺麗な笑顔が返ってきた。

 少年の部とは言え、キースより年上の者もいれば体格の勝る者もいた。というよりも、キースは小さい方から数えた方が早いくらいであった。それでも、順調に勝ち上がっていく。
 幼い頃から兄の剣術を身近に見てきたレイチェルの目にも、キースの腕前が確かなものであることは十分見て取れた。
 案の定、早々に決勝トーナメント入りを決めて、キースはレイチェルの元へと駆け戻ってきた。

「飛び入り参加もあり、らしいぜ?」
 キースのその誘いに、レイチェルの表情が曇る。
「……私は、剣を持つことは許されていないから」
 レイチェルのその言葉に、キースは驚きの声を上げた。
「だって、お前、アロウェイ、じゃなくて、」
「……? そう言えばまだ名乗っていなかった。私の名前は、レイ、……レイチェル=ギィ=ウェイクフィーズ」
 名乗ったその苗字はキースにも聞き覚えがあった。騎士隊長の長男アロウェイではなかったが、アロウェイの弟であり騎士隊長の息子であるということを再確認する。
「あ、俺、キース、キース=チェスター」
「……笑わないんだ?」
「何が?」
「レイチェルは女の子の名だけど?」
「ああ、別にいいんじゃねぇ? それより、」
 涙の理由を聞きたかった。
 3年前のあの時の涙の理由と、今の涙の跡の理由。
 そして、貴族階級であるはずのレイチェルが、こうして一人街を歩いている理由。

「…………『女の子だったら良かったのに』、とそう言われたんだ」
 どう切り出そうかと思っていたら、何を思ったのか、ぽつりとそうレイチェルが言葉にした。
 よくよく見ると、色白の肌に、長い睫毛に覆われた薄紫色の綺麗な瞳、やわらかい光の輪を作ったアッシュブロンドの髪、そして何よりレイチェルは小柄で華奢な印象を持っていた。確かに、女の子なら美人になるだろうなと、キースもそう思う。
「でも男じゃん?」
 それでもキースには、レイチェルはどう見ても女の子には見えなかった。感情を押し殺した瞳の中にある意志の強さを感じ取っていたのかも知れない。
 誰の言葉か判らなかったが、そのレイチェルに『女の子だったら』という台詞は、どんなにかレイチェルの心を傷つけただろう。キースは心の中で、その台詞を言った人間を恨んだ。

「でも、私は見た目がこんなだから」
 そう付け足すレイチェルの表情が曇る。
 それにしても、ウェイクフィーズと言えば、代々騎士隊長を務める名家である。女の子のような外見だからというだけで、剣も持たせないほど疎まれるものだろうか。いや、名家だからこそ、なのかも知れない。

 でも、さっき握手したレイチェルの手は、剣を修行する人間独特の硬い肉刺(まめ)がいくつもあった。

   ――きっとこいつも隠れて修行している……

「これやるよ」
 短剣を一振り、キースはレイチェルの手に渡した。
「修行してみろよ、剣。お前、強くなりそうな気がするぜ?」
「……でも、」
「男だろ? 強くなって母さんを守る、そう言やぁ、誰も反対しねぇよ」
「……母さまを、守る……?」
「あ、俺、それを言い訳にするつもり。決勝に残れたから、さすがにばれるだろうなー」
 そう言って、キースはにこりと笑った。つられるようにレイチェルも笑みを零す。
 泣いているよりずっといい、キースはそう思った。

「俺、優勝するからな」
 キースがそう宣言する。
「俺、優勝して優勝して、騎士になってやる。だからお前もそうしろよ」
 同じ眼、してっから、そう付け足して、キースはもう一度にこっと笑った。

 レイチェルが綺麗な笑顔を返す。そうして、剣術大会を見つめていた時と同じ真剣な瞳でキースを見つめ、レイチェルはこくりと小さく頷いた。


 その日、キースは最年少で剣術大会の優勝者となった。
 優勝杯を手に会場中を探したが、レイチェルの姿は何処にもなかった。


 その後は、お互いに会うこともないまま、時間が過ぎていった。
 約束どおり剣術大会で優勝を繰り返したキースが推薦を受け、騎士見習いとして王城に入城したのは更に4年後のことだった。下っ端の仕事をこなしつつ修行をする日々の中で、何度かレイチェルを見かけることがあったが、声を掛けることもままならなかった。

 その日々の中で、キースは気付いた。そう、気付いてしまった――。
 レイチェルの視線の先に――。

 “レイチェルは、アロウェイを愛している”

 ならば、この胸の中にある想いは、封印する。
 キースは、そう、決めた。


 それから2年後、キースは15歳という若さで騎士叙勲を受けることになる。
 その隣には、セレン王国史上最年少の13歳で騎士叙勲を受けることになったレイチェルがいた。

「お前が、レイチェル?」
 そう声を掛けると、綺麗な薄紫色の瞳がキースを振り返った。
 振り返ったその顔は、相変わらずの感情を押し隠した表情ではあったが、それでも涙の跡が見られないことにキースはどこか安堵した。
 笑顔を作り、決めていた台詞を口にする。
「噂は聞いてるぜ? “初めまして”、俺はキース=チェスター」
 6年前にただ一度、出会っただけ。あの時のレイチェルは7歳。覚えている可能性の方が低い。
 キースの考えどおり、その台詞にもレイチェルの表情が変わることはなかった。
 そして、
「初めまして。私はレイチェル=ギィ=ウェイクフィーズ」
 と、レイチェルはそう挨拶を返した。




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