Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第1章 Water Stone−水の精霊石− 
第2話 GALLUNA−地底都市ガルーナ−


「お前たち、わしらがどれだけ心配したと思っとるっ!!」
 岩肌が露になった山の一角、大地を這うような低い怒声が響いた。十分な怒りを含んだその声はそれでいて少しも優しさを失ってはおらず、声の主がどれほど彼らを心配していたか物語っているようであった。
「ごめんなさい……」
 拳骨を落とされた頭を抑えながら、子供たちが詫びる。その少し上げた視線の先で、ラギは自慢の髭の間からようやく安堵の吐息を落とした。
 人間と比べると幾らか背の低い彼らは、ドワーフと呼ばれる種族である。ずんぐりとした体型と器用な指先を持ち、優れた細工師であることで有名である。また、大地をこよなく愛する彼らの多くは、技巧を凝らした地底都市を築いて生活している。気難しいところはあるが、好戦的というわけでもない。
 だが、今は状況が大きく変わっていた。
 重い鎖鎧の音を響かせながら、ラギは険しい瞳で岩肌に隠された地下道の入り口を見つめた。

 その地下道は、遠い昔、ドワーフたちにとって建設されたものである。広大なリルベ地方を縦断し、遥か南方諸国まで通ずるそれは、ドワーフたちの宝ともいわれてきた。
 だが数年前、リルベ地方の最北に位置する地底都市ガルーナは、苦渋の選択を迫られた。宝であるその地下道を封印せざるを得ない状況が勃発したのだ。
 地下道で何かが起こった。禍々しい気配が立ち込め、薄汚い妖魔(ゴブリン)たちが次々と姿を現すようになった。もちろんガルーナのドワーフたちも黙ってはいなかった。起ち上がり、戦い、数多くの戦士たちを失った。
 そして長い討議の結果、太古の地下道は封鎖された。
 だがそれで全てが終わったわけではない。
 種族の存亡に関わる何かが起ころうとしていることを、彼らも本能で感じ取っていた。

「何はともあれ、無事で良かった。まずは村で帰ろう。説教はそれからだ」
 そう告げて、ラギは髭だらけの口元に笑顔を作り、子供たちの背を押した。だが次の瞬間、ラギの全身が総毛立った。研ぎ澄まされた戦士の感覚がラギに危険を伝えていた。
(……しまった)
 戦斧を握るラギの手に力がこもる。険しい表情で慎重に周囲を見渡し、ラギは慎重に子供たちを自分の背にやった。程なくして、ラギは遠くの岩陰に少し背を屈めて蠢くゴブリンたちの姿を確認した。幸いまだラギたちには気付いていない様子だが、それも時間の問題だろう。
「よいか。わしが合図をしたら、全速で村へ向けて走れ。分かったな」
 押し殺したラギの声に、子供たちがごくりと生唾を嚥下する。
 そして、
「今じゃ」
 その声と同時に、子供たちは転がるように駆け出した。気付いたゴブリンの1匹が奇声を上げる。
「お主たちに好き勝手はさせんぞ!」
 怒りを含んだ声でそう怒鳴り、ラギは戦斧を握り締めてゴブリン達の群れへと駆け出した。
 戦士としてのラギの能力は目を見張るものがあった。重い戦斧を軽々と扱い、ゴブリン目掛けて振り下ろす。一撃を受けたゴブリンが呻き声を上げて倒れるより速く、ラギは振り向き様に次の標的へと戦斧を振り回した。瞬く間にゴブリンの数を減らしていく。
 だが、明らかに多勢に無勢であった。
「まだまだじゃ!」
 徐々に見え始める疲労を振り払うように、ラギはそう怒鳴った。
 その時だった。ラギの耳に何かが風を切る音が聞こえた。次の瞬間、ラギの目の前のゴブリンが倒れる。続いて2度風切り音が響き、ラギの隣にいたゴブリンが2匹倒れた。倒れたゴブリンタチの喉や額には寸分外すことなく矢が突き刺さっている。
「加勢するぜ。ドワーフの旦那」
 その声と同時に、木々の向こうから青年が駆け出してきた。体格の良い戦士風のその青年は大剣を操り次々とゴブリン達を薙ぎ倒していく。その向こうでは、外套を羽織った長身の青年が弓を構えていた。矢を放つと同時に素早い動作で次の矢を番えていく。
 突如現れた2人の加勢を得た後は、残るゴブリン達を一掃するのにそう時間は必要なかった。

「……一先ずは礼を言おう」
 戦斧を手に鋭い眼光でラギは2人を見上げた。だがその表情は感謝というより不服を表していた。
「……じゃが、」
「ああ、判ってる。勇敢なるドワーフの旦那。邪魔して悪かった」
 不満を述べようとしたラギを遮り、戦士風の青年が笑みを浮かべる。
「俺の名はジーク。あいつはロイ。その先で、旦那の同族の子供たちに出会ってな、で、こいつが行けとうるさいんで邪魔させてもらった」
 そう説明を加え、ジークは親指を立ててロイを指差した。 「子供たちは無事です」
 涼やかな声で告げ、頭巾を下ろしてロイが一礼する。涼やかなその声に似つかわしい整ったその容貌と礼を尽くそうとするその姿を瞳に収め、ラギはふうっと長い息を吐いた。
「わしの名は、ラギ。この先のガルーナの者じゃ」
 ラギの警戒心が解けていくのが、ロイの目にも判った。そして、自慢の髭を撫でながらにっと笑うラギに、ロイも笑みで答えた。



 ガルーナへの道々、3人はお互いの情報を交換し合った。
「で、その地下道に入るつもりか?」
 険しい顔でラギが問う。その視線を受け止め、ロイは静かに頷いた。
「危険じゃ、といったところで、止める気はないようじゃな」
「まあな、こいつの頑固さは俺が保障する」
 割って入ったジークが苦笑する。その言葉にラギも溜め息まじりの笑顔を返した。
 そして、
「……ガルワード様に取り成してみようかの」
 決意したように大きく何度か頷いて、ラギはそう呟いた。



 地底都市、ガルーナ。
 そこは、見事な装飾が為された門の向こうにあった。
「わしの知る限り、人間ではおぬしたちが初めてじゃな。ここに入るのは」
 中に入ったところで先程の子供たちが駆け寄ってくる。その子供たちを捕まえると、ラギは太いその手で子供たちの頭をくしゃくしゃと撫でた。
 少し入ると、当然といえば当然だが、ドワーフ達が奇異な視線を送ってくる。ロイたちにドワーフの言葉は理解できなかったが、ラギが説明を加えるごとに敵意が消えていくのだけは判った。そうこうするうちに、一際大きな扉の前に辿り着く。
 扉の向こうには既にガルワードと名乗るドワーフ王とその側近、長老と呼ばれる者たちが並んでいた。

 会議は、早急にかつ慎重に行われた。
 ロイが澄んだ声で今までの経緯を説明した。そして原因究明のために古えの地下道に侵入する許可を求めた。初めは反対する意見も多かったが、ドワーフ族としてもこのまま放置できない状況であることは間違いなかった。夜半まで及ぶ討議の結果、最終的にはあくまで調査のみということで許可が下り、必要なものがそろえられた。出発は明日早朝、ラギ自身の要望もあり、ラギもロイたちに同行することになった。

「ロイ、大丈夫か?」
 提供された客間の一室。
 深夜、ロイの苦しそうな声に目を覚まして、ジークはロイの寝台に近づいた。
「ん、……父上、……アルフ……っ、」
 ロイの表情に苦悶の色が浮かぶ。そして、閉ざされたままの瞳から一筋の涙が零れた。
「――おい、ロイ」
 1つ息を吸い込んで、ジークはロイの肩に触れた。ゆっくりと美しい双眸が開かれ、ジークの姿を映し出す。
「……ジーク」
 確認するかのように名を呼び、起き上がろうとしてロイはそのまま体勢を崩した。その身体をジークの逞しい腕が支える。
「すまない、ジーク。起こしたか」
 その声はあくまでも涼やかで、何もなかったかのように錯覚させる。美しすぎるその相貌には未だ血の気が戻らず、ジークの腕の中の身体はびっしょりと冷汗を流しているというのに。それでもロイは1つ息を吐いて、ゆっくりとジークの腕を振り解いた。
 ロイはどんな時も決して弱みを見せようとはしない。
 これまでにもジークは何度かうなされるロイを見てきたが、蒼白なその唇が弱音を吐くことはなかった。そしてまた、決して真実を語ろうともしない。
 だがジークには、ロイがそうすることで自分を保っているようにも見えた。だからそれ以上問い詰めることは出来なかった。
 うなされる時、必ず呼ぶアルフという名前が誰なのかさえも。
「何か、飲むか? ロイ」
  「ああ、すまない。心配かけた」
 瞳を伏せ、ロイは静かな動作で汗をかいた黒髪をかき上げた。反対の手はまだ少し震えている。それを隠すかのようにロイは寝布を固く握り締めた。
「……久しぶりだな」
 水を注いでやりながら、ジークはそう呟いた。
 実際、ロイがうなされるのは久しぶりのことだった。
「ここには風が少ないからな」
 そう答え、ロイはゆっくりと瞳を開いた。
 ロイがうなされるのは、決まって風のない夜だ。
 だが、
「何かが、起こっている……」
 ロイは自分の中で何か得体の知れないものが大きくなるのを感じていた。




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