Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第1章 Water Stone−水の精霊石− 
第3話 Underground−地下道−


(……足が重い。身体がまるでいう事をきかない……)
 圧し掛かってくる不快感を全身で感じながら、ロイは歩を進めていた。


 封印された地下道の入り口をくぐり、3人は半日ばかり歩いていた。
 太古の遺産は所々、何者かに無残に破壊されていた。
 先頭を歩くラギの怒りの呟きが地下道に響く。
 ロイの視界の中、そのラギの姿が霞んでいった。
「おい、ロイ!」
 次の瞬間、後ろからジークに声を掛けられ、ロイは自分が膝から崩れていることを理解した。
「どうした? ジーク、ロイ」
 ラギが振り返り、2人のもとに駆け寄る。
「……いや、心配するほどのことはない」
 そう答えたものの、ロイの表情は硬く、完全に血の気が引いていた。
 それでも、
「先を急ごう」
 重い身体に鞭を打ってロイは立ち上がろうとした。
「無理するな。こういうときは仲間を頼るもんだぜ」
 1つ息を吐き、ジークが持っていたランタンをラギに渡し、ロイに肩を貸す。
「……すまない」
 一瞬躊躇したロイだが、大人しくジークに従うことにしたらしい。ロイは張り詰めた身体から力を抜くようにしてジークの肩に寄りかかった。
 普段余程のことがない限り、人の力を借りようとしないロイである。
 もう少し頼ってくれてもいいだろうにと、ジークが苛立ちを覚えることも度々であった。だが、今のように全身を任せてくるロイに、ジークは漠然とした不安を覚えた。
「……ロイ?」
 ロイが消えてしまいそうな錯覚に、ジークはロイの白い顔を覗き込んだ。ジークの呼びかけに、ゆっくりと青灰色の瞳が開かれていく。
「ジーク……、悪い予感がする。ここから先は――、」
 俺一人で行くべきかも知れない。
 続く台詞は、ジークのきつい瞳に遮られる。

(ジークを巻き込みたくない……。だが、傍にいたい……)
 そんな想いがロイを苦しめていた。
(……運命が動き出す……)
 重い吐息を落とし、ロイは前方を見つめた。

 心配そうに2人の様子を伺っていたラギの動きが不意に止まる。そのままゆっくりとランタンを置き、ラギは戦斧を両手で握り直した。
「ジーク、ロイを連れて下がっておれ」
 ラギの低い声が響く。暗闇を見通すドワーフの眼が何かを認めたらしい。
 確かに闇に蠢く気配があった。
 2人を庇うように立ち塞がり、ラギはゆっくり間合いを詰めていった。
「……ジーク、行け」
 ロイの涼やかでいて拒絶を許さない声が響く。
「俺は大丈夫だ。行け」
 美しいが意志の強い、青灰色の瞳がジークをまっすぐ見据えた。
「……判った。大人しくしてろよ」
 にやりといつもの笑みを残して、ジークは大剣を構えた。

 暗闇に蠢いているものの多くはゴブリンたちであった。戦斧から怒りを立ち上らせ、ラギが力強くゴブリンを薙ぎ倒していく。それぞれは大した敵ではなさそうだが、こうも数がいると、決して楽観は出来ない。大剣を片手に駆け寄ると、ジークもすぐさま参戦した。
「おい、ロイは大丈夫なのか?」
 心配そうにラギがジークに問い掛ける。
「ああ、大人しく守られてるタマじゃねぇよ」
 呆れたように答えるジークの声は、それでいて何処か不安そうであった。
 先程のロイの様子は、どうしてもジークの頭から離れなかった。
「ジークッ! 後ろッ!!」
 思いを巡らせていると、突然ラギの怒声が響いた。振り返ったジークの視線の先、ゴブリンがショートソードを振りかざしている。
(――避けきれない!)
 そう思いながらも身を翻したその時、ジークの耳に風切り音が聞こえた。
 ジークの目の前、ゴブリンが剣を振りかざしたまま崩れていく。
 振り返ると岩壁を背に弓を構えたロイの姿があった。

「……戦闘中に他のことを考える奴とは、組めない」
 程なくゴブリン共を制圧したジークを迎えたのは、ロイの氷のような冷たい声だった。
「まぁ、ロイ。そうはいってもジークはお前さんを心配してじゃな…」
「それとこれとは話が違う」
 止めに入るラギを制して、ロイが続ける。
「今度こんなことをしてみろ。もうお前とは組まない」
(……もうお前とは一緒にいられない)
 語尾が震えるのを抑えて、ロイはそう告げた。
「……悪い。あまりにも敵が弱いんで油断しただけだ。他意はない」
 ジークが真っ直ぐにロイの視線を受け止める。
「誓って、二度とこんなことにはならねぇ」
 意志の宿った漆黒の瞳を見つめ返し、ロイはようやく長い息を吐いた。
「……さて、じゃあ進むとするかの。この先の水飲み場まで歩いて休憩としよう。ロイ、身体は大丈夫かの?」
「少し休んだので、何とか」
 頷くロイに笑顔を返すと、ラギは置いてあったランタンを取り、ロイに渡した。受け取ろうとしてロイが一瞬身体を硬くする。
「俺が持とう。こいつは少し火が苦手でな」
 ジークが受け取り、そう答える。
 ジークの言葉どおり、ロイは炎が苦手である。もっとも普段ならランタンを持つぐらいなら何ということはないのが。
 ロイの持って生まれた資質が、精霊たちの異変を敏感に感じ取っていた。


 少しして、水飲み場とやらに着いた。
 そこも無残に破壊され、何とも禍々しい空気が立ち込めていた。
「何ということじゃ」
 怒りに震えながら、ラギが駆け出す。
「待て、危険だ!」
 ロイの制止の声が響くのとほぼ同時に、ラギが呻き声を上げて崩れ落ちた。ロイの瞳に、黒い水が生き物のようにラギを絡め取っていくのが映る。
「待て、ジーク。水の乙女の様子がおかしい」
 ラギの許に駆け寄ろうとしたジークを片手で制し、ロイは息を呑んだ。白い額から冷汗が一筋流れ落ちる。
 この地下道に入って以来、徐々にロイの身体を蝕んだ不快感。その源が、目の前の小さな泉から立ち込めていた。本来澄んでいるはずの水は黒く濁り、苦しんでいるかのように蠢いている。
「……ジーク。俺が行く。その隙にラギを引っ張り出せ」
 そう告げて1つ息を吸い込むと、ロイは泉の傍へと歩を進めた。
「ロイっ!」
 ジークを片手で制し、もう一方の手を泉に掲げる。
「聖なる水の乙女たちよ。我が名はロイフィールド、風の精霊石を有する者。貴女を苦しめるものは何か?」
 ロイの澄んだ声に黒い水が動きを止めた。その隙にジークがラギを後方に引っ張る。意識は失っているものの、規則正しい呼吸を確認し、ジークは安堵の息を吐いた。そしてすぐにロイに視線を戻す。
 研ぎ澄まされたジークの感覚が、背筋を走る殺気を捉えた。
 次の瞬間、奥の暗闇から槍のような形をした黒い水の塊が、ロイの身体を突き刺すのがジークの視界に映った。
「ロイッ!!」
 駆け寄るジークの目の前で、黒い水がロイの身体を飲み込んでいく。

 薄れていく意識の中、ロイは自分を呼ぶ声を聞いた。




Back      Index      Next