Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Crossing 

 第6話 


 雨が激しさを増したようであった。森の木々を打ち付ける雨音が耳に喧しい。
 その雨音さえ打ち消すかのように、キースは声を荒げた。

「よく聞けよ、アロウェイ!」
 そう前置きして、キースはアロウェイの手首を掴み上げた腕に一層力を込めた。

「レイは、レイはお前のことを……っ!」
 レイチェルが封印したいというのなら、黙っていてやろうとそう思っていた。その事実を口にすることをキースは決意した。
 しかし、その台詞の続きは、アロウェイの手によって阻止される。
「言ってどうする?」
 翠色の瞳が、キースを射抜く。
「答えてやることなど、出来はしない」
 アロウェイの言葉に、キースは冷水を浴びせられたような感じがした。

 ――レイの想いに気付いていて……?

 キースの口を塞いだアロウェイの手を、力を込めた腕で乱暴に引き剥がす。
「はっ、そういうことかよっ!」
 深緑色の鋭い視線で、キースはアロウェイを見据えた。
「だから、レイを俺にやると? てめぇ、そう言いたいのかよ!」
「それは違う」
「違わねぇよ! てめぇがレイの気持ちを踏みにじったということはな!」
 沈黙が流れる。
 いつの間にか、雨は小雨になっていた。その小さな雨音さえも、キースにはやけに大きく聞こえるような気がした。

「レイは、お前を愛している」
 そう告げるアロウェイの声が、静寂を破る。
「……はっ、都合の良い解釈だな」
「違う。レイがそう言った」
 冷静なその声が、キースを更に苛立たせた。
「だから!? てめぇ、レイの嘘も見抜けねぇのかよ?」
「違う」
「違わねぇ!」
 そう言い切って、キースはアロウェイを睨み据えた。そのまま大きく一つ息を吸い込む。
「てめぇにだけは、レイはやらねぇ。何があってもな」
 怒りを含んだ低い声で、まるで威嚇するかのように、キースはそう宣言した。
 キースの目の前で、アロウェイが一つ大きく息を吐く。

「そうしてくれ」
 最後にそう言い残し、アロウェイは背を向けた。
 小雨が降る中、馬を駆って去っていくその後姿を、キースはいつまでも睨み据えていた。


「契約違反だな」
 小さくなっていく雨音に混じって、レイチェルの声が響く。
「……レイ、」
 驚いて振り返るキースの眼に、髪を掻き上げながら上体を起こすレイの姿が映った。
「お前、いつから……?」
 キースの言葉には答えず、ただ薄紫色の瞳でレイチェルは静かにキースを見上げた。

「さて、こういう場合、どうすればいい?」
 感情を見せない声で、レイチェルがそう問い掛ける。
 雨が上がり、光を反射した緑色が、二人の目の前に拡がる。その光景を瞳に映し、雨上がりの柔らかい葉の匂いを吸い込んで、レイチェルは一つ息を落とした。

 ――うすうす判っていたことだ……

 目に痛い緑色から逃れるように、レイチェルは瞳を伏せた。

 ――兄さんは、私を弟としては想ってくれても、恋愛対象としては見れない。それどころか……

 『そうしてくれ』と答えたアロウェイの姿を思い出す。
 こんな邪な気持ちを抱いている『弟』は、アロウェイにとっては疎ましい存在なのかも知れない。

 ――でも、キースは……、おそらく私のために、兄さんと対峙していた……

 もう一度大きく深呼吸して、レイチェルは瞳を開いた。
 そのレイチェルの薄紫色の瞳に、緑の光が飛び込んでくる。

「……緑萌の儀、か」
 ふとそう思い至り、レイチェルはぽつりとそう言葉にした。
 このところ、あまりにもいろいろとあり過ぎて、そんな大切なことすら忘れていたことに、レイチェルは苦笑した。

 緑萌の儀を境に、セレン王国は短い夏を迎える。と同時に、この短い期間にのみ、セレン王国は他国からの来訪を受け入れる。といっても国交があるのはごく限られた国だけなのだが。
 今年はカルハドール国王自らの来訪ということもあって、アロウェイはその警護を任されている。それ以前に、ここ3年、夏の間の国境警備は、セレン国王にも信頼厚いアロウェイの役目であった。
 したがって、7月最後の週末、つまりは今日のこの日、国境警備の下見のため、国境いのこの森にアロウェイが出掛けるということは、騎士隊に所属する者ならば、誰もが知っている事実であった。

「キース、お前、まさか」
 一つの筋書きが、レイチェルの脳裏を掠める。
「兄さんが、いることを、知っていて……?」
 確認するかのように、それでいて事実を知ることを恐れるかのように、レイチェルは一言一言区切るようにして言葉を続けた。
「判っていて、ここで、私を、抱いた……?」
 そう問い掛ける語尾が震える。
「兄さんに、見せつけるために……? 兄さんの反応を、見るために……?」
 乱れた服の首元を握り締めて、レイチェルはキースを見つめた。
 ぽとんっと、レイチェルの髪を雨の雫が流れる。

「……そうだと言ったら?」
 しばしの沈黙の後、幾分感情を抑えた声で、キースはそう答えた。
「何故っ!?」
 レイチェルの声が、緑の中に響く。
 そのレイチェルの様子を見つめる深緑色の瞳がすうっと細められていく。
「だから? お前はあいつへの想いを封印したかったんだろう? だから俺と恋人になったんじゃねぇのかよ!」
 息を吸い込んで、キースが尚も続ける。
「そろそろ認めたらどうだ! レイ、てめぇは俺に抱かれてよがってるじゃねぇか!」

 ぱしんっ!

 レイチェルの手がキースの頬を叩く。

 足元まで引いていた血液が、一気に頭まで駆け上がってくる、そんな感覚がレイチェルを支配する。
 冷静な判断が出来なくなっている、この状態で軽々しく言葉を発してはいけない、頭の何処かでそう警鐘が鳴っているような気がしたが、最早レイチェル自身にも止めることが出来なかった。
 キースを傷つけるための言葉が、レイチェルの口から飛び出してくる。

「恋人だと? お前と私の関係は、」
 黙ったまま、キースがレイチェルを見つめる。
「お前が無理矢理私を強姦し、秘密を盾に肉体関係を強要した、それだけの関係だ」
 言い切って、レイチェルは一つ息を吐いた。
「それでいて、お前はその約束すら簡単に反故にしてくれた」
 最後にもう一度だけキースを見て、
「茶番は終わりだ」
 そう言って、レイチェルは立ち上がった。酷使した身体は一瞬ぐらりと倒れそうになるが、それでも気丈に歩を進める。そうして、レイチェルは愛馬の傍で乱れた衣服と髪を整えた。

 その間も、キースは一言も発しなかった。

 ただ、キースの視線だけを、レイチェルは背中に感じていた。
 何故か、胸の奥がちくちくと痛んだ。
 それでも、レイチェルが振り返ることはなかった。

 振り返るのが、怖かった――。




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